権力構造の変化と政府・政策の変化

小幡 績

意外と関係がある。

先のエントリーの続きであるが、自民党の崩壊がすべての根源である。

かつての自民党は非常に合理的な役割分担ができており、効率的に機能していた。この自民党内権力構造の効率性が、政党と政府の間の役割分担の効率性、政治家と役人との分担の効率性につながっていた。

だから、やはり自民党の崩壊が重要であり、今後、政府を立て直すためには、公務員制度改革ではなく、政党改革が重要であり、官僚主導による改革ではなく、メディア主導による政党改革に望みを託すべきであり、池田氏の議論は結論も間違っている。


かつての自民党は役割分担があった。

私の父は実は浜田幸一氏と同級生だが、彼は当選回数を重ねながら大臣になれなかった。それはキャラによるものではなく、そういう役割分担だったのである。

大臣には誰がなったかというと、官僚出身の政治家たちである。彼らの多くは官僚時代に認められて婚姻関係を結ぶか、あるいは単に秘書官を務めたときに評価されて、そのまま政界へ転身を勧められるかして、議員になる。彼らは、当選回数が少なくても大臣になるが、それ以上にはならない。政策担当である。

一方、県議会議員などからの政治たたき上げの議員や何らかの別のキャリアの議員は族議員化する。まさに政治的な捌きをすることにより政治家であり続け、集金、集票を行う。

そして、この二つの集団を纏め上げる役割の議員が出てくる。その多くは後者で、前者のうちの有力者を参謀とする。二つの集団を纏め上げるには、二つ目の集団も纏め上げなくてはならない。つまり、自分のシマである業界をまとめてその族のドンとなるだけでなく、複数の業界を纏め上げ、業界、族を超えた政治家として能力を発揮し、幅広い政策を纏め上げられる能力を見せ、実績を上げなくてはならない。それに成功して、派閥の長になり、前者の官僚出身議員も使いこなせるようになり、もちろん官僚自体もうまく使えるようになる。

この出世プロセスにおいて、族、派閥、官庁など組織をマネイジする能力を身につけ、その中で参謀となる人材も確保していく。田中と後藤田の関係を想像しても良いし、その後の後藤田と中曽根の関係を考えてもいい。

このように自民党が機能すれば、自然と政治と官僚の役割分担もうまくいく。大きな方針、政治的な大きな経済的利権には官僚は触れないが、その中で、もっとも効率的な政策を打ち出す。それはパイを小さくしないことにもつながる。だから、知的な能力を発揮する場面も十分にあり、近年のように無駄に政治的配慮で政策を考えたり、省のスタンスを考えたりする必要もなかった。

これが、自民党の崩壊とともに変化したために、官僚が非効率に政治的に動かなければならなくなった。

これまでの方針を維持すると同時に、政策の実施により生じる諸問題などの政治的な配慮も行うようになった。つまり、官僚が政策をまとめるために根回しをする、すべての利害関係者の配慮をするという政治的な活動をしなければならなくなり、政策のアイデア、構想にエネルギーは行かなくなり、またそういう発想は自分たちの権限では打ち出せなくなった。なぜなら、それが最終決定となるから、責任がもてないのであり、あるべき論を政治家と議論することは無駄になった。昔なら、政策論をぶつけることにより、政治の判断が変われば、世の中は動いたが、いまやそれは最終的なものになる可能性があり、無責任にはできなくなった。

こうして、政策ではなく、調整にエネルギーを費やすようになり、スタンスやヴィジョンは従来どおりのものを守る以外は危険となり、議論しなくなっていったのである。