規制緩和を急ごう。しかも地方に任せること

大西 宏

極端な話をしてみましょう。コモディティ化し、生産能力が需要を上回ってしまっている液晶パネルの事業に、資金を注入してはたして液晶パネルの事業で利益がでるようになるのでしょうか。液晶パネル事業が抱えている問題はキャッシュの不足ではなく、利益のでない事業になってしまったことなのです。いくらキャッシュが溢れる状態になっても、利益が見込めない事業にキャッシュは流れません。

なにか目先の金融政策や為替政策の主張ばかりが目立つ風潮になってきていますが、決して健全とは思えません。成熟し、成長性も収益性も落ちてきた産業にいくらカンフル剤を打っても日本経済が元気になるとは到底思えないのです。それは日本の経済再生の先延ばしになるだけだと思います。


もし円高による国内の製造業の空洞化を阻止するために、為替介入を行い、さらに実際出来るかどうかは別問題として金融緩和を行ったとしましょう。それで円安になれば企業の海外進出は止まるのでしょうか。いくら円安になったとしても労働コストが10分の1という現実を変えることはできません。

輸出企業にとっては一服できます。しかし、技術の優位性があってもそれが相対化してしまい、すこし品質が劣っていても、また技術的には遅れていても、価格で負けるようなら、それは一時しのぎの対策にしかなりません。

しかも技術やしくみの優位な企業はそれでも海外に出ていきます。なぜなら、そちらの市場のほうが成長が見込めるからです。この前、テレビで経済学者の人が、いまや製造部門、つまり工場だけでなく、研究開発部門すら海外に移転し始めている、これは空洞化が深刻な事態になったことだとおっしゃる人がいましたが驚きました。

なにに驚いたかというと、そんなことは海外の成長市場に本気で取り組もうとすれば当然だからです。なにも円高のせいだけではありません。
海外市場に適応しようとすると、その地域のニーズにスピーディに合わせる製品を開発する必要がでてきます。だから研究開発部門もその地域に進出します。グローバル化が進むと、ローカライズの動きも必然的に生まれてきます。

よくアンケートでこの円高でさらに海外移転を検討、また計画している企業が増えたということですが、では円がいくらまで下がれば海外拠点をやめるかと聞いてみればと思います。

さらにデフレは、所得が増えない限り、需要不足は続き、そこからの脱出は困難だと思います。もしインフレが起こった場合、企業はインフレによる売上増にあわせて給与をふやすでしょうか。そうはならないでしょう。事業の成長や収益の伸びが期待できない限り、給与を増やすという選択肢は生まれてきません。最悪は不況がさらに続き、インフレが起るという事態です。インフレはさらに所得を下げ、不況を今以上に深刻化させるリスクをもかかえています。

デフレ脱却のためにも、雇用と所得の伸びによる需要の拡大が必要だと思いますが、雇用や所得を増やすためには、産業の生産性の問題に最後は行きつきます。これはアゴラのオピニオンの松本徹三さんが書かれているとおりです。ビジネス現場にいる人ならそう感じている人が多いと思います。

先ず目指すべきは「生産性の向上」 : アゴラ – ライブドアブログ :

ではどう生産性を高めるのかですが、長期的な成長戦略は別として、日本の場合は欧米にはない切り札を持っています。それは霞が関によるさまざまな規制です。規制が新しい事業へのチャレンジにブレーキがかかっており、そのブレーキを外すとどうなるかもっと真剣に議論してもいいのではないかと思います。

大阪府の橋下知事が、投薬する医薬品を調合する自動ロボットの技術はあっても、日本はロボットによる調合は規制されており、事業化は許されていおらず、いくら技術があっても新しい事業が進められないという例をだされていましたが、中央省庁が責任もリスクも負いたくない、また政治家もそれを下手に指摘すると、万が一の場合に責任をとれるのかと攻め立てられると規制緩和には腰も引けます。

たとえば、先に例をあげた液晶パネルでも、一般のテレビ用だとすると、ユーザーが求める品質や機能はもはや過剰だとしても、もし、それが医療用となり、高度な画像解析システムと組み合わせれば話は違ってきます。さらに通信でつなげば遠隔医療にも役立ちます。それには規制を変えなければなりません。そんな話は従来から描かれてきたことですが、遅々として進みません。

もし、成長と、高い収益が見込める事業があるのならそこに資金需要が生まれます。雇用も生まれます。菅前総理が「一に雇用、二に雇用、三に雇用」だと主張したことはからなずしも間違っていませんが、決定的に間違っていたのは、所得の低い層の人たちの雇用だけを広げようとしたことです。

独特のマイナスをなくせば物事が改善されるという発想は現実的ではありません。ビジネスの鉄則は強いところを伸ばすことです。産業も同じです。弱いところに投資するのではなく、伸びそうなところに投資すれば雇用も増えます。

また雇用は中間層から広げることが、効果的だといわれています。中間層での労働需要が逼迫すれば、人材不足を補うために雇用も、給与水準も上がります。結局はその効果で所得が増加し、サービス業などへの波及効果が期待できます。

しかし、逆に雇用対策で、成長性も収益性も見込めない企業に人材を滞留させることになる雇用調整金をだせば、それは潜在失業者を増やすだけで、逆張りを貼ってしまったことになります。

規制緩和についてはこれまでもさまざまに研究されています。しかし、もうひとつ踏み込みが不足しているという印象を受けます。現場の声が少ないのです。それぞれの企業から、どのような規制緩和を行えば、新規事業に投資するのかの声を集めればもっと具体的な対策もでてくると思います。霞が関の官僚では一般論しか出てきません。規制は具体的できめ細かく、規制緩和は抽象的では前に進みません。

また規制緩和と言いつつ、実は規制強化が行われたこともありました。一般医薬品のネット規制が典型です。マスコミはコンビニでも薬が買えるようになると書き立てましたが、わかっていればそんなことはありえないことでした。

まずは、そのような規制を外せば、どのような成長産業が生まれてくるのかの可能性を探り、またターゲットを定めることですが、それを行っても中央集権型の日本では思い切った既成緩和は進まないと思います。

かならず規制緩和で不利益となる業界からの圧力が加わります。官僚も規制緩和で問題が起こると責任が問われることを嫌がり、骨抜きを狙います。政治家も下手に規制緩和を集中すると既得権を持った業界の票も、政治資金も絶たれてしまいます。

結局は、個々の規制緩和を進めようとすると、総論賛成、各論反対となり前に進みません。電子教科書も、いや印刷された教科書がいいとか、あるいはコンテンツが圧倒的に増えることで、平等性を失うのではないかとか、先生がこなせるのかといった議論が起こってしまいます。

中央で決めるからそうなるのです。それぞれの地方に任せることです。それぞれが行った失敗や成果を結果で比較すれば、どのような規制緩和が効果があったかの結論をだすこともできます。失敗を恐れる、リスクを負わないところに新しい産業は生まれません。

地方主権を進め、地方ごとに規制の枠組みを設ければ、日本にも多様な状況が生まれます。しかもそれぞれで行うためにリスクも分散することができます。またそれはそれぞれの知事が選挙の洗礼を受ける事になり、責任の所在もはっきりします。地方主権化こそ日本経済再生のもっとも早道だと感じますが、ぜひ急いでもらうことを願ってやみません。