スポーツにおける体罰について

2013年01月22日 11:30

大阪の桜宮高校で痛ましい事件が起きました。
それによって体罰についていろいろな意見が出ています。
悲劇から始まった議論ですから、多くは体罰を否定する意見が多いのですが、私は体罰は容認しています。


■体罰否定派と肯定派の意見

体罰の反対派として元巨人の桑田氏の意見を見てみましょう。

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」

桑田氏のいう体罰は、上下関係を利用した先輩の理不尽な要求はイジメであり、監督やコーチの機嫌で行われる暴力は虐待です。
それら全てを体罰として同列に語るべきものではありません。

体罰の肯定派として、桜宮高校の関係者の意見を見てみましょう。

涙して擁護するOBもいる桜宮バスケ部顧問の「素顔」

桜宮高校のOBには泣いて監督を擁護する人もいますが、それを指して「体罰が人格ゆがめた」「洗脳されている」などという人もいます。どうしてそのような受け止め方の違いが出るのか考えてみたいと思います。

■体罰が有効なとき無効なとき

例えば、子供の頃、「勉強しなさい」と言われて、「今、しようと思っていたのに、そんなことを言われたらやる気がなくなる」と文句を言うというような経験はないでしょうか?
「痩せたい」という人が非常に多い日本で、間食をしている女性に「そんな風に間食をするから太るんだよ」と当たり前のことを言ってしまったら、しばらく口をきいて貰えないぐらいではすまないでしょう。

人は分かっていてもできないこと、分かっていてもやってしまうことが沢山あります。それらについて、敢えて指摘されると素直に聞けず反発するものです。

しかし、分かっていないとき、どれほどの体罰をしても何の効果もありません。

例えば、タバコを吸っている子供がいたとき、「お父さんは吸っても良いのに、なぜ僕はダメなの?」という子供には体罰は意味がないのです。逆に、タバコが見つかったときに「ヤバイ!隠せ!!」という子供には、どれほど言って聞かせても効果はありません。

子供が「何が悪いのか」「どうすべきか」を理解してないときは、分かるまで説明する必要がありますが、分かってやっているときは言葉で何を言っても反発しか生まれないのです。

■体罰を受けた生徒がなぜ愛情を感じるか

『愛』の反対語は『無関心』です。

桑田氏の意見は、「技術を理論的に理解させれば自主的に出来るようになる」というものですが、桑田氏は一流のプロの中でも、更にずば抜けた精神力の持ち主です。残念ながら、みんなが同じようにできることはないのです。

スポーツは頭で理解したことを体に染み込ませる必要があります。
理論を理解した上で、退屈な基礎練習を理論通り続けた人だけが、結果が残せるのがスポーツの世界です。

しかし、残念なことに多くの生徒は、「嫌な練習をしないで巧くなれたら一番良い」と考えているため、「自主性を高めれば練習はできる」という人ばかりではないのです。

体育会系の部活に入る子供は、主に3通りいます。

1.巧くなりたく、強制されなくても理論通り練習ができる人
2.巧くなりたいけれど、強制されないと理論通りの練習ができない人
3.無理をしてまで巧くならなくても良い人

1は既にプロレベルです。
プロの世界では、できなければ簡単にクビになる厳しい世界ですから、練習をしなくても叱る必要はありません。このタイプの人に体罰をしても無意味です。

2は一般的なやる気のある生徒です。
理論通りに体が動いてないとき、体罰を加えるのは効果があります。

3は趣味としてやりたい生徒です。
趣味ですから嫌な思いをする必要はありません。体罰をしても無意味です。

2のタイプの人は、口頭で注意されても頭では分かっているため反発をしてしまいます。1に合わせた対応をされると、「無関心・放置された」と感じます。逆に、体罰をしてまで指導してくれた人に「愛情」を感じるのです。

1のタイプや3のタイプの人に体罰をしても反発するだけです。
1のタイプは残念ながら数は少ないです。
もともと自主的にできるので、体罰をする指導者の指導を受けても体罰を受けることは少ないでしょう。(繰り返しますが、桑田氏が受けたのは体罰ではなくイジメや虐待です)

