洗脳は可能なのか? --- 島田 裕巳

アゴラ編集部

またぞろ「洗脳」やら、「マインドコントロール」ということばが巷をにぎわしている。
きっかけは、人気お笑いコンビ、オセロの中島知子さんが、霊能者と称する女性に食い物にされており、その際に霊能者は中島さんを洗脳し、マインドコントロールしていると伝えられたことに発している。

芸能人と洗脳、マインドコントロールということでは、1990年代のはじめ、統一教会の合同結婚式をめぐって、そこに複数の芸能人が参加したことで話題になったことがある。


しかし、今回の騒動は、そのときとはかなり様相が異なっている。統一教会は世界的な組織だが、霊能者はひとりの個人にすぎない。統一教会には開祖もいれば教義もあり、日本では宗教法人として認証されている。そうした組織による行為と、霊能者個人の行動とを同列に考えることには無理がある。

だが、メディアによる報道では、もっともそれは芸能ジャーナリズムということになるが、霊能者が洗脳やマインドコントロールのテクニックを駆使して中島さんを操っているかのように伝えられている。

果たして洗脳やマインドコントロールという概念をそこまで拡張して用いていいのか。さらに言えば、洗脳やマインドコントロールということはいったいどういうことなのか。ここで改めて考える必要があるかもしれない。というのも、他のケースでも、洗脳やマインドコントロールということばが一般に使われることがあるからである。

洗脳ということが問題になったのは、朝鮮戦争のとき、捕虜になったアメリカ人が中国共産党の手によって共産主義の思想を信じ込まされたという出来事が起こってからである。この事実に、アメリカの当局は衝撃を受け、そこから、洗脳(brainwashing)ということばが広まり、洗脳についての研究が行われるようになる。

代表的な研究としては、ロバート・J・リフトンによる『思想改造の心理―中国における洗脳の研究』がある。これは、誠信書房から翻訳が出ているが、現在は品切れである。

実際に、中国共産党による洗脳を受けたのが、清国最後の皇帝、いわゆる「ラストエンペラー」の愛新覚羅溥儀である。その自伝『わが半生―「満州国」皇帝の自伝』(ちくま文庫)には、捕らわれの身となった彼が、共産党の手によっていかに共産主義の思想を注入されていったかが詳細につづられている。

洗脳と言うと、暴力的な手段を用いて、強制的に特定の思想やイデオロギーを注入するというイメージがある。たしかに、中国共産党は自由を奪われた人間をその対象としたのだが、必ずしも暴力的に人格を改造しようとしたわけではない。重要なのは、洗脳の対象となる本人が、自発的に共産主義の思想を受け入れるかどうかで、中国共産党はそれが実現されるまでかなりの時間をかけている。

その後、この洗脳という概念が宗教団体に対しても用いられるようになり、とくに「カルト」と呼ばれるような小規模で急進的な宗教集団では、洗脳を行っていると告発されるようになっていく。

ただし、カルトでは、捕虜のように長期にわたって物理的に拘束するわけではないので、洗脳ということばでは強すぎるということで、しだいにマインドコントロールということばが使われるようになっていく。

洗脳ということば自体、比喩的な表現であり、実際に脳を洗うわけではない。その点で、いったい洗脳がどういったことなのかかなり曖昧な部分を含んでいるが、マインドコントロールとなるとさらに概念としての明確さに欠けている。

たとえば、マインドコントロールと教育はどこで違うのか、それを説明することが難しい。宗教ということで言えば、カトリック系のミッションスクールでは、信者ではない生徒に対してもミサなどの儀式への参加が強制されるなど、定期的に宗教教育が施される。対象が思春期の若者であるだけに、その影響はかなり大きい。果たしてそれはマインドコントロールなのか、それとも教育なのか、その区別は難しい。

また、人格が十分に発達していない思春期だからこそ、宗教教育の強い影響を受けるのであって、いくら周到に洗脳が行われても、対象者が成人であると、その影響が長続きしないという面がある。実際、共産主義者になったアメリカ兵も故国に戻ってくると、すぐに洗脳から脱し、共産主義を捨てたと言われている。

この点は重要である。捕虜であるあいだは、中国共産党の言うことに従わないと、制裁を受けるなど困った事態に直面する。だからこそ、共産主義者へと変貌していくのだが、そうした環境がなければ、共産主義者である必要はない。つまり、一定の思想やイデオロギーを注入しようとしても、洗脳される側に、あるいはマインドコントロールされる側に、それを受け入れる動機や要因がなければ、思想もイデオロギーも定着しないのである。

中島さんが、その霊能者にマインドコントロールされているにしても、そこには彼女本人の側の都合や理由があったはずである。そちらの部分が解決されない限り、状況は改善しない。

しかも、周囲がなんとかしようとしても、本人は成人であり、立派な大人である。たとえ家族でも介入は容易ではない。周囲も、いったん洗脳やマインドコントロールということばを使わずに事態を分析する必要があるだろう。

私は、あるメディアからの取材に、中島さんは、悪質なヒモにたかられているような状態ではないかとコメントしたが、霊能者ということばに引きずられて、これをカルトやマインドコントロールの問題としてとらえるのは、実態からずれていく危険性がある。
おそらくこれは、中島さんのこころの問題であり、あるいは霊能者のこころの問題なのである。

島田 裕巳(しまだ ひろみ)
宗教学者、文筆家
島田裕巳の「経堂日記」