対抗文化の敗北と勝利

池田 信夫

スティーブ・ジョブズにはいろいろな側面がありますが、意外に知られていないのが対抗文化の影響です。ほとんどのメディアが引用した、彼のスタンフォード大学での講演の結びの言葉、”Stay Hungry, Stay Foolish”は、対抗文化のバイブル、“Whole Earth Catalogue”からの引用です。


60年代末に起こった世界的な学生運動は、政治だけでなく文化の面でも「反体制」の運動を起こしました。ジョブズは学園紛争にはかかわっていないが、その生み出したヒッピー文化の影響を強く受けています。ボブ・ディランのファンで、若いころにはジョーン・バエズの恋人でした。大学をドロップアウトして世界中を放浪し、ヨガや禅にこったこともあります。

こうした経験が彼にどういう影響を与えたのかはよくわかりませんが、IBMに対抗してパソコンを生み出したことは「反体制」の情熱のたまものかもしれません。有名な「1984」をモチーフにしたマッキントッシュのテレビCMは、そういう彼のコンセプトをよく表わしています。GUIを重視する彼の設計思想も、「コンピュータをすべての人のものに」という思想の表現でしょう。

そのころ電話会社の中央集権的な電話網に反抗して生まれたのがインターネットです。その資金は国防総省から出たものですが、開発したのは世界のエンジニアの集まったアナーキーな集団、IETFでした。

西海岸のUNIX文化は対抗文化の影響を強く受け、GNUに始まるオープンソース運動もその末裔です。GNUはLinuxを生み出し、今日ではグーグルの基本思想です。この意味で、ITの世界では対抗文化は「革命」によってIBMやAT&Tに代表される旧秩序を倒したといってもよい。

それに対して学生運動は、政治的にはほとんど何も残さなかった。特に日本では、それは反スターリニズムという左翼の中の分派闘争になったため、分派がさらに分派を生み、最後には内ゲバになって自壊しました。現在の民主党政権の中核にいるのは、当時の学生運動の「右派」ですが、政治的には何も建設的なものを生み出していない。

反原発運動も、対抗文化の遺産です。エコロジーとか太陽エネルギーというのは、私の学生時代ぐらいからはやりはじめた、左翼の延命策です。「ソフトエネルギーパス」が流行したのも70年代から80年代で、それはSmilも指摘するように”Small is beautiful”というイデオロギーの産物だったのです。

しかし”Whole Earth Catalogue”の著者、スチュアート・ブランドが原発推進論者になったことは象徴的です。エコロジー運動の求めた「純粋な自然」などというロマン主義は、対抗文化の夢見たユートピアにすぎない。ジョブズは「自然に帰る」のではなく、徹底的な人工物としてのコンピュータによって対抗文化の理想を実現したのです。