「自粛」の国 (副題:「そうだ、酒を飲もう」)

2011年04月12日 14:42

震災の2週間後、3月26日から4月2日までの1週間、オフィスを構える香港を後にして、東京に出張してきた。


折しも福島第一原発の状況が、当初の想定より悪化の一途をたどっていた(正確には悪い情報がようやく公開されてきた)時期だったので、東京都民よりパニックの素地がある香港の友人たちは一斉に、

「ヤメとけ、気でもふれたか!」

と、ありがたくも引き止めにヤキモキしてくれた。

震災以前から予定に入れていた出張だったので、やはり向こうから

「もうしわけありませんが時節柄...」

とキャンセルになったミーティングも少なくなかったが、なかには

「お約束通りお待ちしております。」

というお客さんもあり、ここでこっちが尻込みしてしまっては

「末代までの名折れではなかろうか...」

と思案し、意を決してキャセイの成田便に乗り込んだ次第。

キャビン全体に、心なしかピリピリとした緊張が感じられた。普段と違い、乗客は日本人ばかり。外国人は私のとなりに座ったアメリカ人の男性のみ。(あとで実は葛飾区の私の実家のすぐ近くにお住まいと判明。思わぬ邂逅に感謝はするが、キャセイ航空、幅の広い男を二人並ばせないで欲しい。)

幸いにして東京滞在中の1週間は、当初の「買い占め」や、やり玉にあげられた週刊「アエラ」の表紙などにみられた東京都民の浮き足だった反応も沈静化に向かった局面だったようだ。出国前夜の4月1日金曜日、旧友たちと酒宴を張った赤坂の町はいくらか明るさをとりもどしていた。

もっとも、今回の出張中、ビジネスで意見交換した方々も、杯を交わした友人たちも、これから始まる「景気の低迷と経済の縮小」という漠然とした必然に、不安とあきらめと無力感を感じているように見受けられた。

震災直後、被災者たちの毅然とした態度に世界が敬意を表してから一ヵ月。国民がまさにその身を賭して獲得した国際社会の尊敬を、この国のトップはその無策と無能ぶりで失ってしまった。放射能汚染水といっしょに、遠慮会釈も、断りもなしに、海に流してしまったのだ。

イギリスのメジャーな新聞紙のなかでは最も保守的と言われるデイリーテレグラフ紙が、東北地方の被災者たちの静かな勇気を讃えて、

かつてはイギリス人の美徳とされていたところを、今回日本の被災者たちは示してくれた。

とレポートしたのが3月13日。

残念ながら先の大戦と同じく、我が国の兵士・市民の勇気は世界の賞賛の的だが、この国にはまたしてもチャーチルに比するようなリーダーはいなかった。

チャーチルが有名な「大英帝国史上、最良の時(This was their finest hour.)」のスピーチを行ったのは、1940年6月18日。その2日前の6月16日にフランスがナチス・ドイツに降伏した。

この大戦初期の危機的状況で、チャーチルはイギリス国会という公の場を通じ、同盟国の降伏という最悪の現状を包み隠さず報告し、単独での対独徹底抗戦の決意という長期的戦略目標を披露したが、それだけではなかった。なぜ単独での戦争継続が可能なのかということを、大英帝国の団結を確認すると共に、軍事関連のみならず、兵站(アメリカの援助の継続)という面からも国民に説明し、この選択が陸・海・空軍のプロフェッショナルたちに支持された決断であることを強調したのだ。

そしてスピーチの最後を、

「我々は課された義務を受け入れ、これを果たそう。さすれば大英帝国と英連邦がこのさき一千年続いたとしても、未来の人々は我々の今を指さして「あの時こそが我々の最良の時だった。」と語り継ぐことであろう。」

としめくくったのである。

震災発生後3週間経った4月1日。タクシーで移動中の私にラジオから聞こえてきたのは、菅総理の記者会見における次のような言葉だった。

「今日開かれました、持ち回り閣議で、今回の震災を東日本大震災と命名しました...」

菅総理という人間の悲喜劇は、震災によってその政治生命を永らえたことにより、彼がこの国難に際して、ほとんど唯一「得した日本人」であるということを、国民の大部分が苦々しくも確信している、ということをご本人は気がついていないのか、気がついてそれを無視しているご様子であるということだ。(不祥事による糾弾の矛先をかわした検察/警察も、この「得した」部類に入るかもしれない。)しかもこの矢継ぎ早の行政イニシアティブが必要な危機的状況を、ご本人は「待ちの政局」と見ておられるというのだから、つけるクスリがない。

当地香港では、ここ数年のブームで雨後のタケノコ状態だった日本食レストランが、風評被害で客足が遠のき、軒並み閉店に追い込まれようとしている。「なんちゃって和食」を提供する「日本食モドキ」のレストランは変わり身も早いだろうが、新進気鋭のシェフが「新天地で一旗揚げて...」と開店した本格派のお店にはとてつもない試練だ。

