失われた20年に育った世代 --- 山口 彰

アゴラ編集部

大学受験を控えた友人の娘さんが、精神的不調を感じ、自ら心療内科での診察を希望したという話を聞きました。彼女は将来に強い不安を感じているそうです、またこれからの時代生きていくために手に職を付けねばならないとも考え、志望もそういった学部を選んでいるとのこと。受験に際し強いプレッシャーを感じ心身のバランスを崩してしまったようです。また周りにはそういったお子さんが多いということも言っていました。


今17歳ということは、1995年生まれ。バブル経済が崩壊、デフレが起こり。その後はいわゆる失われた20年に育ってきた子供たちです。その20年の経済成長は平均年1%にも届いていません。賃金は下がり、就職難が続き、失業や非正規雇用の増加、若年層の貧困化、自殺も増加。つまり子供の頃から一貫してそういう空気の中を育ってきたということです。

将来はというと、その間に日本の債務残高は400兆円から1100兆円に。世代格差も進み、彼女たちの世代は今の高齢者より生涯でいえば数千万は多い負担を強いられるはずです。また年金は既に破綻しており、年金保険料を払い続けても、払った金額よりもはるかに少ない金額しか受け取れません。高齢者を支えて行かなければならない上に、非婚化も進んでいます。女性がその点でも不安になるのは至極当然の話です。

私は昭和40年台生まれです。経済は成長するのが当たり前、人口は増えていくもの、頑張ればなんとかなる。高度成長期のそういった空気の中育ってきた我々は、受験や就職を迎え不安より希望が大きかった記憶があります。それと比較すれば今の若者が育ってきた空気は全く違います。今の若者が車も酒もタバコも異性さえも求めなくなり、外面よりも内面、物質よりも心と価値観が変わってきているのもそういった背景があるのは間違いないのでしょう。

18世紀の産業革命からの近代社会は成長・拡大を追い続けました。それと共にそれまでの世界にはなかった勤勉とか労働という概念を生み出しました。しかしその限界が見えて振り返ってみると、成長や拡大を追い求めた価値観が、必ずしも豊かで幸せな社会を生み出してはいないという疑問が生じます。むしろ今の社会や、暗い表情でストレスを溜めながら働く大人を見て、別の価値観を持つのは自然なことかもしれません。今の若者が覇気がないとか草食だとか批判的なものを良く目にしますが、そういうことを言う方がむしろ感覚がずれてきているのではとも感じます。それを表現した文を下に引用します。

近代とは全ての社会的価値を未来に向けて再構築していく思想の営み、言い換えれば進歩の概念と結びつく知識のみが真の知識であり、それはもっぱら自然の制服を目指す技術的知識である。今起きているのはこうした価値観に対する若者の反乱であり、征服したつもりの自然からの逆襲である。大人たちは、自動車免許をとらない、海外旅行にいかない若者を覇気がないなどと非難するが、そう考えるのは大人たちが近代的価値観に拘泥しているからであって、若者からすれば近代的価値観に魅力を感じないだけである。

(引用:終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 水野和夫著) 

今の若者の悲劇は、新しい価値観が育ってきている時代にあって、社会も政治も旧来の価値観が支配していることにあります。旧価値観で制度設計された年金などの社会保障、成長神話を追い無秩序に債務を積み上げた日本財政。そのツケをまともに食らうのは債務を増やした上に、社会保障を受けられる今の大人ではなく、これからの若者です。さらに雇用も賃金も若者に厳しく、やっと稼いだお金も社会保障に搾取されます。ただちに改めるべき所はたくさんあると思いますが、いかんせん高齢者の既得権益に手をつければ政治家でいられなくなるのは確実なので、誰も手を出しません。

それどころか時代に逆行するようなバラマキ、保護政策、雇用保障など労働市場の固定化、あげくは定年を65歳まで伸ばすことを義務化する高年齢者雇用安定法が成立するなど、世代格差を更に広げる政策をとる有様です。

ジム・ロジャーズの言葉です。

政治家が余計なことをしなければ日本経済は自然に回復します。年寄りの政治家たちがいずれ死んで世界をよく知っている若い人たちが出てきます。そうすれば日本はよくなります。

何年後になるかわかりませんが、経済成長という脅迫概念から解放され、適度な進歩の中で身の丈にあった生活を行い、その中で喜びを見出すような新しい価値観に基づいた社会が作られるはずです。その時にようやく今の負の資産を精算していくことになるのでしょう。
願わくは財政破綻で強制リセットされる前に間に合って欲しいと切に願います。

山口 彰
スポーツインストラクター