ちまたの教育論の外側にある全寮制私立高等学校の姿【全面改稿しました】

新 清士

眠い中、勢いで書き上げた文章のため、誤字、構成ミスがいろいろ多かったために、全面改稿しました(13:09)

私事なのではあるが、現在の教育を考える上で、考えさせられたことがあり、少し書いておきたい。私の息子は、中学時代には不登校で、ほぼ学校に通っていない。様々な要因から、典型的な引きこもりだった。部屋にこもりきりで、ネット中毒状態で、家族との関係も険悪で、手をつけられなかった。家族しても将来をどうするべきなのかを思い悩んだ末に、助言を受けた上で寄宿制の高校を選択した。もちろん、私も人並みの親であるため、この高校を選ぶ上では、全国の高校を含め、得られる限りの情報を集め慎重に検討した。おもしろいことに日本では寄宿制の学校は限られており、特に関東圏には適切な学校がない。

先日、三重県にある日生学園第二高等学校に、私の息子が入学し、4月9日その入学式に参加した。日本では数少ない寄宿舎制度を取っている学校で、山の中腹の隔絶された場所にある。東京ドーム4個分という巨大な敷地は、広すぎるため学校内を見学するにもバスで移動しなければならないほど広い(ちなみに学生は当然徒歩移動)。先日、風力発電施設の一機が転倒した風力発電施設「ウインドパーク笠取」にほど近い。もちろん、引きこもりに慣れていた息子がそれまでを乗り切れるかどうかはわからない。息子はあまりの急激な変化で、初日だけでも相当ぐったりしていたようだ。

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■ヤンキー受け入れ学校として一度は社会問題を起こした学校


1966年に設立されたこの高校は、設立当初は校内暴力事件が頻発していた時代に、手のつけられない学生を集めるような学校としてスタートした。団塊ジュニア世代で高校生が急増していた時代に、そうした問題に悩む親がこぞって入学させた背景もあり、生徒の増加に伴い、80年に第二高校が設立されている。ヤンキーの集まりの学生に、現在では信じられないような軍隊的な体罰といった厳しいスパルタ教育方針で臨むことによって、一種の更正施設のような色彩を帯びていたようだ。ダウンタウンの浜田雅功氏が81年に在籍していたことで知られているが、その厳しい時期だった。その当時のことを知る数少ない方から聞いたが、案外と目立たない学生だったというが大変だっただろう。

ただ、85年には、自殺騒ぎなどもおきたことで、週刊誌で報道されたこともあり、社会問題として認識され国会の国政調査までが入っている。当時に在籍した人が書いたネット上に存在する情報には、自衛隊に就職したが、この高校時代に比べると楽勝だと言うようなことが書かれているものがあったり、学校から脱走するまでの壮絶な冒険譚のようなものまである。

これらの社会批判の中で、ストレスが原因の一つと思われるが初代理事長が急死する。若くして理事長に就任せざる得なかった現理事長は、大きな社会批判の中で、学校の改革の方向性を懸命に模索する必要に迫られる。その一つの回答が、イギリスの「パブリックスクール」をモデルにした学校改革だった。もちろん、イギリスでは大金持ちの子供が通うところとの決定的な相違はあるが、単に管理を押しつけるのではなく、どうすれば生徒を育成できる環境ができるのかという問題に取り組んだのだ。

■引きこもりなどの現代の問題にシフトした学校に
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そして、校内暴力といった問題が落ち着き始め、90年代の後半になると、学校に求められるニーズが変わり始める。不登校、いじめ、引きこもりといった現在の教育制度の中で、解決できない問題が次々と噴出するようになったのだ。

この学校でも、そうした学生を入学させることには、当初は大丈夫なのかという課題があったが、多くの学生と一緒に濃密な共同生活を送り、中学までに抱えていた問題から開放されたことで、個性が急激に伸びていった学生が登場するようになった。そのため、こうした学生を特に第二高校では、積極的に受け入れるようになった。現在では、そうした現行の学校制度の枠組みからこぼれ落ちるような、なんらかの訳ありの課題を抱えている学生が選択するケースが増えているようだ。

