先ず目指すべきは「生産性の向上」

2011年09月19日 10:00

今回も前回に続き、日本経済の再建に関連し、更にもう少し本質的な問題を考えてみたい。


ギリシャ危機に関連してよく言われる事として、「EU諸国は通貨を統一したものの、各国の経済や財政の状況は様々、にも関わらずそれぞれの国で異なった通貨政策は取れないので、問題が解決できない」という事がある。確かにそういう一面もあろうが、「通貨の統一」が基本的な問題であるかのような言い方は如何だろうか?

ギリシャの問題は、本質的には、「国内産業の生産性が平均的に低いにも関わらず、国の政策が国民にそれに見合わぬ生活水準を保証してきたことのツケ」という事だと思う。それ故、ギリシャ政府は消費税率を上げ、公務員の賃金をカットしたが、こうすれば当然消費が落ち込むから、国民の経済活動は更に萎縮し、結果として税収も落ち込み、財政は一向に改善されそうにない。

この様に考えると、短期的に手の打てる「通貨政策」や、それと一体不可分の関係にある「金利政策」、「公共投資」や「税制」以前に、そしてそれ以上に大きな問題なのは、その国の産業の「生産性の平均値」にあるように思えてならない。

「生産性の平均値」を高めるには、

1)生産性(労働付加価値)の低い分野から高い分野に、極力労働力を移転させる事
2)全般的な「労働装備率」を上げて、生産性の高い分野でも更にそれを一層高くする事
3)企業や行政機関の「経営効率」を上げ、そこで働く労働者の「勤労意欲」を高める事

等々が必要だが、これらは何れも、一朝一夕には実現出来ない事ばかりだ。

翻って日本の現状を見ると、常軌を逸した「財政赤字」は、これまた際立って高い国内の「貯蓄率」で支えられて、少なくとも国際レベルでは当面の懸念材料としては顕在化していない。しかし、「生産性の向上」は遅々として進んでいない為、「国際競争力低下」の懸念から、国内産業の空洞化が進み、これまでは磐石だった「経常収支」が遂には赤字化する事態を招くかもしれないという危惧が浮上しつつある。「経常収支」が赤字になれば、「財政破綻」が現実性を帯びてくると考えている人は多い。

従って、現在日本が抱えている問題を解決する為には、目先の「通貨政策」や「金利政策」以前に、先ずは「生産性向上」の問題に、愚直に取り組むことが必要だと思う。「魔法の杖」を求めるより、先ずは「自分で戦える体力」をつけることだ

そう考えると、現在の日本が如何に無策であるかが分かる。いや、更には、政権交代以来、却って悪い方向に進んでいるのではないかと思われる事さえある。

「生産性の高い分野」は、国際競争が行われていて、日本がそれに打ち勝てている分野であり、これに対し、「生産性が低い分野」は、独占的な事業、農業、サービス業、地場の建設業、等々だが、現状では、「国際競争が行われている分野」での撤退や国内空洞化が目立ち、その分野への労働力の流入は一向に見られていないように思える。(因みに、「政権与党が農村票を失いたくないばかりに、TPP等への対応を逡巡している」事などは、明らかにこの傾向を助長している。)

次に、「労働装備率」に関しては、日本の製造業は概してこれが高いが、製造業に代わる高付加価値の第三次産業や国の公共事業においては、むしろ他の先進諸国に比して遅れているように思える。これ等の分野では、高い「労働装備率」は「製造設備に対する投資」ではなく、主として「ITの導入」によって実現されるが故の事なのかもしれない。つまり、日本では、高齢者がトップに居座っているケースが多い故なのか、IT化のスピードは必ずしも速くないようなのだ。

