財政出動 4 リーマンショックは大恐慌ではない

小幡 績

現代においては、労働者の人的資本のメンテナンスのために、経済の構造変化、バブル崩壊を含む状況において、財政出動をして、移行過程の摩擦を緩和することに意味がある場合がある、という話をしてきた。

そして、近年の財政出動を正当化するのは、Keynesの一般理論の対象だった大恐慌のような場合とは異なり、人々の将来期待を変化させ、均衡を移すような起爆剤となるような財政出動が必要とされる場面もなかったし、それが起爆剤の効果を持つ局面もなかったと考えられる。

いや、それはあったではないか、という反論があるだろう。

リーマンショックがあるではないか。

だからこそ、Krugmanがいろいろ騒いでいるのではないか。

違う。

リーマンショックは全く違う事象なのである。

なぜか。


当然である。

第一に、リーマンショックは、金融市場の崩壊であり、大恐慌は実体経済の崩壊である。

もちろん、大恐慌には、先に金融市場のバブル崩壊があり、それが実体経済の崩壊をもたらした。実体経済の崩壊となったのは、金融市場の底打ちにより、金融引き締めが行われ、それが早すぎたからだ、という議論はあるが、いずれにせよ、実体経済の崩壊、長期停滞をもたらした。

現在は、全く異なる。

実体経済は不況になりうるが、ただの不況を大恐慌と一緒にされては困る。

スペインの失業率20%超が大恐慌かどうかは、後で議論することにして、少なくとも、米国は大恐慌ではない。停滞と呼んでも良いが、実体経済が崩壊しているわけではない。

当たり前だが、金融危機には、金融政策が、実体経済の危機には実物の政策が効く。

しかし、これは、教科書では当たり前ではない。

そもそも、マクロ経済の基本的な教科書では、普通は、金融危機ではなく、実体経済の危機しか登場しない。

いや、そもそも危機は登場しない。実体経済の軽い不調が出てくるだけである。

そのとき、財政政策や金融政策を割り当てる、という話である。

そもそもこの時点で,Keynesの一般理論とは大きく離れてしまっているのだが、それは教科書として、と言うことだが、実はこれが致命的な誤りなのである。

財政政策や金融政策は本当に割り当てられるものなのか。

普通の不況においては可能だが、危機では可能ではない。

それが問題の本質であり、Keynesの一般理論の本質をみなが理解していないポイントなのである。