貸金業法の改正は失敗だったのか?

池尾 和人

私の考え方は「改正貸金業法を支持する」という記事で述べたとおりで、いまも貸金業法の改正があからさまな失敗だったという判断に与するものではない。もちろん現行の規制方法が最善だとも考えていないので、より望ましいやり方があるというのであれば、具体的に教示してほしいと思っている(先の記事の最後にもそう記した)。


消費者金融問題、とくに多重債務問題の背景にあるより本質的な問題は、低所得者問題あるいは貧困問題である。したがって、後者の貧困問題が未解決のままである限りは、金融制度だけをいくらうまく設計しても、何らかの弊害や欠陥は残らざるを得ない。こうした冷徹な認識は、議論の前提だと思う。「弱者が救われていない」というだけの批判は、この前提認識を欠いている。もし貸金業法を改正するだけで弱者の救済が可能だと思っているとすれば、お目出度いとしかいいようがない。

金融を論じる際に最も重要だといってよい区別は、liquidity(流動性)とsolvency(支払い能力)の区別である。「お金が不足している」というときに、前者の意味(すなわち、資金繰りの問題)なのか、後者の意味(所得が不足している)なのかでは、全く違う話になる。手元に(あるいは今は)資金がないが将来資金が入手できる予定があるというのが、前者の話で、金融が解決できるのは、こうした流動性に関わる問題である。

他方、そもそも絶対的に所得が不足しているという話の場合には、その者に所得を移転する(お金をあげる)か、その者が生活水準を引き下げる以外に問題の解決方法はない。よく「借りられなくて困っている人がいる」といった言い方がされるが、この「困っている人」というのが、solvencyには問題がないが資金繰りで困っている人だとすれば、確かに問題である。しかし、solvencyの問題を抱えている人であるならば、借りられるようになったからといって問題が解決するわけではない。

所得の不足を抱える者が借り入れられれば、問題の先送りは可能になる。しかし、その借入が高利によるものであれば、将来的には事態はさらに悪化する。将来的に事態が悪化することが分かっていても、問題の先送りをしてしまうような行動バイヤスを多くの人間が持っている(この点を説得的に明らかにしたのは、行動経済学の貢献である。例えば、池田新介『自滅する選択』(東洋経済新報社)を参照)。そして、この種の行動バイヤスにつけ込んで利益を上げようとする行動が生まれる。そうした行動のうちの悪質なものが、略奪的貸付(predatory lending)である。

私は、貸金業法の改正以前には、ヤミ金に限らず、略奪的貸付行為が横行していたと思っている。そして、略奪的貸付はなくなってはいないが、減少しているのではないかと思っている。こうした判断が仮に正しければ、改正貸金業法には意義があったことになる。ただし、定義的にヤミ金に関しては正確なデータが得がたいので、これは単なる私の憶測に過ぎない可能性は否定できない。逆に、最近の方がヤミ金が増えていると断言されている方に、その根拠についてご教示いただきたいとお願いする。

また、もう1つのしばしば指摘される弊害である「中小零細事業者の資金繰りが困難化している」というのも、改正前に比べて(経済情勢等をコントロールした上でも)悪化しているというデータ等の根拠があれば、ご教示をお願いしておきたい。

この記事は、もちろん先の石井孝明さんの記事の一部分に対する反論である。全体の論旨にとくに反対するものではないし、略奪者(predator)の上前をはねる日本の弁護士業界というのはずいぶんにしたたかなものだなとも思う。しかし、「世界の大半の国で金利規制はない」とか書いてあるのを読むと、「不勉強なメディア」といえる立場なのかどうか疑問に感じざるを得ない(例えば、米国でもほとんどの州で消費者ローンには上限金利の規制がある)。

--
池尾 和人@kazikeo