スカウトのない公立の強豪校の部活に集まる生徒は、ほとんどが2のタイプの人になるため体罰との親和性は高く、愛情を感じる人が多くなるため、件の監督を涙ながらに擁護するOBは出るし、「早く元のように指導を受けたい」という生徒も出ます。

それを、3のタイプの人や、そもそも体育会系の部活などとは縁が遠い人が見れば、「洗脳されている」などと思うかも知れませんが、それは誤解なのです。

■体罰を問題にするのは矮小化

体罰による怪我によって亡くなったのなら大問題です。

しかし、今回の事件の本質的な問題は体罰ではなく自殺です。

後任主将内定を悲観? 自殺前、顧問が伝達

キャプテンに立候補してなったけれど、こなせそうもない。親も周りも辞めた方が良いという、監督は「キャプテンを辞めるなら二軍」という発破を掛けてくる、最終的に「がんばります」と言ってしまった。

という過程に体罰が絡んでいます。
果たして体罰がなければ自殺しなかったのでしょうか?

残念なことに、毎年、19歳までの子供が数百~千人程度自殺しています。

体罰が絡んでいたら大騒ぎになりますから、体罰が絡んで自殺する子供は、年間数十名もいないでしょう。逆に、口頭で注意を受けて精神的なプレッシャーで自殺してしまった子供は、そんなに少ないのでしょうか?
私はとてもそうは思えないのです。

体罰をなくせば解決するのでしょうか?
体罰で自殺する生徒がいなくなったら、年間何百人も自殺して亡くなっている子供達はどうでもよいのでしょうか?

繰り返しますが、体罰は本質的な問題ではなく、自殺が問題です。
体罰があろうとなかろうと自殺の兆候を見つけ、それをフォローすることです。
反省すべきは、「どうフォローするべきだったか」ではないでしょうか?

■体罰は効果があるし必要である

体罰は正しく使えば確実に効果があります。

理論・理屈を分かってない人に行う体罰と、タイプ的に合わない人に行う体罰は、間違った体罰です。
今回も見せしめ的に行われており、それを了解はしても納得していなかったという間違った体罰ではありました。
もちろん、イジメや虐待は論外ですが、体罰が悪いのではなく、間違った体罰が悪いのです

ダイエットで考えてみてください。
痩せようという意志だけで痩せられる1のタイプの人もいるし、私のように諦めて太る3のタイプもいます。しかし、実際の世の中は、2のタイプが非常に多いから、体罰の代わりにダイエット産業がこれほど流行るわけです。

1のタイプの人は、「食べなければ良いだけじゃないか」と言うし、3のタイプの人は、「そこまでして痩せなくても良いでしょう」といいます。スポーツも同じなのです。

更には、「巧くなりたい」を「勉強ができるようになりたい」、「体罰」を「理解とは関係のない受験テクニック」とすれば、勉強でも同じことです。
子供の頃から夜遅くまで、受験以外ではまったく無意味な受験テクニックを徹底的に覚えさせる拷問に比べれば、体罰の方が余程マシですよ。受験テクニックを覚えさせる拷問で自殺する子供は、昔から大勢いるのですから……。

あくまで自主性が良いんだという意見もあるでしょうが、それでは「巧くなりたい」という2のタイプの子供が落ちこぼれていくのを止めることはできません。
もちろん、勉強に於いても……。
私はそれがよい教育とは思えません。
2のタイプを指導し成功体験を重ねさせて、1のタイプに変えていくのがよい教育だと考えています。

最近では、実は2のタイプであるのに、「体罰は悪である」と教えられた人は、体罰も効かないタイプになってしまています。もちろん、口頭注意にも反発します。こうなると、「巧くなりたいけれど、巧くなれない」という責任を誰かに求める人になってしまいます。
そんな人が多くなっていると私は感じるのですけれど……。
それが本当に良いことなのでしょうか?

株式会社ジーワンシステム
生島 勘富
mail:info@g1sys.co.jp
Twitter:@kantomi

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