「経営効率」や「労働者の勤労意欲」に関しては、日本人の勤勉さや集中力は基本的には世界各国の中でも群を抜いていると思うのだが、残念ながら、ここでも「制度疲労」がその実現を妨げているケースが多いように思える。多くの指導者に「リスクを恐れ、決断を先送りにする」傾向が見られ、「労働者の勤労意欲」には、その属する組織によって大きな差が出ている。その両者に共通するのは「既得権」にしがみつく姿勢であり、ここに問答無用の大鉈を振るわない限りは、改善は見込めないような気がする。

さて、私は経済学には疎いが、物事の道理だけは理解できる。だから、「経済」の問題を考える時には、いつも「雇用」「生産性」「消費」「投資」の四つの要素に因数分解して考えるようにしており、そうすると、「経済」の本質に迫れるといつも思っている。

何故なら、人間は、何等かの「労働」(*1)見返りとして、或いは「投資」の見返りとして財貨を受けとっており、この財貨から「納税」(*2)分を差し引いいたものは、「消費」によって他人に移動しているか、「投資(貯蓄を含む)」(*3)されているからだ。

*1「労働」の質と量は、「雇用」と「生産性」の函数である。

*2「納税」されたものも、最終的には何らかの形で、国民の「消費」か、或いは国民の為の「投資」として消化されている。

*3「貯蓄」は「投資」の一部であると考えるべきだ。「貯蓄」されたものの多くは、金融機関を介して「投資」されているからだ。それでも、「隠された金の延べ棒」や、「たんす預金」のような何がしかの純粋な「貯蓄」は常に存在するが、ここでは一応無視する。

それでは、「一国の経済がうまく回っている」状態とはどういうものだろうかと言えば、概ね下記の条件が満足されている状況であると言えるだろう。

1)「労働」したくても職のない(「雇用」されない)人達の数が少なく、その数少ない人達の「生活水準」が一定基準を下回れば、「納税」された財貨で救済出来る範囲に収まっている。
2)「労働」する人達の「生産性」が高く、これによって生じた「余剰時間」と、見返りとして得た財貨が、活発な「消費」活動を可能としている。
3)効率のよい「投資」対象があるので、「投資」が活発であり、その見返りとしての財貨が生み出される一方、それらの「投資」によって「消費」の質が高められている。

これに対して、経済運営がうまくいかず、国民の多くが不幸になるのは、「失業者が多く」「労働生産性が低く」「良い投資対象が存在せず」「消費活動が不活発」という状態だろう。そして、この四つのファクターは相互に関連する。

どんな状況下でも、短期的に経済を上手くまわすのは容易だ。国がどんどん国債を発行し、公共事業をどんどん行い、どんどん減税しながら、どんどん福祉政策も推進することだ。そうすれば、企業は国内に留まり、失業者は減り、消費は活発になり、国民は豊かさを実感する。更に、国民は、金融機関に余剰資金を預けて間接的に国債に投資し、「将来への安心感」を手に入れる。全くもって「いい事ずくめ」で、「生産性向上などは糞食らえ」という訳だ。

しかし、勿論、これには問題がある。「花見酒」を奢り合っているといつかは瓢箪が空になってしまうように、国債はいつかは返済不能に陥り、金融恐慌が起こり、いくつもの企業が連鎖倒産し、多くの国民が無一文で失業し、究極の不幸を味わう事になるという事だ。つまり、残念ながら、この方策を取る事は出来ないという事だ。

前述した「四つの要素」のうちの三つ、「雇用」と「消費」と「投資」は、お互いに「鶏と卵」の関係にある。国の巧みな手綱捌きで、「これらがお互いにバランスをとりながら上昇気流に乗る」事に期待をかけたいのはやまやまだが、それを可能にする「魔法の杖」はなかなか見つかりそうにない。

これに対し、残る一つの要素、「生産性」のみは、とにかく無条件で高めていけばよいだけの事のように思える。しかし、現実には、我々は果たしてこの為に「なりふり構わぬ努力」をしているだろうか? もしそれをしていないとすれば、我々は、今この時点で、既に自ら大きな罪を犯している事になるのではないだろうか? ギリシャの問題は人事ではない。

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