日本の現場主義を考える --- 岡本 裕明

アゴラ編集部

メディアなどで経営トップが作業着を着ているシーンや店舗で法被を着て自らが現場の最前線に出ていることをアピールをしているシーンはよく見かけるのではないでしょうか?

多分日本のほとんどの経営者は現場至上主義であり、経済専門誌でも現場の重要性を説く記事はとても多いものです。日本人は高度成長期を通じて今日に至るまでトップから末端まで現場を知ることが日本経済の原点であるという認識を持ち続けています。そして、それはほとんどの意味で正しかったと思います。


正しかった、というのはそろそろ視点を変える時期にあるかもしれないという問題提起であります。

アメリカのビジネススクールやMBA卒業の肩書きを持つ才能ある経営者の卵達はいわゆるエグゼクティブと称するポジションを渡り歩き、様々な業種で活躍しますが、彼らは往々にして現場には出ないとされています。それは自分たちが「偉い」という考え方ではなく、歴史的に欧米に存在する一種のワークシェアリングがあるからです。

だいぶ前になりますが、ヨーロッパの事務所で社員がごみを散らかしたまま帰宅していくのをみて何故きれいにして帰らないのか、と聞いたところ、「それはジャニター(掃除をする人)の仕事だからそれを我々がすると彼らの仕事を奪うことになる」と返事が返ってきたのが鮮明な印象でした。

日本では何でも自分でやる、というのが学校時代、会社時代を通じて受けた教育です。ですから、企業においてもその前線である「現場」は収益を生む最も重要なところという発想であります。その発想が嵩じて社長は現場に行くことを良しとする考え方が蔓延しています。

もう一つの考え方としては経営トップは現場を見ないと気がすまない、という気持ちがあるのではないかと思います。なにか「やんちゃ」をしていないか、自分の期待通りの作業が進んでいないのではないか、という疑念や疑惑です。つまり、その言葉を裏返せば自分の組織を信用していないという事であります。

9月3日の日経電子版にユニクロ柳井正社長の「泳げないものは沈め」という記事が「読まれた記事ランキング」で上位に食い込んでいます。彼のこの発言はずいぶん昔の話でたしか、彼の著書にもあった記憶があります。記事のポイントはカリスマ性が故の「柳井商店」という事ではないかと思います。

ご承知の通り柳井社長は65歳までに社長の座を譲ると公言しており、あと2年を残すまでとなっています。が、このままではそれは達成できない可能性があります。なぜなら彼は現場に行き、部下の作業を否定することでそのカリスマ性を発揮するというスタイルから脱却できないからであります。柳井社長が本当にあと2年で社長から降りたいのなら今すぐに現場に行くことをやめ、参謀を育てることに徹するべきなのです。

実は私は今、経営の舵取りを脱現場主義に切り替えるべく努力をしています。なぜなら私が現場に立つことで私の経営色が出すぎてしまうという弱点が生じるのです。つまり、「商店」からの脱皮が出来ないということです。ですから、私は部下を育て、新しい経営の風を取り込む試みを行おうとしているのです。

日本企業がグローバル化の進む中で出遅れ始めているのはまさに「任せられない」の一点なのです。我々は任せる為にどう変革すべきか、それを考えなくてはいけないのではないでしょうか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年9月10日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。