脱原発は国民の総意、道筋を考えよう=自然エネルギーによる社会変革への期待(上)-UNEP・FI顧問末吉竹二郎氏に聞く

2012年06月13日 07:30

アゴラ研究所の運営するエネルギー調査機関GEPR(グローバルエナジー・ポリシーリサーチ)の記事を転載する。GEPRは中立的な立場に立ち、エネルギーについて読者の皆様の参考になる多様な情報を提供している。これまでのコンテンツでは急速な脱原発や、また自然エネルギーの過度の支援についての批判があった。ここに示された自然エネルギーの可能性を強調した意見を読み比べることが、読者の皆様の思索のきっかけになることを願う。(GEPR編集部より)。


photo本文 エネルギー政策の見直しの機運が高まり、再生可能エネルギーへの期待が広がる。国連環境計画金融イニシアティブ(UNEP・FI)の特別顧問を務め、環境、エネルギー問題のオピニオンリーダーである末吉竹二郎氏の意見を聞いた。

末吉氏は三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)取締役、日興アセットマネジメント副社長などを務め、金融ビジネスでの経歴が長い。金融業界は昨年、ESG(環境、社会性、企業統治)に配慮することを宣言した「持続可能な社会の形成に向けた環境金融行動原則」を作成したが、末吉氏はその起草委員会の委員長を務めた。孫正義氏の創立した自然エネルギー財団では、副理事長を務めている。

悲劇を振り返れば原子力への希望は抱けない

-原子力の未来をどのように考えますか。

まず東日本大震災のすべての被災者の方々、また福島第一原発の事故に損害と苦しみを今でも受けている皆さまに、心からの御見舞いを申し上げます。原発事故後の社会混乱、また今なお続く被災者の苦しみを考えれば、また広島、長崎での原爆による人類史上類を見ない悲惨な経験をさせられた日本国民の一人として、私は原子力の未来へ明るい希望をどうしても抱くことができません。これは大半の日本人に共通する思いでしょう。

私は福島原発事故の後に海外の専門家と話し合う機会をいただきました。昨年4月30日に放送されたNHKBSの国際放送の番組で、アメリカ、中国、ドイツの専門家たちとの議論です。強く印象に残ったことがあります。それは、有用性は認めるものの、原発には「分からない」リスクが沢山あるという共通の認識でした。

-原発の不透明感は多くの人々が感じていますね。

私はこの番組の冒頭で、原発の事故には「管理の不可能性(unmanegeable)」「制御の不可能性(uncontrorable)、「予測の不可能性」(unpredictable)が伴い、しかもその被害には「越境性(beyond borders)」 と「世代超越性(beyond generations)」という特有のリスクがあると述べました。事故後の福島の現実を見れば、これらの言葉がすべて当てはまります。

原子炉の完全廃棄には数十年以上かかり、核燃料の最終処理には先が見通せません。事故で拡散した放射性物質の動きと今後の処理には不透明さがあります。そして世界に広がった核物質への不安や次の世代への悪影響など「分からない」ことだらけです。これを見ればどんなに技術が進歩しても原子力を制御しきれないという懸念は永遠に残るでしょう。

長期的な視点で脱原発を考えるべき

-日本は5月から原発の稼動がゼロになっています。この状況を続けるべきでしょうか。

この問題を考える上で避けて通れない関門があります。それは「脱原発を覚悟するのか否か」です。私は冒頭に述べた考えから「原発ゼロ」しかないと思っています。一方で日本の電力事情の現実を見る必要もあります。過去数十年日本は国策として「原発依存」にまっしぐらでした。その結果、日本は福島事故前まで全発電量の3割、2010年度で26%を原子力発電に依存するまでになっていました。今改訂作業中のエネルギー基本計画では2030年には45%まで引き上げることが2010年に決まっていたくらいです。

こうした現実を見ると「直ちにゼロ」は難しいでしょう。無論、国民感情を考えれば、原発の新増設はありえません。加えて、民主党政権は原発の寿命は40年と言っていますので、この2つを厳守すれば間違いなく将来には「原発ゼロ」となります。問題はそのプロセスをどう描くかです。

そこで私が期待するのが省エネルギーや省資源、新しいエネルギーソースとしての自然エネルギー、これらをひっくるめた循環型の経済や社会づくりです。それを成し遂げるにはこれから本当の国民的議論が不可欠となります。

-残念ながら、長期的な視点で「脱原発」を考える風潮が日本ではありません。

その通りで、私も残念です。政府は「原発のない社会をつくる」という目標だけかかげましたが、その期限と方法を示していませんし、民間からの提言や議論も居場所を与えられておりません。そうした中で原発の再稼動が問題になっています。確かに今年の夏は電力不足に陥るかもしれず、再稼動を求める主張も理解できます。しかし、その説得のため、ある民主党の政治家は「停電になるぞ。暗闇の中で生活したいのか」と暴言を吐きました。こうした恫喝的説得はとても稚拙です。

3.11以降、国民に広がったのは原発への不信感、専門家への不信感です。そして、最後は政治や政治家への強い不信感です。幾重にも生まれた不信感を払しょくしようとせず、脅し的発言をするとはとても悲しい思いでいっぱいです。なぜ日本の政治家は過去の発想でしかものを考えられないのでしょうか。

