国家について

2011年02月21日 11:30

アゴラで、平和ボケ論争が行われている。私は、大蔵省時代、同僚に、朝日の腐ったの、と呼ばれ、極左扱いを受けてきたが、世間的には中道だと思う。

池田氏の口調は過激で、暴力装置というのも、学術用語ではあるが刺激的で、軟弱な私として違和感はあるが、事実としては、池田氏の認識が正しいと思う。

別の言い方をすれば、国民国家というのは、戦争のために資本と人民を動員させるために作られた都合の良い箱であり、それを抑止するために人権や民主的な政治が工夫して成立してきたのだと思う。

さて、堀江氏の議論にあった、中国が日本を侵略して何をするか。

それは明らかである。


一気に占領して皆殺しにはしないだろう。それはコストもかかるし、メリットもないからである。しかし、コストがかからなければ侵略する可能性はあるし、それにより大きな経済的メリットと政治的メリットを得ようとするであろう。

これは中国に限ったことではなく、国家を運営している以上、企業が利益を増大させるのが目標となっているように、ごく普通のことなのだ。

実際に、中国は尖閣諸島だけでなく、東南アジア各国と領海争いをしている。あれは、武力で威嚇することと同時に、既成事実を作り、なし崩し的に自国の領土を拡大しようとしている動きである。これは政治的にも軍事的にもそして経済的ににもメリットがあるだろう。

中東で起きている暴動、時間が経てば革命と呼ばれることになるであろうが、原因の一つとして、経済的な若年層の貧困、食料価格の高騰はあるだろうが、やはりその矛先が向うのが政府、とりわけ独裁として有名だった政府に向っているから、当然、政府と民衆の暴力的な戦いであることは疑いない。これまでは、抑圧されており、勝ち目がなかっただけのことであり、勝ち目が出てくれば闘う、これは民衆でも政府でも軍部でもすべて同じことなのだ。

では、そういうことが感じられない日本だけが例外か。そうではないだろう。日本は、戦後の特殊事情の下、平和ボケをしていることが戦略的に最も効率的であっただけのことだ。冷戦構造に恵まれ、そして米国側についた幸運を生かして、その幸運を出来るだけ長く享受したい、というのは、平和ボケ戦略だったのだ。

しかし、現実は変わった。放っておけば、米国の影響力が低下する中、コストベネフィットを考えて、日本の周辺各国は力を見せて押し込んでくるだろう。それは一国に限らず、ほとんどの国でそうで、そうしない国は、今は勝ち目がないから、損失を最小限にするための戦略で動いているだけのことだ。

日本はこの環境変化に対応できないでいる。政府も多くの人間はこの変化に対応しなくてはいけないと思っているし、個別の政治家でもその意識はあるほうが多数派だろう。ただ、認識の違いなどにより、対処法が混乱しているだけのことだ。

国家は闘うためにある。それは動かしがたい事実なのであり、私はその事実は嫌いだが、好き嫌いでは許されないものであり、我々は生きていかなければならないし、国家も同様である。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