筆者は、昨年夏と秋に、2度オープンキャンパスに参加した。親と見学に来た中学生を、2人の学生が担当として、学校や寮を案内する。よくも悪くも、見学に参加している中学生は暗い。一方で、親には切実としたわらにもすがりたい雰囲気が伝わってきて、私の家と同様に問題を抱えて苦しむ深刻な問題を抱えている家庭が多いんだろうなあと、感じさせられる部分があった。

一方で、寮の見学では、入り口で、大きな声で全員がそろって「こんにちは」「ありがとうございました」と、声を上げる礼儀正しさに驚かされる。また、見学中は、保護者は、エスコートする学生に自由に質問することができる。昼食を取りながら、引きこもりだった時代のこととかを聞く時間も与えられる。学生は、たどたどしい言葉ながら、それに懸命に答えようとする。

昼食時間には、広い食堂で、放送部が学校を紹介する番組を見学者向けに放送し、和太鼓部などの懸命なパフォーマンスの実演が行われたりする。教員曰く、「これらの構成はすべて学生が考えて構成した内容だ」とのこと。実は、学校側にとっては、このエスコートもまったく知らない人に応対する社会的な訓練の一つという位置づけでもあるという。

■要所要所の統制と、その中で認められる自由

そのあまりに見事な統率ぶりに驚きを感じるのだが、私は、嫌な大人である。私自身も大学や専門学校の講師をしている経験などがあるため、トップクラスではない学校は利益を上げるためには、いくらでも表面を取り繕いウソをつくことを知っている。多くの専門学校にあるゲームクリエイター科は残念ながら、その最たるものだ。その卒業生の数を吸収できるほど、ゲーム業界には雇用はない。だから、実力のない生徒は入学後放置される。

そういうこともあり、この学校も裏を見せないようにしているのではないか、良い面だけ見せているのではと、ずっと疑い続けていた。少子化の影響は免れてはいないだろう。それでも、今年は120人前後の学生が入学し、各学年4クラスで構成されている。ただ、必ず何人かは脱落していくだろう。そうした学生がいることは,学生も認めるが、その正確な数は教員から明らかにされない。その脱落の不安は現在でも払拭されていないが、最初の適応までの山を乗り越えると、どうにかなるということはわかった。

当然、中学時代に不登校だった学生も多く、入試は無試験に近い。ある意味、底辺高だ。しかし、全寮制の強みを活かした進学校を目指すという戦略が学校の大きな方針として掲げられている。

「生徒の個性はわからないもので、どのように成長していくのかは、わからないものなのです」と、たまたま入学をするかどうかを決める面接時に、今ではそのスパルタ教育時代からの時代変化を知る数少ない人物でもある校長が当たった(後で気がついた)。私は取材モードに切り替え、山ほど答えにくい質問を浴びせかけたが、生徒が3年の卒業後に、どうなっていきたいかというイメージを持つことができれば、乗り切れて成長できると、述べた。

■在学中に成功体験をどうやって積み重ねられるか

これまで、引きこもりであったことは関係なく、校長は「きちんと伸ばせる環境を整えれば、今まで気がつかなかった才能が開花することがあり、我々にもどう変わるのかは読めないのです」と率直に答えた。そして、それを今まで何度も観てきたと。この学校はやたらと年間の学園祭イベントが多いが、ほとんどが学生主体で運営を行っているという。これも、生に成功体験を積ませるための経験という。

だんだんとわかってきたのだが、大きな日々の生活などの枠はがっちり作るが、その枠内では、生徒は自由に自分たちのやりたいことをのびのびとやることが認められている。それにより、今までずっと自己否定している感情にあった状態を脱して、成功体験を積み上げ、自分の価値を自分で発見し、自然に実力を付けていく。

それでも、懸命に何か裏があるのではないかと、ジャーナリストの勘を働かせて迫ったが、枠組みは教員が作るように感じられたが、すでに伝統によりフォーマットができあがっており、学生の間で、代々受け継げられていることが感じられ、最後まで裏を感じられなかった(今のところは)。

一方で、引きこもり期間の長い、息子は受験勉強をほぼしていないため、通常の公立校に進める可能性は低かった。20代以降まで引きこもりが続いてしまった人は、もうその状況から脱出する可能性が低くなることが、統計的に明らかにされている。10代の残り少ない時期は、まだ成長の余地が残っている。親としては、残された時間が少ないことを痛感していた。そして、本人も乗り気になったこともあり、最終的には入学させることを決意した。やはり、今年も入学者は、そういう訳ありの学生がたくさん集まってきているようだ。

