ソニーはなぜアップルになれなかったのか

池田 信夫

中島聡氏の「誰も言いたがらないSonyがAppleになれなかった本当の理由」というブログ記事をめぐって議論が起こっているが、ちょっと話が混乱しているので整理しておこう。

中島氏のいう理由は「日本では雇用規制が強いので工場を閉鎖できなかった」という話で、これは「誰も言いたがらない」どころか、(私を含めて)多くの人が問題にしている。日本の雇用規制が企業の事業再構築を阻んでいることは事実だが、ソニーの失敗はそれが原因ではない。


ジョブズはアップルに復帰した後の1997年、35あった製品系列を4つに削減してソフトウェア開発に特化し、それ以外の事業と工場をすべて売却した。日本の労働市場は過剰規制だが、資本市場は自由なので、ソニーのようなグローバル企業にとっては事業売却によって世界最適生産を行なうことは(時間をかければ)むずかしくない。問題は、それをやらなかったソニーの経営陣(特に出井伸之氏)にある。

事実上の解雇も不可能ではない。大企業の人員整理はほとんどが希望退職なので、解雇には当たらない。指名解雇さえ不可能ではない。チェイス・マンハッタン銀行日本法人の人事部長だった梅森浩一氏も語るように、外資は「自主退社」という形で解雇している。経営者に確固とした戦略があれば、事業や人員の整理はできるのだ。

もちろん問題を経営者個人の力量に帰着させるのはフェアではない。日本の組織はタコツボ的で、全体最適化がむずかしいという「持病」があるからだ。ところが出井氏はカンパニー制にして、タコツボ化に拍車をかけてしまった。役員会は各カンパニーの利害調整の場になり、全員の合意がないと何も決まらず、政治力の強い役員のわがままが通る。事業売却は当のカンパニーにとっては死刑宣告だから、全力で回避しようとする。

こうした失敗は、今も繰り返されている。ソニーの新製品PlayStation Vitaは、驚いたことにOSを二つ搭載している。Androidだけにすべきだという声が強かったが、この端末のために自社開発したVITA OSを切れなかったのだ。新清士氏がレポートするように、これは日本軍の「失敗の本質」のほとんどカーボンコピーである。

だから本質的な問題は、現場の自律性が強すぎて司令塔のない「江戸時代」型の組織構造にあるのだ。これは日本の政治と同じである。もちろん雇用規制や憲法が決定を困難にしているという制度的な要因はあるが、民主党が雇用規制を一貫して強化しているように、それを改めようという意識さえない。既存の企業の中の人には、現状が快いからだ。

この問題は根深く、規制改革だけで是正できるようなものではない。現に資本市場にはほとんど規制がないのに、経営者はそれを使わない。資本市場が活性化すると、無能な経営者が淘汰されるからだ。問題の所在が認識されない限り、それを解決することはできない。28日のセミナーでは、こうした課題を歴史的な視野から考えたい。