日本人の人生は極端な生き方以外ないのか

松本 孝行

アゴラで若者は「海外に行け」という言葉に耳を貸すなというエントリーを、だいぶ昔に投稿しましたが今でも多くの識者が「若者は海外に行け」と言います。アゴラでもそれは活発です。きっと今後もこの海外幻想は広まるばかりなのでしょう。

しかし私はこの海外に行って経験を積むという意見にずっと反論しています。海外に行くこと自体を否定するのではないですが、今後若者や日本人は海外に行くしか生きる方法はないのでしょうか。そんなに日本人は生きるための選択肢が少ないのでしょうか。


2000年に入るまでくらいでしょうか、日本では「いい大学に入っていい会社に入る」という価値観がありました。大学に入り大手の会社に入ること、それこそが幸せなのだと言われていたのです。今では公務員は高給取りで安定しているとうらやましがられますが、当時は「でもしか先生」と言う言葉もあったように、公務員は優秀な人たちがならない職業という価値観がありました。

そこから十数年経ち、価値観はガラッと変化しました。今や「いい大学に入っていい会社に入る」という価値観は崩壊し、間違いだとも言われるようになりました。そして新たに出てきたのが「海外に行って経験を積み、キャリアアップする」という海外信仰とキャリアアップ信仰です。

十数年前は「いい大学に入って大企業に入れ」といい、そして今は「海外に行ってキャリアアップしろ」と言いますが、日本の若者はそれ以外の生き方はないのでしょうか。まるで日本人の若者が幸せで生きるためには、一本道以外にはない、そう言っているような印象さえ受けます

極端な生き方のみが称賛される社会は閉塞感を強めます。1993年に発売された完全自殺マニュアルの前書きにはこうあります(参照)。

「あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい部長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死ぬ。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。」

当時、当たり前とされていた理想的な人生は実はある人にとっては絶望的な人生でしかなかったのです。今、フリーターや非正規で働いている人たちからすればうらやましいような生き方も、生き方がひとつしかなければ、絶望を感じてしまうのです。

海外に行きたい人は行けばいいでしょう。スキルアップやキャリアップをしたい人はやればいいでしょう。それは自由にすれば構わないと思います。しかし生き方はそれだけではないですし、海外に行かなければ人生終了というわけではありません。

私の友人は高卒で工場で働き、奥さんと3人の子供を養っています。生活は苦しく、家で沸かしたお茶を持って行って節約しています。おそらく海外へキャリアアップのために行くことはないでしょう。しかし彼の生き方は間違っているでしょうか?不幸せでしょうか?私にはむしろ、ニコニコと笑顔でいる彼がうらやましく思う時もあります。

口酸っぱく「海外に行け」という人は、彼のような同級生にはどういう言葉をかけるのでしょう。まさか同窓会で会った時に「お前のような生き方はグローバル時代にはそぐわない、海外に行ってキャリアップしろ」なんて言うんでしょうか。私には口が裂けても言えないですが。

私には「海外へ行き経験を積め」と言う識者の方々は昔の「いい大学に入っていい会社に入れ」と言っている人たちと、なんらかわりはないと思います。もっと色々な生き方があるはずなのに、なぜ自由な人生を狭めるようなことをいうのでしょうか。

もしかするとこの日本を取り巻く閉塞感を生んでいるの原因の一つは「海外に行け」と言う識者の方々なのかもしれません。

松本孝行