瓦礫を拒否するエゴイズム

池田 信夫

反原発は人々の私的な利害を超えて「正義」に訴える運動だと思っていたが、どうやら最近は単なる地域エゴになったようだ。放射能を拡散させない市民の会なる団体は、全国の自治体の瓦礫受け入れ状況を地図に表示して組織的に反対運動をしている。

河野太郎氏も説明するように、被災地のほとんどは原発事故の影響を受けていないのだから、被災地の瓦礫をすべて拒否するのは筋が通らない。実際の線量も、東京や横浜と変わらない。それを移送する先がないと瓦礫や汚泥が除去できず、被災地の復旧が行き詰まってしまう。去年は原発への恐怖をあおった橋下徹市長も、瓦礫の放射線は問題ないレベルだと説明している。


ところが、このウェブサイトに出ている「がれき受け入れについて医師の立場からの意見書」は「10Bq/kgに規制を強化すべきだ」という。その根拠は、バンダシェフスキーなるバズビーの友人がウェブに載せた記事だ。彼によれば、セシウム137で「心臓血管系、神経系、内分泌系、免疫系、生殖系、消化器系、尿排泄系、肝臓系における組織的・機能的変異によって規定される代謝障害」が起こるという。その論拠はラットなどの動物実験の未確認データだけだ。

こういうゼロリスク原理主義者の主張の特徴は、リスクの定量的な評価がないことだ。この意見書を見ると「内部被曝は外部被曝よりはるかに恐い」というのが論拠になっているようだが、福島県の内部被曝検査では99.8%の人の預託実効線量は生涯で1mSv以下である。この意見書を書いている医師を自称する3人は、今後50年で1mSvの内部被曝のリスクがどれぐらいあるのか、科学者なら定量的に語れ。

反原発運動には環境を守るという大義があったが、瓦礫受け入れ反対運動はそういう大義も論理的な根拠もなく、「被災地はどうなってもいいから自分だけはリスクをゼロにしろ」という卑しいエゴイズムだ。「福島の農産物は毒物だ」と称して被災者を苦しめる武田邦彦氏や早川由起夫氏と同じである。ここまで堕落すると、運動が自壊するのも時間の問題だろう。