平成14年から横浜市長を2期勤めた中田宏さんが書いた「政治家の殺し方」(幻冬舎)を読んで驚いた。「こんな事が本当にあるのだ」という驚きだが、この驚きはだんだん怒りに変わり、その怒りは、私の心の中で次第に行動意欲に変わりつつある。「こんな事が白昼堂々と起こる社会を、何としても変えなければならない」と、今は本気で思っている。
私は4年前まで横浜に住んでいたので、中田市長の事はよく知っていた。松下政経塾出身で、若くして衆議院議員を3期勤めたが、オール与党相乗りの現職の横浜市長(高秀氏)の4選に異を唱え、無党派で草の根選挙を戦い、見事に当選した。彼の主張は衆議院議員時代(当初は新進党)から筋が通っており、私はずっとそれに好感を持っていたが、市長になってからは、政治家には珍しく「ビジネス感覚」(要言すれば「スピード」と「コスト意識」)がある事に感銘を受け、「将来は日本を代表する政治家になる器」と考えて、密かに応援していた。
しかし、私はその後横浜市の住人でなくなり、彼に対する興味も薄くなっていたところに、週刊誌などに相次いでスキャンダルが報じられ、「あ、人間は若くして偉くなると、矢張りこういう事になってしまうのか」と思い、「こんな脇の甘い事では、政治家としての大成は無理だろうな」と、半ば見切りをつけてしまっていた。
だから、もともと多選に反対してきた彼が、当然の事として自らの多選は求めなかったのみならず、「市長選を衆院選の期日にぶつけて、各党相乗りの無風の市長選を阻止しよう」という遠慮深謀から、任期途中で市長を辞任した時も、「開国博が不調だった責任を取ったのだ」という世間の噂をそのまま信じ、「まあ、あれだけスキャンダルで叩かれたら、『もうやってられない』と思うだろうなあ」と勝手に想像し、冷ややかに見詰めていた。
その為、昨年7月の参院選で、彼が他の地方自治の経験者達と語らって「日本創新党」という新党から出馬した時も、私は特に興味をもたなかった。これも後で分かった事だが、現職の国会議員がいないと政党扱いされず、討論会やメディアでの露出機会も極めて少なくなるらしく、彼等の選挙戦は全く冴えず、彼自身も敢なく落選した。
今、彼の書いた「政治家の殺し方」という本を読んでみて、私は初めて自分の不明を激しく悔いている。「火のないところに煙は立たないと単純に考えて、週刊誌の報道などを半ば鵜呑みにしてしまった自分は、まるで子供のように単純だった」という自責の念がある。それと同時に、この「根も葉もない出鱈目なスキャンダル」を明確な意図をもって仕組んだ人達や、それを利用して大いに騒ぎ立てた週刊誌などを激しく憎む。こんな事はもう許せない。
中田市長を憎み、何とかして彼を追い落としてやろうと考えていた人達が沢山いた事は想像には難くない。中田さんは、市長に就任後すぐに選挙公約だった「財政再建」に着手した。これは、「無駄遣いの巣窟になっていた公共事業」にメスを入れると共に、民間ではとても考えられないような「市職員の大甘の勤務条件」を抜本的に改める事を意味したから、建設業界や市職員(及びその既得権を守ろうとする自治労)の大反発を受けるのは当然だった。
「中田市長はあまりに張り切りすぎて改革を急ぎすぎた。もう少し相手の立場も考えて、時間をかけて説得していけばよかったのではないか」と考える人もいるだろう。私自身も、長年の自分自身の仕事のやり方に対する反省から、ついついその様に考えてしまいがちな傾向がある。しかし、よく考えて見ると、これは多くの人が陥りやすい罠だ。摩擦を避けようと一時的な妥協を繰り返しているうちに、時間は瞬く間に過ぎるし、そのうちに妥協が習い性になってしまう。「改革」というものは、やはり、摩擦を恐れず一気呵成にやるのが常道だ。歴史的に見ても「漸進的な改革」が成功した例はあまりない。
中田さんは、これに加えて、市内の「初黄・日の出地区」と呼ばれる地域にはびこっていた売春店の一層にも乗り出した。これはその地域を仕切る暴力団組織と対決する事を意味するから、相当の覚悟をしなければ取り組めない仕事だ。あまり度胸があるとは言えない私なら躊躇ったかも知れないが、理想を実現すべく市長になった中田さんにすれば、この様なあからさまな不法行為が野放しになっているのを見て、とても「見て見ぬフリ」はしていられなかったのだろう。
しかし、大きな力を持った「建設業界」「自治労」「暴力団組織」を同時に敵に回したらどうなるか? 味方は一部の良識ある市職員や「声なき一般市民」だけだ。「中田市政」を潰したい人達が、「金」と「組織力」と「強面」を駆使して仕掛けてきたネガティブキャンペーンに抗するには、あまりに非力だったのは明らかだ。
改革を支援する人達の懸念が、「こんな事をしていたら、そのうちに市の財政は破綻する」という、間接的で中長期的なものであるのに対し、反対派の懸念は、「利権がなくなれば、これまでの生活が続けられなくなる」という、直接的で切迫したものだ。そして、どんな場合でも、直接的な利害関係者の声は、「最大多数の最大幸福」や「社会正義」を求める「良識派」の声よりも、大きくなるのが普通だ。
それにしても、「市長の追い落とし」を目的として、ありもしない事をでっち上げた既得権者達の卑劣さもさることながら、事実関係を良く確かめもせずにこれに便乗し、過激で下品な記事を執拗に掲載し続けた「週刊現代」(講談社)の恥ずべき行為は、何にも増して厳しく糾弾されなければならない。
