読者からの反響・秘められた論点「軍事利用」と原子力—現状は「日本の核武装は不可能」で一致

アゴラ編集部

GEPR編集部
石井孝明 アゴラ研究所フェロー ジャーナリスト

GEPR版

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(日本原燃・青森県六ヶ所村再処理工場 Wikipediaより)

GEPRとアゴラでは、核燃料サイクル問題について有識者の見解を紹介した。そして「日本の核武装の阻止という意図が核燃料サイクル政策に織り込まれている」という新しい視点からの議論を示した。


これをめぐり、読者からのメールでの反響、また寄稿者の金子熊夫氏の運営するエネルギー戦略研究会(EEE会議)のメンバーからの意見があった。それらを紹介して、読者の理解の参考にしたい。いずれの寄稿でもツイッターでは50—200のコメントがついた。またメールや文章では10通ほどの意見があり、また筆者石井に口頭で伝えた人もいた。

原子力は米ロ英仏中の第二次世界大戦の戦勝5カ国では軍事利用と一体になって発展してきた。一方で日本では民生利用のみで、軍事的な視点からの議論があまり行われなかった。原発を抜本的に見なおす中で、その「秘められた論点」への思索が必要になっている。

意見を整理すると「日本にあるプルトニウムは核武装に使えるのか」「日本は核兵器を保有するべきか」「日本は核兵器を持てるのか」の3つの論点があった。

主な寄稿は以下の通り。GEPRは今後も多くの読者からの意見を募りたい。

元外交官、外務省原子力課長(初代)金子熊夫氏
「核燃料サイクルは安全保障の観点から止められない—民主党政権の原子力政策の死角」(GEPR版

アゴラ研究所池田信夫所長
「核燃料サイクルは必要か」(アゴラ版
「核武装というタブー – 『原発と原爆』」(アゴラ版

アゴラ研究所フェロー石井孝明「外交カード「日本の核武装の可能性」は捨てるべきではない—原発政策の語られない論点「核兵器転用の阻止」を考える」(アゴラ版

また核武装という論点には触れていないがではないが、核燃料サイクルを概観するものとして京都大学山名元教授は以下の2コラムを寄稿した。

「核燃料サイクルと原子力政策(上)― 現実解は再処理の維持による核物質の増加抑制」(GEPR版
「核燃料サイクルと原子力政策(下)―重要国日本の脱落は国際混乱をもたらす
GEPR版

1・日本のプルトニウムは核兵器になるのか

使用済核燃料から核兵器製造は困難

上記の議論で「日本はすでに約45トンのプルトニウムを持つ」という指摘が繰り返された。意見では「使用済核燃料のプルトニウムは兵器用に転用できないことを強調するべきだ」という指摘があった。

核兵器には、90%以上に濃縮したプルトニウム239が原料として必要だ。使用済核燃料ではそれ以外の核種のプルトニウムが混じり、そこから核兵器をつくることは難しいというのが専門家の共通した意見だ。実際に使用済核燃料から核兵器を作った例はない。極秘裏に核開発をした北朝鮮、疑惑のささやかれるイランは、原子力発電でできたプルトニウムを使わずに、高濃縮ウランを原料にした製造方法を選んだとされる。ウラン式は製造がプルトニウム式よりやや簡単だが、大型になるとされる。だから「日本は保有するプルトニウムでの核兵器の製造は困難」(投稿者A氏・エネルギー関係者)という意見があった。

ただし日本は原発の燃料である濃縮ウランの製造プラントを六ヶ所村内に持つ。このプラントを高濃縮ウランの製造に転用することは技術的に可能である。この施設は、存在は認められているものの一般には非公開にされている。ただし、ここはIAEAの監視を受けており、核兵器製造への転用は現時点では不可能だ。

また投稿者B氏(エネルギー関係者)は次のように指摘した。「「日本のプルトニウムで大量の核兵器ができる」という議論は、反原発運動の論拠として恐怖感を強調され、錯覚をもたらしてきました。これまでもそうであったように、反核・反原発論者や核不拡散主義者のプロパガンダにのせられる恐れがあり、取り扱いに注意が必要です」。

ただし「日本は作れない」という主張は、現実の外交政策ではあまり意味がない。米国とIAEA(国際原子力機関)の方針は、全プルトニウムの管理だ。それを利用した「ダーティーボム」(汚染爆弾)などの危険が考えられる。また理論上は使用済核燃料からの製造は可能とされる。そのために日本の核物質は徹底的に管理され、内容を国際機関に公表している。

核燃料サイクルが動かない現状

上記の論説はいずれも、核燃料サイクルを実施して、それによってプルトニウムを減らす行動が合理的とするものだ。

ただし現実問題として、2000年ごろに動くという計画であったもんじゅと再処理施設は2012年になっても稼動していない。匿名の投稿者C氏から次の意見があった。

「アゴラで掲載された意見はどれも20年前の計画の話をしており、核燃料サイクルを推進する論拠として弱い。これまで高速増殖炉計画は1兆1000円、再処理施設は2兆円以上かかっているのに、うまくいっていない。核燃料サイクル事業から撤退して、直接処分を検討すべきだ」。