かつて、「海外の日本食レストラン認定」などというおせっかいをおし進めようとしていた政治家が「ナントカ還元水」で自殺に追い込まれたことを思い出した。

日本の行政史と「永田町文学」に燦然と輝くであろう

「害はないけれど摂取を控えて欲しい」

という名文句に始まった官製風評被害もそうだが、平時に「消費者保護」などと、もっともらしいオタメゴカシを理由に権限拡大を図り、いざ緊急時となると責任問題の回避と自らの保身を専らとし、一番助けてほしい時にタイムリーに有効な手を打てない行政サービスをこの際、断罪してほしい。

もっとも「政治主導」を謳っていた政治家が「レク待ち」しているという状況では、なにごともおぼつかないが、官僚組織内部で縦割りサイロと入省年度プロトコルを超越したところで政策提言が行われているのであれば、これに光を当て、権限を付与していくことも「政治主導」ではなかろうか。戦後の日本において吉田茂が若手の能吏であった池田勇人や佐藤栄作を政界に抜擢したことが戦後日本の復興・成長政策の策定プロセスの安定に大きく寄与した史実を引用する間でもないだろう。

香港では外食産業だけでなく、日本産の食材がスーパーから姿を消しつつある。私事で恐縮だが、美味しいダシを取ることを趣味としている妻は、陳列棚に並んでいた最後の鰹節と昆布を買ってきて、

「当分の間はこれが最後だからね」

と、おいしい「そばつゆ」を一から作ってくれたが、その「そばつゆ」を使い切る前に肝心の「そば」が品切れという、まるで落語のオチみたいなことになってしまった。

すでに日本からの流通経路を断たれたヨーロッパなどの日本食材小売店は、代替の仕入れ元を探しに、可能なかぎりの仕入れ資金を懐に入れて、香港まで来ている。前途は厳しい。

知り合いの金融関係の管理職に、今回の震災の影響を尋ねると、毎日「カウンセリング」で忙しいという。なにを「カウンセリング」しているのかと聞くと、東京オフィスから香港へ一時疎開している従業員に

「そろそろ東京オフィスに戻ってくれ」

というと、

「もう絶対イヤ」

といわれる。また家族のみを香港に疎開させた従業員も、本人の香港移転、または家族の香港在住サポートを要求しており、これらの対応にも頭を悩ませているとのこと。

もちろん大手金融機関は、東京オフィスに巨額の資本投下をしているので、その維持に四苦八苦しているわけだが、中・小・ブティックのアセットマネジャーなどは早々に東京を引き払ってきた、というところもある。

香港の移民局は、にわかにふって湧いたビザ申請にパンク状態だとか。

震災というものはもちろん不可抗力の自然災害だが、それに反応するそれぞれの人間の行動は、各個人の個性と素養の発露だろう。

いま目前に起っていることの全ては、日本人の一人一人に大きな変革を迫っている。震災後、「今こそ日本は変わらないと」という論調を多く目にするが、これから実際には起るのは、変われない日本が滅び、変わった日本が生き残っていくというシナリオだ。

「同じであるためには変わらなければならない。」
Se vogliamo che tutto rimanga come e, bisogna che tutto cambi.

明治維新からさかのぼること13年の1855年に安政の大地震があったことを思い起こさせられる。

これから変わっていく日本で活躍するのは、官僚組織の無謬性という幻想をその頂点に戴く従来のシステムから自立し個々がより直接的に世界とつながっている日本人ではないだろうか。

今回の東京出張で気がついたことは、「自粛」とは、この混乱期において変わることが出来ない人、変わる努力をあきらめている人、そして変わるべき方向を提示する勇気のない人の「言い訳」だということだ。

だから政治家は「自粛」しっぱなしなのである。

無能な政治家よりも、もっと罪深いのは、この危機に際して「なんとかしなくちゃ」と決意を固めている人間に対して、「自粛しろ」と言い、「不謹慎だ」と決めつけ、「気持ちの問題だ」とムチャクチャな論理をふりかざす輩だ。こうした人は往々にして、もうヘトヘトになっている(しかも高齢者が多い)被災者に対して「がんばれ」と言葉をかけること以外、なすすべを知らない。

日本社会に充満する「自粛」ガスに辟易としてきたころ、以下の「お花見のお願い」という一服の清涼剤のような一連のビデオ・クリップが目にとまった。

そうだ、酒を飲もう。

日本人には美味しい日本酒がある。旨い肴もある。酒を飲めば「火事場の○○力」も湧いてくるだろう。下品というなかれ。ケインズ先生に言わせれば、要するに「アニマル・スピリット」ということです。

そもそも「桜」とは、「神木」であった。古来より日本人は桜の開花によってその年の稲作を占ってきた。つまり桜とはその開花の時期と、散るまでの期間により、その年の豊作または凶作を推量する、「花占い」の尊い木であったのだ。だから桜の木は必ず土地の産土神を祭る神社の境内に移植される。桜の名所、吉野山の桜も、そうして献納された桜たちの思い出を今に伝える。

残念ながら、今回はタッチの差で桜の開花を逃してしまったが、故郷の桜を思いつつ一献。毎年必ず季節と共に巡りくる「桜」のように変わらない「日本」を守るため、さらに変わる努力への鋭気を養おう。

オマケ
吉例にならい、天下泰平、雨順風調、国土安穏、五穀豊穣を祈願し、野村萬斎による三番叟。

オマケのオマケ
変われなかったシチリアの没落貴族を描いた名作はコチラ。

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