-どのような形による国民の意思の集約と、政策への反映が考えられますか。

もし、私たち日本人がこの種の議論や思考に慣れていないとするならば、海外に参考事例を求めることが出来ます。例えばドイツです。ドイツは2022年までの脱原発を決めました。17基の原発を順次廃炉にしていきます。途中で代替エネルギーの推進などに不都合が生じた場合に柔軟に対応する数基の原発を指定するなどとても現実的な配慮が行われています。

もう一つの海外の例を紹介します。フィンランドでは、世界初の放射性廃棄物の最終処理場を作る「オンカロプロジェクト」が始まりました。ここでは数十年の時間帯で考えるのではなく、放射能が無害になるまでの10万年の時間帯を考え、プロジェクトが行われました。その超長期の発想は評価します。それでも「分からない」ことだらけで、政府も関係者も市民も悩んでいます。

私が強調したいのはドイツで脱原発を決めた「倫理委員会(安全なエネルギー供給のための倫理委員会)」の存在です。何よりも倫理委員会という名前がいいですね。日本のように「エネルギー環境会議」ではないのです。この名前の理由は、問題の中心は単にエネルギー供給やその経済性だけではなく、現代世代の未来世代への責任にあるとしたためです。(編集部注 経産省エネルギー総合資源エネルギー部会基本問題調査会資料「ドイツ連邦政府・安全なエネルギー供給に関する倫理委員会答申」

-ドイツの取り組みは素晴らしいものと思いますが、抽象論に流れかねないのではないですか。

ドイツでの議論を調べると、「原発無き文明はあり得るのか」という壮大なテーマがまず語られました。ですから18人の委員のうち2人は宗教界からでした。無論、高邁で抽象的な議論だけではありませんでした。「社会的対立を生まないためにどのようにすればよいのか」「脱原発でドイツの産業力を損なわない方法とは」「外国から原発製の電力を輸入してはいけないのではないか」など、幅広いテーマで議論が行われました。

そこでの結論を要約すれば、「今は代替エネルギーを増やすことで、より安全なエネルギーを手に入れるチャンスがあるにもかかわらず、なぜリスクの高い技術に固執するのか。高いリスクを避け、より安全な代替案を取るのは倫理的義務だ」と言うものでした。

ドイツに比べ日本では余りにも目の前の問題だけで議論が進んでいます。今日も明日も使うエネルギーですからそれも大事ですが、こと原発に関しては将来の展望なしに今日の議論をするのは余りにも乱暴すぎると思います。

振興策を経た原発とのコスト比較は不公平

-自然エネルギーへの期待を誰もが抱きますが、高コストなどへの批判もあります。

この問題を語る際には、フェアな議論をしていただきたいのです。発電のコストや能力について考えてみましょう。既存の発電とこれからの自然エネルギーを同じテーブルの上で比較するのは不公平です。

原発や火力発電には過去何十年にもわたって技術開発やインフラ作りなどにどれ程の税金が使われてきたのでしょうか。あらゆる支援が行われました。その結果として今の原発などのコストが安いのは当然でしょう。逆に効率が悪くコストが高いのであれば、それらへの支援は失敗だったということになります。一方で自然エネルギーについて支援があったとはいえ原発に比べようがないほど小さなもの。今日現在で見れば自然エネルギーが劣るのは当たり前です。

でも、これからは違います。太陽光パネルはこの一年間で半値になりました。一部ではグリッドパリティも実現したそうです。既に世界で始まっている自然エネルギーへの巨額の投資はこれからの自然エネルギーの競争力を急速に高めていきます。2010年には世界中の自然エネルギーの発電能力が既存で運転可能な原発のそれを上回りました。世界ではもうこんなことが起きているのです。

-自然エネルギーについて、ヨーロッパの制度や政策を批判的にみる見方が日本ではあります。

これもフェアな意見ではありません。日本で今年7月から自然エネルギーの買取制度(FIT)が始まります。この制度を先行したドイツ、スペインでは負担が巨額になり、買取金額を昨年減額しました。それを見てFITは失敗だと批判する意見が多いように思えます。

2011年末には、世界で設置されている太陽光パネルの発電量容量約7000万kwのうち、ドイツは2500万kwで断トツに世界一。僅か数年前までは世界一を誇った日本はその五分の一の500万kw.に過ぎません 第二に躍り出たイタリアは1300万kwと日本の倍以上です。ドイツでは水力も含めると全発電の17%(2011年)を自然エネルギーで賄っています。2020年には35%、やがて2050年には80~100%を目指すと言っています。

一方で、日本では自然エネルギーの発電能力は1%以下、水力を含めても5%以下です。後から来て、日本をはるかに追い抜いて行ってしまったのがドイツです。そのドイツが試行錯誤を繰り返し、その過程で見直した買い取り価格などを見て、同じ努力をしていない日本が批判するという態度は、建設的ではなく、言い訳に思えます。

それと同時に自然エネルギーに過度の期待を持たせるのもフェアではありません。自然エネルギーの持つ弱点を良く認識しそれをどう克服していくのか、日本だけでなく世界とどう協力していくのか、そういった視点での議論が大切に思えます。

太陽光発電と買取制度の秘められた力=自然エネルギーによる社会変革への期待(下)」に続く。

取材・構成 アゴラ研究所フェロー 石井孝明

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