もんじゅは来年度の稼動が可能という答申が原子力委員会で出ており、また六ヶ所の再処理施設は来年稼動の予定だ。ここで稼動を待つか、撤退するかは、賛否が分かれるところだ。

2・日本は核兵器を保有するべきか

アゴラの各コラムで示されたように「日本の核武装は、現状ではするべきではないし、そもそもできない」が、日本の良識ある人の共通認識であろう。現状では対外関係を混乱に招き、国内政治上も反対意見が強く、実現可能性が乏しいためだ。

しかし、そこからの見方は分かれる。元外交官の金子熊夫氏は上記コラムで、日本の核武装の懸念を払拭するために、周辺国の理解とプルトニウムを減らすための核燃料サイクルの維持を訴えた。筆者石井は「外交カード「日本の核武装の可能性」は捨てるべきではない」で核武装を含めた未来の政策選択肢を残すために、核燃料サイクルを進めるべきだと主張した。

一方で上述の投稿者B氏は上記石井のコラムに対して批判した。「他国に色眼鏡で見られている時だけに、くれぐれも慎重を期してもらいたい」「軽率な核武装論議(「潜在的核抑止力」論も)はバックファイアの危険性が大である」。

また「沈黙すべき」という意見も寄せられた。投稿者D氏は次の事実を指摘した。

一部報道によると、中国軍事科学学会(軍シンクタンク)の羅援副秘書長(少将)は尖閣問題について次のように韓国メディアに語り、日本を威嚇したという。

「(日本では)愚かな人間が夢を語っているようだ。局地戦が発生したら、中国は海軍だけでなく空軍、第2砲兵(戦略ミサイル司令部)が立体的な作戦を展開し、勝利を得るだろう」

「中国は、日本が恐れる核兵器を持っている。たとえ中国が、『核を保有していない国には核兵器を使用しない』と宣言していたとしても、核兵器の保有それ自体が、中国の不敗を保障する最後のカードになり得る」

その上でD氏は次のように述べた。「日本は核保有について疑念をもたれても、否定することなく沈黙するべきである。「核保有の意思があるのかも」と疑われたまま、放置することにより相手に対して無料で「心理的圧力」を入手できる」。

3・日本は核兵器を持てるのか

現実の問題として、日本の核保有は現時点ではほぼ不可能だ。これは投稿者に一致していた。そして複数の投稿者が以下の事実を指摘していた

まず合理的な選択ではない。米国科学者連盟の推定によれば、中国の核弾頭の数は2009年時点で一説には240発とされる。日本が核武装をするにしても、この数に追いつくには時間がかかる。また同連盟の推定によれば、北朝鮮の核弾頭は5-6発とされるがこれが使用可能なのか、現時点では不透明だ。

次に核兵器をめぐる制約に日本は縛られている。これらの縛りを、日本も民生利用を実現するために積極的に受け入れてきた。

六ヶ所再処理工場はIAEAの常時監視下に置かれており、極秘裏に軍事転用することは事実上不可能だ。さらに核兵器製造のためには日本はまずNPT(核拡散防止条約)から脱退しなければならない。その加盟国に限り核燃料の貿易と利用が認められている。日本は核燃料の元になるウランは全量が輸入である。

さらに日本のような情報の流通が自由な国では、核兵器の製造の動きは簡単に察知されそうで、米ロ中の諸国が発覚次第、即座にその停止を求めるはずだ。「できない状況は当面変らないのだから、議論をする必要はない」と、投稿者E氏から指摘があった。

4・まとめ—議論ゼロからの脱却が必要

まとめると、日本の核武装は現状不可能であるというのが、この問題に関心を寄せる人の共通した意見だ。ただし、議論をするべきかについて見解は分かれる。

また意見では印象に残る点があった。原子力技術者が原子力の平和利用を「守らなければいけない」という強い認識を共通していたことだ。技術者の意識の高さは、広島、長崎で米国により核兵器が使われたという悲劇的体験を経て、その反省に立った日本の原子力研究の良き伝統であろう。

ある技術者から次の意見があった。上述の金子氏の論考を適切と述べた上で、イノベーションへの期待が示されている。

「高速炉技術は、近未来のエネルギーとともに、高レベル廃棄物の消滅処理のためのプラントの中枢としてぜひ残しておきたいものと思います。千年を超える廃棄物について、一般人からも疑問視されています。そうした懸念を払拭できるものとして、重要に思います」

日本で原子力の軍事利用を強調しだすと、平和利用のために努力を重ねてきた日本の技術者らの思いが消されて、誤った方向に世の中の関心が向き、事態が進んでしまうかもしれない懸念がある。議論の扱いには慎重さが必要であろう。

ただし筆者は「できない」という事実を共有することも含めて、核燃料サイクル、また核兵器をめぐる議論を深化させることが、必要と考えている。原子力をめぐって活発な議論が行われなかったことが、福島原発事故の遠因になり、その後のエネルギー政策の混乱をもたらした。核兵器の問題もタブー視せず、意味ある議論を重ねるべきであろう。