今の日本社会には、「維新中毒」という病が蔓延している。
維新中毒とは、これからの社会をどうするかを考えるとき、もっぱら維新のイメージにばかり頼る症状のことである。
維新ということばは、もともと中国の古典『詩経』に由来する。その「大雅・文王篇」に、「周雖旧邦 其命維新」という形で出てくる。古代中国の周という国は古くからあるものだが、今や新たな命を獲得したという意味である。水戸藩にいた藤田東湖が、藩政を改革するときのスローガンとしてこれを用いたのが早い例で、現在ではもっぱら「明治維新」をさすことばとして使われている。
維新中毒が進行すると、「船中八策」やら、「脱藩」ということばをやたらと使うようになる。いずれも、土佐の藩士だった坂本龍馬に由来する。維新中毒は「龍馬症候群」と言い換えることもできる。
過去にも維新中毒が蔓延したことがあった。大正時代には、新宗教の大本が、「大正維新」のスローガンを掲げて、社会の根本的な刷新を主張した。この時代には、労働争議が頻発し、米騒動も勃発していた。日清、日露の戦争に日本が勝利したことで、急速な近代化、工業化が起こり、社会矛盾が一気に噴出したのだ。
大本には、学生や知識人、さらには軍人までが入信するようになり、大正維新の気運は高まった。大本では、それに乗じて、「大正10年立替説」が唱えられるようになる。大正10年、つまり1921年には世界が壊滅し、新しい世界が出現するというのである。こうした終末論的な予言は外れるのが宿命で、外れたために多くの人が大本を去った。そして、大本は警察権力による弾圧を受ける。
次に維新中毒が蔓延するのは、昭和に入ってからである。世界恐慌が起こり、国際関係が不安定化するなかで、右翼や急進的な軍人が「昭和維新」を唱えるようになる。社会が行き詰まりを見せるなかで、天皇親政に引き戻そうというのがその運動の狙いだった。このときには、明治維新に由来する「討伐」や「天誅」ということばが用いられ、暗殺が正当化された。この昭和維新は、「5・15事件」や「2・26事件」に発展する。
社会に閉塞感が広がったとき、それを一気に転換させるようとして、維新ということばが唱えられる。今日の平成の時代も、同様に閉塞感が広がっているとされ、そのなかで維新のイメージが喚起され、政治的なスローガンとして用いられるようになるわけである。
平成における維新中毒の特徴は、龍馬症候群がとくに強くあらわれているところにある。それは、大正維新や昭和維新には見られなかったことだ。
坂本龍馬は、土佐藩を脱藩して、維新の志をもつ志士となり、薩長同盟や大政奉還の成立に貢献したとされている。何より、31歳で暗殺されたことが、そのイメージを鮮烈なものにしている。
しかし、いざ維新が実現され、明治時代に入った時点では、龍馬は社会的にそれほど注目されてはいなかった。やがて、地元土佐の新聞に伝記小説が掲載され、評判になったことをきっかけに、しだいにその名前が知られるようになる。土佐の人間たちが、龍馬の「神格化」につとめたのだ。
その結果、戦前にも映画が作られるなど、龍馬は人気者になっていくが、むしろその神格化は戦後に進んだ。山岡壮八の『坂本龍馬』(1956年)や司馬遼太郎の『竜馬がゆく』(1962年)が刊行され、龍馬は国民的なヒーローに仕立て上げられていく。
これはちょうど、日本が高度経済成長の時代に突入した時期にあたっている。国立国会図書館の蔵書を検索してみると、坂本龍馬についての本が数多く刊行されるようになるのは、1967、8年になってからのことで、それは学生運動の時代にあたる。そして、昭和維新に強い関心をもった作家の三島由紀夫が自衛隊に乱入して切腹自殺を遂げたのが1970年のことだった。
こうして、維新中毒は龍馬症候群と深く結びついていくようになる。維新中毒にかかった人間たちは、今では討伐や天誅といったことばを用いることはない。もっぱら使われるのは、龍馬に関係することばばかりである。
明治維新の性格をどうとらえるかでは、かつてマルクス主義者のあいだで、「日本資本主義論争」が戦わされた。維新は体制の大きな変革ではあっても、民衆が担った「革命」ではない。日本の社会では、これまで革命に相当するような社会変革は行われていない。そこで、維新ということがくり返し持ち出され、維新中毒が蔓延することになるのだが、問題は、維新によって何がもたらされるのかである。
明治維新によって生まれた明治新政府は、薩摩藩や長州藩といった周辺に位置する藩が中心となった政権で、天皇親政をスローガンにかかげたものの、やがて天皇は現人神に祀り上げられ、中央集権による強権的な支配構造が確立されていった。はじめて徴兵制が敷かれ、やがて日本は戦争の時代に突入していくことになる。
いったい維新の後に何が起こるのか。維新中毒になると、それが見えなくなる。
島田 裕巳(しまだ ひろみ)
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」