■地響きが鳴り響く上級生の起立、着席

そして、入学式当日は、素直に驚かされた。寮に、親は到着した荷物を運び込む作業を手伝ったのだが、まず、寮の学生たちの明るさに、混乱した。オープンキャンパスの時に案内してくれた学生と、たまたま同じ部屋で、彼がてきぱきと指示をしてくれる。確か、彼も不登校の経験を持っていたはずだ。濃厚な人間関係と学生同士の信頼関係が言葉の端々に感じられ、大きく成長が進んでいることが感じられた。

そして、それぞれの部屋は20人あまり。それぞれの部屋にはルーム長がおり、それを統括する寮長はすべて学生。各新入生にはメンターとして上級生が付き、全寮生活など経験したことのない1年生を全力で支援する。息子の担当になった学生を、彼は「本当にいい奴で、すっごい優しいから」と他の学生に紹介され、混乱する息子と親を尻目に、どんどんと部屋の準備を手伝ってくれた。

そして、入学式。「全校生徒起立!」とのかけ声に、2~3年生が。どどんと、立ち上がる。そして、「着席」で一斉に座るときには、体育館に地響きが響き渡るほどの見事な統制だった。入学式は長々とした挨拶は一切なく、祝辞さえ省略され、20分程度だった。まず、冒頭の校歌斉唱は驚くほどしっかりと歌い込まれていた。入学式は校長の挨拶はあったがシンプルな内容で短い。親も新入生にも戸惑った雰囲気が場に流れる。そして、これまた学生が構成したという、第二部が始まり、放送部が進行を行い、学校の紹介、サークルのデモンストレーションが行われ、楽しい雰囲気を作りつつ、ほどよい時間の1時間ですべてが終了。

入学式には確認できるだけで、5台あまりの三脚のカメラの姿が見えていたが、学校の広報スタッフもいるだろうが、学生による放送部が取材のための撮影も行われ、各種スポットライトといった照明も学生が担当するなど、すでに入学式でさえ、学生を巻き込んでいるのは本当のようだった。

それから、もっと驚いたのが、入学式といえば、親は自分の子供と一緒に写真撮影をしたりするものだが、すぐ学生は、寄宿学校の生活に移動させられた。そのまま、生徒は親との接触はなく、ホームルームの後、即寮に戻された。親は一緒に写真を撮る機会もなく、これまた戸惑った。最後にはあるのだろうと思っていたのだが、最後までなかった。これは下手に子供と会わせると、突然、特に女子に学校を辞めると泣きながら言い出したりする隙間を与えないようにする経験的ノウハウがあるのだろうと思った。

■今の学生にとって必要なのはリズムとコントロールされた中での自由ではないのか?

そして、担任からの連絡事項が行われ、親が抱える心配事項に丁寧に答え始めた。これまた驚いたのが、担任は、何か問題や気になることがあったらいくらでも電話くださいと、言い切ったことだ。緊急の場合には夜2時でも受けますと。気になる点、トラブルがあれば、いつでも電話くださいと。問題が起こったときには、逃げがちになる印象がある公立学校とは、逆に、全面的に、親や子供の不安を徹底的に対応しますとする姿勢は、あまりにも驚かされた。もうここまで徹底すると言われると、モンスターピアレンツもぐうの音が出ないのでは、と感じられた。学校側は、重要なのは、保護者の信頼を得ることであることを、痛感しているのだろう。それができれば自然とクレームは減る慣れがあるように思えた。

担任は、寮を担当する6名あまりの教員スタッフと共に、週に3日あまりは寮に泊まり込む。昼間は学校、夜も生徒と学校。夜はクラブ活動と夕食の後、自習時間が毎日2~3時間設定されている。特に引きこもりなどで、勉強がほとんどゼロからやり直さなければならないような生徒には、下手をすると小学生時代にまで遡り、徹底して基礎からやり直す。当然のことながら、当初はひどい成績でも、ここまで徹底されると、成績は跳ね上がる。中には、それなりに、優秀な大学に合格する学生も出てくるようになってくる。

