教育現場におけるネット利用

2012年06月25日 07:00

「フューチャースクール推進政策の廃止に思う」という表題の私の6月18日付の記事に対して、辻元さんから下記の様なコメントを頂いた。

「私は教育の電子化には反対の立場です。電子化によって情報を手に入れるのは容易になったことは事実だし、それを使いこなすのは重要なスキルです。しかし、一方で、じっくり考えるといったことができない学生が明らかに増えています。同じ問題を一週間どころか、10分も考えられない学生が多い。これでは社会の質が低下する。少なくとも一週間は同じ問題を考え続ける思考の持久力が必要で、その育成には電子化は障害にもなりえるのではないでしょうか。」


結論から言うなら、私は「それは教育の電子化に反対する理由にはならない」と考えるが、ネットに依存している現在の社会が、若い人達から「自分で考える力」「長時間じっくりと考え続ける姿勢」を奪っていっているかのようである事は私も認識しており、それを危惧している点では私も辻さんと同じだ。

最近の人達のネット情報に対するアクセスの早さとそれに対する反応の早さには私も脱帽しているが、「正確な情報が得られているか」「情報の中味がよく吟味されているか」「反応する前に自分の頭で十分考えられているか」「結果として片手落ちの議論に陥っていないか」等々と問うてみれば、現状では、その全てについてかなり否定的にならざるを得ない。

日本人は、情報の整理も、その結果としての決断も、総じて遅いように思える。「慎重熟慮」はよいが、その結果がいつも「不決断」「不実行」「問題後送り」では、日本の経済的地盤はどんどん沈下していかざるを得ない。これを防ぐ唯一最大の方策は、「早く情報を取得し」「早くこれを整理し」「早く決断し」「早く実行する」事に尽きる。要するに、これまでの「スピード感」を抜本的に変える事が必要だ。

前者の二つについては、ネットが大きな力になる事は間違いないが、「情報の取得と整理」は「早い」だけでは駄目で、「正確で」「偏らない(先入観に左右されない)」事が必須である。この事は常によく認識されていなければならないのだが、現状では、多くの人達にその認識が欠如しているように思えるのは残念だ。しかし、これはネットというシステムが悪いのではなく、使う人の姿勢に問題があるのだと思う。

私がもし大学や高校で学生に教える立場にあるなら、コピペは大いに奨励する。しかし、どんな事に対しても必ず「二つの異なった見方」を参照(コピペ)する事を義務付け、そのそれぞれに対し、「何故自分がそれに賛成するか(或いは反対するか)」を記載させる。これがきちんと出来ていれば合格、出来ていなければ落第だ。

ところが、現在ネットにハマっている人達の多くには、たまたま取得した情報を無批判に金科玉葉にする傾向がある。(それが著名人の言葉だと特に安心してそうする。)また、たまたま自分が持っていた漠然たる価値観に反する言説に対しては、十分咀嚼することもなく、即座に激しく反発する傾向がある。そして、何にでもレッテルを貼ると分かり易くなるので、いとも簡単にレッテルを貼る。それも、グレーのレッテルではつまらないので、全てを白いレッテルと黒いレッテルに分けて貼る傾向がある。

実際には、殆どの物事には光と影があり、一見正しい事のように思えても、角度を変えて見ると問題が多い事もしばしばある。しかし、そんな事を色々考えるのは面倒くさいので、表面を撫でただけで結論に走ってしまう。結果として、「色々な側面を一つ一つ分析した上で、何等かの結論を導き出そうとする」ような「忍耐を要する真面目な議論」には、多くの人がパスを決め込んでしまう。

人は誰でも歯切れのいい言葉が好きだ。白黒がはっきりしていれば気持が高揚するが、色々な配慮が絡み合って「苦渋の決断」をせねばならない場合は、気持が萎える。だから、人々は両極に別れる傾向があり、その両極は果てしなくいがみ合う。その中間を取って一歩でも前進をしようとするような人には人気は集まらない。結果として、一方が他方を力で抑え込んでしまうか、或いは、その逆に、妥協案が見つからぬままに、全てが先送りされてしまったりする。

今は「マーケティング」に注目が集まる世の中であり、Catch Copy とかSound Biteとかいう言葉が重要視されている。マーケティングとは「物を売る為の工夫」の事だが、政治家が選挙民に訴えるのも、実業家がパートナーを説得するのも、基本は同じだ。一言で相手の心に刺さる事を言うのが最も効果的であり、始めからあれやこれやと色々な角度から論じるのは、最も拙劣な手法だと見做されている。

しかし、立場を変えて、物の買い手や選挙民の立場に立ってみるとどうだろうか? 買い手としてはそう簡単に売り手の甘い言葉に乗せられるわけにはいかない。かつてアメリカではラルフ・ネイダーが消費者側に立って一つのムーブメントを起こしたが、今や世界各国で消費者団体が目白押しだ。

同様に、選挙民も簡単に政治家の口車に乗せられてはならないわけだが、選挙民や将来の選挙民(今は物言わぬ子供達)の親達の為に、様々な政策について色々な角度から得失を解説してくれるような奇特な人達はいるのだろうか? 本来なら、ジャーナリストや学者、評論家などがその役割を果たすべきなのだが、ジャーナリストは自らの新聞・雑誌やテレビ番組を売るのに忙しく、学者や評論家の中にも、いずれかの側について極論を展開し、自らの売名に奔走する人達が多いようなのは残念の極みだ。

その点では、ネット上のブログ等での幅広い有識者の議論は、今後は大いに期待されて然るべきだ。ネットのよい事は、有識者同士がネット上で論戦を繰り広げることも出来るし、一般人も分け隔てなく議論に迎え入れてくれる事だ。議論は双方向でなければ意味がないが、ネットではこれが可能だ。新聞や雑誌では議論の往復に時間がかかりすぎる。

民主主義の成熟度は、結局は選挙民のレベルによって決まってくる。従って、日本の将来を考えるなら、将来の選挙民である高校生や大学生達が、色々な事柄を色々な角度から丁寧に見て、政治家やアジテーターに騙されないような訓練を受けてくることが必要だ。また同じところに議論は戻ってくるが、この為にも、教育現場とネットが緊密に結びつく事は、どうしても必要だと思う。

見聞きした事に即座に対応する能力は、ネットに頻繁にアクセスする事によって磨かれる能力の一つであり、特にTwitterはその能力を鍛えてくれるサービスだが、この様な能力は、所詮は「必要とされる数多くの能力のうちの一つ」であるに過ぎない。そもそも、140字で表現される短いメッセージの応酬だけで、世の中の問題が全て解決できる筈もないのだから、Twitterのようなサービスは、「気付きを与え、議論(思考)の入り口に誘ってくれる」ものとしてのみ位置づけるべきだ。

突き詰めていけば、ネット上の数多くの議論を辛抱強く並行的に読んで、「事実」と「論理」に裏打ちされた自分自身の考えを構築していく事こそが、多くの人達にとって、ネットの価値を最も高める為の最善の方策だ。教育現場は、学生達にこの事を常に強く訴え、将来の民主主義の成熟の為に尽力すべきだ。

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