政治家かエコノミストか

2011年05月28日 08:01

日本の政治は危機だが、議論は無意味だ。やるべきことは決まっているのに、実行されない。それは組織の問題もあるが、主に個人的な資質の問題で、しかも、今のトップはとりわけ悪いが、他の代替案も抜本的な解決にはなりそうもない。したがって、合理的に考えると日本の政治を議論することは全く意味がない。

そうなると政策議論も当然無意味だ。いい政策であれ悪い政策であれ、いかなる政策も実行されないのであるから、議論するだけ無駄だ。

そこで、今日は、議論が意味を持つIMFの人事について考えてみよう。


IMFの専務理事は、セックススキャンダルで交代となり、後任に何人かの名前が挙がっている。

IMFは欧州、世界銀行は米国という暗黙の役割分担の維持から、欧州、それもフランスを引き継ぎ、ラガルド財務相が最有力となっている。

一方、この既得権益に反発した新興国群は対立候補を模索しているといわれており、フィッシャー・イスラエル中銀総裁がIMF専務理事に立候補の可能性、とWSJは報道している

彼は、米国代表のような気もするが、それはさておき、ラガルドという政治家とフィッシャーという保守本流のエコノミストとのどちらが世界経済にとって有益か考えてみたい。

ラガルドはテレビからもわかるが、直接会うととんでもないオーラの持ち主で、女性という枠組みを超えて、何者もをひれ伏させるようなイメージがある。一方、フィッシャーは、学者としてのも極めて評価が高く、IMFへ行ってからも、学者の枠にとどまらず、極めて評価が高く信頼されていた。理論的、政策的ポジションも極めてニュートラルで、欠点が見当たらない。

私自身は大蔵省当時にIMFの審査に対応し、日本に来たフィッシャーの誠実なスピーチに静かに感銘を受けた覚えがある。

となると、経済学者としては、IMFの組織経験も長く、IMFというのはエコノミスト集団だから、フィッシャーの方が良いに決まっているとなりそうだが、そこはなかなか難しい。

IMFは執行部隊は完全にエコノミスト、それもPhD集団で、学者を目指した中で、実務もやりたい人々の集まりで、しかもレベルが相当高いので、組織を仕切るにはアカデミックなカリスマは必要だ。しかし、同時に、理事会は各国の出資比率に基づいた株主総会で、この決定権は重く、また出資比率も政治的に制限されており、経済力を伸ばしたからといって、出資比率を自由に上げられるわけではなく、まさに政治的な力関係がすべてだ。

こうなると、IMFが誤った政策を取る可能性があるのは、政治的な介入があったとき、政治的判断が諸悪の根源となる。そうなるとますます政治家をIMFの実務のトップに据えることはマイナスのように思えるが、それはむしろ逆で、毒をもって毒を制すではないが、政治は政治力でしか抑えられない。

したがって、私は、一般論として、優れた政治家の方が、このような事務方のトップにもふさわしいと考える。

日本でも議論は全く一緒で、政治主導はもちろんいいのだが、問題は「優れた」という制約条件で、日本では、政治家もエコノミストも誰一人としてこの条件を満たさないので、議論は無意味なのだ。

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