憲法改正デマ(4)「天賦人権説」という言葉の誤用が招いた批判

2013年03月25日 23:02

憲法改正デマ問題の4本目です。今回は、「天賦人権説」という言葉が3種類の違う意味で使われている、という話です。

(写真は23日に千鳥ヶ淵で撮影した夜桜です。本文とは関係ありません)chidori

ことの発端は自民党の片山さつき議員が去年12月7日に「天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え」という発言をしたことでした。これが「自民党は憲法改正で基本的人権を骨抜きにしようとしている」という批判の大合唱を呼びましたが、これはざっくばらんにいうと「誤用と誤解のすれ違い」です。誤解に基づく批判は不毛ですから、まずは正確に事態を認識しておきましょう。


発端になった片山さつき議員の2012/12/07 12:37:08 のツイートはこちら↓

http://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481
国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!

まったく、アイタタタタ・・・・という感じですね。片山議員もまた「どうぞ誤解してください」と言わんばかりの発言をしたものです。

この発言に対して一斉に「天賦人権説を否定するとは何事か!!」という抗議の声が殺到した(http://togetter.com/li/419069)のは当然でしょう。しかし、実際のところここにはかなりの誤解があるようです。これは、「天賦人権説」という用語を三者三様、それぞれ違う意味で使っているのが原因です。(率直に言って、片山議員の発言は「天賦人権説」という言葉を誤用したもので、政治家としては少々不注意すぎたと私は思いますが)

まあ、どういうことか説明します。「三者三様」の「三者」というのは、1)自民党憲法改正草案 2)片山議員 3)その批判者 のことです。それぞれ、「天賦人権論」という言葉を次のような意味で使っています。

tenpujinkenron

「天賦人権論」という用語を、
片山議員は「 A) 権利ばかり主張して、義務を省みない姿勢 」という意味で。
片山議員への批判者は「 B) すべて人間は生まれながらに自由・平等で幸福を追求する権利をもつとする思想 」という意味で。
自民党憲法改正草案では「 C) 「神の下の平等」という観念を下敷きにした人権論 」という意味で使っているわけです。

そしてこの三者の中では片山議員の用法が、ざっくばらんに言えば「間違い」です。こんなことを言ったら批判が集中するのは当然でしょう。しかし、自民党憲法改正草案は実際には「天賦人権説」という用語を C) の意味で使っています。 A) の意味で使ったのは単に片山議員が「言葉を誤用した」だけのことなので、片山発言をもとにして自民党憲法改正草案を批判しても誤解になるだけなんですね。

いやまったく、頭痛がしてくるというか何というか・・・・なのですが、もう少し詳しく説明しましょう。

「天賦人権論」という用語は一般的には B) の意味で使われます。しかし、自民党憲法改正草案でいう C) の用法も間違いではありませんし、自民党のQ&Aには C) の意味であるということがわかる解説もきちんと書かれています。

実際に、現行憲法が「神の下の平等」という観念を下敷きにした表現で書かれている実例を見てみましょう。

【現行憲法】
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

現行憲法の「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。~ 基本的人権は ~ 国民に与へられる」という表現は日本語として明らかに不自然です。なぜ「妨げられない」という受動態なのでしょうか?
答はつまり、もともと現行憲法がアメリカの占領軍が作った英文の翻訳だからです。英語の原文はこちら↓

Article 11: The people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights. These fundamental human rights guaranteed to the people by this Constitution shall be conferred upon the people of this and future generations as eternal and inviolate rights.

ほとんどそのまま直訳なのが分かりますね。原文では「guaranteed to the people by this Constitution」と、「この憲法によって保障される」とありますが、「憲法」は「保障」するだけで、「与える」主体ではありません。「与える」に当たる動詞は confer です。conferという単語は日本語で言えば「授与する」「賜る」というような意味があります。つまり、「与える」と言っても同格の者同士のgive & take ではなく、格上の者から格下の者への「与える」ということなのです。

英語の原文には明記されていませんが、この場合「格上の者」とは明らかに「神」です。もともと欧米の人権概念は「神の下の平等」という観念から発達してきました。そういうキリスト教的文化を共有している社会であれば、

「現在及び将来の国民に与へられる」

・・・つまり、神の下に我らは平等である、と自然に受け入れられますが、日本はキリスト教圏ではありません。これをより日本人にとって自然な文章に直したのが自民党憲法改正草案です。

【自民党憲法改正草案】
第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

↑「与えられる」という受動態表現がなくなり「享有する」「権利である」という文言に変わったのはそれが理由です。

もう一度まとめますが、「天賦人権説」という用語を自民党憲法改正草案では「神の下の平等」という観念をベースにした人権の考え方、という意味で使っています。
それはキリスト教圏の考え方であって日本社会には馴染まない、日本人にとって自然な文言に書き換えよう、というだけのことです。

疑問に思う方は一度、自民党憲法改正草案Q&Aを読んでみてください。B) の意味の天賦人権説を否定する記述などどこにもありません。逆に

【自民党憲法改正草案】
第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

↑これは B) の考え方そのものです。
以上、「天賦人権説」に関する誤解の説明、終わり。

(余談)
それにしても今回の話題については、ある意味私の本業にも関わるので考えさせられました。
何が「本業に関わる」のかというと、「1つの言葉は1つの意味で使うように徹底する」のが、「わかりやすい文書を書く」上での基本的な注意事項なのです。
「天賦人権説」という用語が三者三様の意味で使われてしまった今回の事件はその意味で「まあ、こりゃ誤解されるよなあ・・・」という感があります。政治家というのは本当に、言葉の使い方に注意深くならなければ務まりません。片山議員の用法は明らかに間違いですから片山氏は訂正するべきでしょう。

・・・・・(続く)

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