放射線防護の重要文書「ICRP勧告111」の解説=規制を考える際には「最適化」「正当化」「住民の関与」が必要

2012年02月29日 13:52

アゴラ研究所のエネルギー研究機関GEPRのリポートを転載する。

アゴラ研究所フェロー・石井孝明

ICRP勧告111「原子力事故または放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」(社団法人日本アイソトープ協会による日本語訳英文原典)という文章がある。これは日本政府の放射線防護対策の作成で参考にされた重要な文章だ。そのポイントをまとめた。


ICRPとは何か、そして日本への影響とは

この文章は国際科学防護委員会(ICRP)が2008年に公表した。ICRPとは1950年に設立された民間団体。同団体はUNSCER(国連原子放射線の影響に関する科学委員会)に集まった放射線をめぐる情報を基に専門家が対策を勧告している。ICRPの意見を参考にして、国際機関のIEA(国際原子力機関)、WHO(国際保険機構)が、放射能をめぐるさまざまな国際基準を作成し、加盟各国に勧告する。

福島原発事故の後で、日本政府はICRPの提供する指針、特に勧告111を政策決定の参考にした。

日本政府の科学的な問題についての諮問機関である日本学術会議は、2011年6月に会長談話「放射線防護の対策を正しく理解するために」を公表した。

この談話はICRPの放射線防護についての勧告は妥当と表明した。そして「今回のような緊急事態に対応する場合には、一方で基準の設定によって防止できる被害と、他方でそのことによって生じる他の不利益 (たとえば大量の集団避難による不利益、その過程で生じる心身の健康被害等)の両者を勘案して、リスクの総和が最も小さくなるように最適化した防護の基準をたてること」としている。

また日本政府・内閣府が昨年11月にまとめた有識者会議「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」では、ICRPの基準を採用し、緊急被爆時である現在の被曝量を年間20ミリシーベルト(mSv)にするべきと、勧告した。

ICRP勧告111のポイント—「最適化」「正当化」「住民の関与」

ICRP111勧告は長文であり、ポイントをまとめる。以下の3点が重要だ。

1)放射線の被曝量は収束・復興期で年間1~20mSvが妥当

ICRPは勧告111で収束・復興期における被曝量を年間1~20mSvで設定するべきとしている。(暫定日本語訳11ページなど)

ICRPは被曝基準について、平時年1mSv、緊急時・事故直後年1~100mSv、収束段階年1~20mSvの数値を推奨している。勧告111はこれまでの数値を確認する一方で、緊急事態では一時的に基準を緩和するという考えを示した。

2)被曝防護対策の「最適化」と「正当化」が必要

ICRPは勧告111で、被曝防護対策の「最適化」と「正当化」の必要を強調している。

最適化とは、被曝のもたらす健康被害と、それをなくそうとする防護対策の不利益のバランスを取ることだ。例えば、避難によって地域社会の崩壊、また経済活動の停滞などが起こる可能性がある。これはチェルノブイリ原発事故で生じ、現在の福島でも起こっていることだ。そうした不利益を放射線防護対策で配慮しなければならない。(暫定日本語訳29ページなど)

被曝防護対策は関連する市民に対して制約を加える。正当化とは、「不便の強要」に正当な根拠があることを関係者に示さなければならないということだ。(暫定日本語訳27ページなど)

3)住民の参加と行政当局の責任

ICRPは勧告111で、防護対策の最適化、正当化を達成するために、住民を含めたステークホルダーが問題に積極的に対策かかわることが必要であることを指摘している。また国、地方自治体などの各当局も、住民の参加をうながし、住民の健康の維持と「最適化」と「正当化」を実現することを求めている。(暫定日本語訳10ページなど)

結論—難しい現実への適用

この勧告には批判もある。オックスフォード大学名誉教授のウェイド・アリソン氏はGEPRへの寄稿「放射線の事実に向き合う―本当にそれほど危険なのか?」で、この基準が厳しすぎて現実的ではないと指摘している。

ICRPは勧告111で対策の原則を示すものの、実際の適用方法については書いていない。具体的な適用の形はそれぞれの国、社会で異なる。日本では、福島原発事故の後で、これらの原則が放射線防護対策で配慮されない場面が多かった。

例えば、日本国内では「最適化」の面で国民の議論は詳細に行われていない。防護対策と社会的な損失をめぐる考察の検討が少ないのだ。

1986年に原発事故の起こったチェルノブイリ周辺地域では、住民の被曝基準を5mSvに設定した。それに基づき強制移住を行った。その結果、社会混乱、また移住した結果、精神不安などによる住民の健康被害などが起こった。それをロシア政府は失敗と認めている。(ロシア政府報告書「チェルノブイリ事故25年 ロシアにおけるその影響と後遺症の克服についての総括および展望1986~2011」より、最終章「結論」)

日本政府は「正当化」のために、規制について真摯に国民に情報を示さなかった。福島の原発事故の事故直後に日本政府は被曝基準を1mSvから20mSvに引き上げた。突如20倍になったことに、多くの市民が不安を抱いた。この基準の変更は、ICRPの勧告に従ったものだが、その説明が広く衆知されなかった。

2012年2月時点で、日本政府は福島県の事故周辺20キロメートルを警戒区域、また福島県飯館村などを計画的避難区域に設定している。これらの地域の住人は原則として避難をしている。これらの区域の設定時点で、政府・行政当局は放射能と健康をめぐる情報を適切に提供した上で、避難をするべきかどうか、住民に判断させなかった。

日本には「仏つくって魂入れず」ということわざがある。残念ながら、福島原発事故後に、日本の政府も、また社会も、ICRP勧告111の数値だけに注目し、重要なポイントとそこに織り込まれた思想を、放射線防護対策に反映させていない。これは政府だけの問題ではなく、市民の行動でも問題があった。

福島・東日本の放射線防護対策で、「正当化」「最適化」そして「住民の関与」というICRPの示したポイントを、私たち日本人は考えなければならない。

注・東京大学医学部の中川恵一准教授の「放射線医が語る被曝と発がんの真実」(ベスト新書)を参考にした。

追加情報 ICRPは健康被害の推計をしてはいけないと指摘

福島の原爆事故で「がんが××人増加する」などの情報を示し、拡散する人がいる。例えばECRR(放射線リスクに関する欧州委員会)と呼ばれる民間任意団体のバズビーという人物が、独自のモデルと称して、「福島で被曝によるがんの死者が40万人増加する」などの、不安をあおる情報を流した。一連の情報は、ICRPの放射線防護の基準の背景にあるLNT仮説を用いたものだ。

「100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(内閣官房・低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書)と、科学的な評価は一致している。

LNT(しきい値なし直線仮説)は、被曝量の増加量に応じて増減によって比例して発がんリスクが増加するという考えで、健康被害を抑えるために、防護に関してはこの考えを採用している。これを低線量被曝の領域でも応用した。

ICRPは自らの採用したLNT仮説をこうした計算に使うべきではないと、勧告103(英文、p13(k))で以下のように示している。

「特定した個人の被曝において、確率的影響のリスクを遡及的に評価するために使用すべきではなく、またヒトの被ばくの疫学的な評価でも使用すべきではない」。

この詳細は、東京大学医学部准教授、同大学病院の中川恵一氏のGEPRへの寄稿「放射線被曝基準の意味」を参照いただきたい。

福島、および日本の良識ある市民は、ICRPの名と権威を使った誤った情報に惑わされることのないことを願う。

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