ジャーナリストの人達は、本来は「一般大衆に真実を知らせる」という高邁な理想に突き上げられてその職を選んだ筈だ。それなのに、一般大衆の興味をそそるようなネタばかりを探し出し、過激な見出しで売り上げを延ばす事のみに汲々としているうちに、彼等の良識は跡形もなく消えうせてしまったものと見える。最早彼等をジャーナリストと呼ぶ事さえ憚られる。
2007年の11月から年末まで、「週刊現代」は、毎週の如く、次のように毒々しい表題のついた記事を連続的に掲載した。
-中田宏横浜市長「私の中に指入れ合コン」「口封じ恫喝肉声テープ」
-ワイセツ合コン 横浜市長中田宏氏の「公金横領疑惑」「黒い人脈」
-中田宏横浜市長は海外視察をサボってキャバクラで「ホステスおさわり」
-横浜・高秀秀信前市長の未亡人美智子さんが激白「夫は中田宏に殺された」
-「消えた選挙資金1000万円」と「税金ネコババ」疑惑、市民団体が刑事告訴へ
-中田宏横浜市長との不倫、卑劣な素顔
-私は中田宏横浜市長を訴えます
ここまでやられると、どんな人でも「火のないところに煙は立たない」と思ってしまうだろう。しかし、驚くべき事に、これ等の全ては、実は全くの「嘘」だったのだ。「私と結婚の約束をしていたのに裏切られた」として慰謝料請求の裁判を起こし、テレビで会見までした元ホステスの女性は、中田さんとは全く面識もなく、誰かに金を貰って一芝居打っただけだった事が分かった。実際に彼女は、中田さんが起こした訴訟では、一度も法廷に顔を出す事はなかったと聞く。
結果として、当然の事ながら、中田さんは全ての訴訟で完全勝訴した。しかし、日本の裁判は時間がかかるので、その間には3年に近い歳月が費やされてしまった。
週刊誌では、「誤報」や「誇張記事」は枚挙の暇もないが、ここまで酷いケースは珍しい。という事は、少なくともこれを書いた記者は、この罠を仕掛けた連中から何等かの金品を受け取っていたではないか? 「週刊現代」レベルの週刊誌の編集長なら、当然途中で「これは少し変だ」と感じた筈なのに、なおも異常ともいえる執拗さで掲載を続けたのには、何等かの力学が働いていたのではないか? この様な疑惑に、日本を代表する出版社の一つである講談社はどう答えるのか?
これはマスコミに対してだけでなく、ネットの書き込みについても言えることだが、日本では「名誉毀損」に対する罰則が軽すぎるのではないだろうか? 講談社は当然何等かの訂正記事を掲載した上で、なにがしかの損害賠償金を支払ったのだろうが、「訂正記事」には、あの膨大な量の「嘘記事」の何十分の一のスペースしか割かなかった筈だし、支払った賠償金は、あの毒々しい見出しにつられてその週の「週刊現代」を買ってしまった読者からせしめた売上金と比べれば、微々たるものに過ぎなかったのではなかろうか?
この件で中田さんが受けた屈辱と蒙った被害を償う為には、講談社の経営者はテレビで深々と頭を下げて自らの不明を侘びると共に、事の経緯を詳しく説明し、「週刊現代」はしばらく休刊しても然るべきと思うのだが、実際には、そんな考えが彼等の頭の片隅に一瞬でも宿るとはとても思えない。彼等は殆ど何の痛手も受けず、同じ様な事はまた繰り返されるだろう。
判決が出るまでの長期間にわたり「憎っくき中田市長」を苛め抜いて快哉を叫んでいただろうこの件の仕掛け人達(中心人物は、もしかしたら現職の市会議員かもしれない)も、何の社会的制裁を受ける事もなく、今も尚、のうのうと毎日を暮らしている事だろう。これは明らかに社会正義にもとる。
私は中田さんには直接は何の関係もないが、かつては政治家としての彼に大きな期待を持っていたにも関わらず、迂闊にも反対派と講談社にまんまと騙されて、先の衆院選でも彼を応援しなかった事で、心は大いに傷ついている。だから、この事はそう簡単には忘れない。何らかの方法でこの恨みを晴らしたい。恥知らずの既得権擁護派と無責任なジャーナリストには、何時の日か、何等かの機会をとらえて痛撃を与えたい。
被害を受けた中田さんについては、私自身でどんな事が出来るかは未だ分からないが、今後は粘り強く応援していきたい。
現実に、彼が横浜市長だった時に達成した成果には素晴らしいものがある。公共事業においては談合が根絶され、これによりコストは大幅に削減された。各種の補助金は容赦なく削られ、赤字のバス路線なども統廃合された。市の職員(交通局や水道局のような公営企業の人員を含む)の数は、市長就任時には34000人いたのが、退任時は27000人と20%も減った。(これから大改革が期待されている大阪市と比べると、横浜市は同等のサービスを現在ほぼ半分の数の職員でやっている事になる。)
この様ななりふり構わぬ努力の結果として、また、ビジネスの世界でも十分通用する彼の合理的な手法により、市長就任時は慢性的な赤字により破綻寸前だった市の財政は見違えるように好転した。就任2年目で黒字決算、3年目には市債の残高が減少に転じたわけだから、まずは文句のつけようのない成果だったと評価していいだろう。
政治家としての中田さんのこれからの戦略としては、持ち味は少し違うが、同じ様な考えを持っていると思われる橋下大阪市長と連携して、地方行政と国政を結びつける事を考えて欲しい。何者も恐れず本気で改革に取り組む中田さんのような政治家が、現在の試練を乗り越えて、これから大きく飛躍される事を切に望んでいる。