不思議と、こうした大変な環境にもかかわらず、教員の側には一種の余裕というか、明るさがある。ここにも、何とも言えない奇妙さをずっと感じ続けている。

担任曰く、「4月中にホームシックにかかって、学校を辞めたいということは100%全員が言う」という。しかし、それを細やかに指導していくので、逆に親も単に任せっぱなしにするだけではなく、子供が不安を感じていると連絡があったときには必ず情報をシェアして欲しいともあった。寄宿舎であるからといって、親は放置するのではなく、むしろ、遠距離であっても支援がとても重要だと。

そして、2000年代中盤に入って、悩んだ末に携帯電話を導入したとも聞く。親の不安を払拭する連絡手段でもあるが、学校があまりにも広すぎるために、各生徒にも連絡をとるために重宝しているのだそうだ。そして、さらに今年の新入生からは、auのiPhone5が全員に支給された(もちろん費用は親持ち)。高校の学年がすべてiPhoneを使う試みは世界で初めてだそうだ。

■徹底した生活リズムとパターンで構成する学校生活

そして、入学式を見て、この学校の持っている一つの思想が、形を持ってやっと見えるようになった。朝昼晩の生活リズムの徹底的な立て直しによる、要所要所の徹底的な「毎日の時間のリズム」の作成。その積み重ねを通じて、その先に中期スケジュールにある、様々なイベントでの「数ヶ月単位の中期的なリズム」。それが、「3年間繰り返されるパターン」を経験する。その間に、「成功体験を積み重ねていく」ことで、社会性を持った自我を的確に育てることを目指す。

親としては思う、1年生き残ることができれば、息子はここまで行けるのだろうかと.……。

そして、一定期間ごとに、頻繁に帰省が行われるのだが、その日に保護者が見学できるイベントがセットになっている。その後、定期的な休みが取られる。しかし、基本的に親が見ることができるのは、ついつい世話を焼きたくなる寮の中でのプライベートの姿ではなく、成長している姿のみだ。また帰省時と帰校時にはフォーマルな制服姿の姿で移動することを必須とし、寮の中の学校の生活に直接介入は許されない。

さらに、教員の側にも、学生をフォローしなければならない強烈なインセンティブがあることにも驚いた。高校の授業料の支払いが月謝なのだ。もちろん、過去に半期分をとったりして、辞めてしまった学生の親とのトラブルを経験しきてきたこともあるのだろう。そのため、学生と親の満足度を引き上げなければ、学生は学校を辞めてしまうため、経営の悪化に直結する。そのため、必死にならざる得ない。

そして、特に、入学式から、ゴールデンウィークまでのこの最初の1ヶ月間が最も重要な時期であることは容易に理解できる。学生の入学前はボロボロだったであろう生活リズムを立て直し、まったく異質な新しい生活環境に適応に成功させなければならないからだ。これは、すでに校長からも親に伝えられていることだった。ただ、一方では、教員にとってもタフな職場だなあと思った。

入学当初は、多くの学生にとって、かなりのストレスな環境であることは間違いない。28日には1年生を上級生がサポートしながら行う合唱大会が行われるようだ。もちろん、校歌を学び、合唱を通じて、団体行動のイロハに慣らしていくのだろう。

■果たしてゴールデンウィーク後まで生き残れるか

最初の帰省日の28日に、引きこもりに慣れていた息子が生き残れているのかどうかは現時点ではわからない。しかし、メディアで報道されているような教育論の状況から、20年あまりのノウハウの蓄積によって、まったく違う教育論が存在しているということを知り、頭を殴られたような気がした。今の一般にあふれる教育論の外側にある長いノウハウで蓄積されてきた、確たる自信が学校側からは感じられる。

入学当初の適応の苦労は、上級性も通ってきた道だ。ぐったりしていた息子からは、夢見ていた自分のiPhone5を手に入れる事ができたことに興奮してきた電話が掛かってきて、初日は乗り切れた。ただ、それで今後とも乗り越えるかどうかは、今の時点では何とも言えない。まだ、挫折する可能性は大きく、学校選択は間違っていなかったと判断するには早すぎる。

しかし、今起きている上から教員にプレッシャーを掛けることで乗り越えようとする側面の強いゆとり教育問題の変更などと、伝統によって真逆の戦略を採る姿勢のある学校の違いを、入学式の1日を通じて、考えさせられることは多かったのは事実だ。

新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT)、作家 @kiyoshi_shin
メルマガ週刊アゴラにて「ゲーム産業の興亡」を連載中