成人の日を終えて

2011年01月11日 10:17

成人の日が終わり、今朝の私鉄のターミナル駅は、何時もの風景に戻った。出勤を急ぐ多くの通勤者、そして、彼らを詰め込んで、都心に運ぶ電車、何時もの見慣れたものである。

今年の成人式は、酒に酔って暴れる、お決まりの新成人が少なかった様に思う。皆、お利口さんに成ったのだろうか。

私は、余程の事が無い限り、詰まりは、器物を破損したり、他人に暴力を振るったりする事が無い限り、若者が暴れるのは許容すべきと思って来た。体は一人前であるが、社会に出るのが怖くて、まるで、小さな子供が、母親の前でおもちゃ買って呉と、愚図ってるのと同じだと思うからである。実に、微笑ましい光景では無いか。

それでは、成人するとは如何なる事なのか。それは、子供の頃から見続けていた「夢」を、現実の物にする事が、社会的に許容されたと言う事だと思う。成人式は或る意味、そのお披露目である。

そして、「夢」を実現する為には、企業に就職するか、或いは、起業する等して、社会人に成る必要がある。起業は語られはするが、現実問題、中々ハードル高く、先ずは就職してノウハウを蓄え、機会を観て起業に踏み切る、と言うのが現実的なのだろう。

今日、社会人に成ろうとする若者の前に、まるで、地獄の閻魔大王の如く、立ちはだかるのが、所謂「就活」の壁では無いだろうか。

次から、次へと企業を訪問しても、皆目良い返答を貰えない。採用する意欲も余り感じられず、結果、毎日を砂を噛むような虚しさで過ごす事に成るのだろう。

若者が理解すべきは、就活が若者に取っての、初めての求職活動であるだけで無く、嘗て如何なる「夢」を見、そして「夢」の実現の為、どの様な努力を惜しまず継続してきたか審査されてると言う、冷徹な事実なのである。

「夢」の裁判を受けているのだ。そして、内定を貰えないと言う事は、厳しく言えば、有罪の判決を受けてるのと同じなのである。

少し冷静に成って考えれば、100名の採用に対し、数万人が就職を希望する様な、人気企業に取っては、採用レベルの遥か下位に位置する大学生の、来社等迷惑なだけの話なのだ。

大人達が支配する今の世の中は、平等と言う名の不平等が当たり前であり、人に拠って見えない、ガラスの天井が張り巡らされている。行きたくても、どうしても上には行けないのだ。

人気企業に職を求めるのであれば、企業を喜ばす幾つかの手土産を、エチケットとして持参するのは当然の事である。曰く、一流大学、潰しの利く学部、学科、そして、健康、快活さ、組織への忠誠を暗示するスポーツクラブに所属する事実等。。。

こう言った、準備も無く行き成り企業を訪れ、生身の私を評価し買ってくれと要求するのは如何にも、傲慢不遜でエチケット違反と思うが、如何成るものであろうか。

学生と社会人の違いは、親から貰った金を消費する立場と、自らが金を稼ぐ立場の違いである。従って、企業が、どうもこの先、教育しても金を稼ぎそうに思えぬ若者を忌避するのは当然の事なのだ。

日本の問題は、此の手の「夢」の裁判で有罪判決を受けた若者をどうやって、一人前にするかと言う事。そして、何の疑問も持たず、税を貪り続ける公務員、地方に、問題意識を喚起し、少しは真面に成って貰う事だと思う。

そして、その為の時間は余り残されていない筈である。

山口 巌
ファーイーストコンサルティングファーム 代表取締役

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