対馬「観世音菩薩坐像」窃盗犯は、“英雄”か“盗人”か?

北村 隆司

対馬市観音寺の「仏像」を盗み出し韓国に持ち込んだ事件で、韓国で逮捕された犯人が「日本が奪ったものを探し出したのに、何か間違っているのか」と逆切れし、「韓国の文化財がきちんと保存されることを望む」と、日本への引渡し禁止を求めて訴訟を起こした。


これに呼応する様に、韓国内では犯人愛国者説が台頭し、裁判所はその声に押されたのか「観音寺がこの像を正当に取得したことが裁判で確定するまで、韓国政府は日本政府に引き渡してはならない」と言う判
決を下し、日本人を驚かせた。

この判決を知った日本人が、
“何! 他人の物を盗んで『英雄』だと? だから韓国は野蛮だと言われるんだよ!日本では、これを『盗人』猛々しいと言うんだ!”と日本人が反発しても当然である。

一方、ミッテランが大統領が返還を約束しながら、韓国にとっては貴重な文化財である『外奎章閣』の返還約束を10年以上も棚上げにした事に痺れを切らした韓国の市民団体が、返還を求めてフランスの裁判所に訴訟を提起した事件では、「『外奎章閣』はフランスの国有財産であり、取得の状況や条件はこの事実に影響を与えない」と韓国地裁とは全く逆の判決を下して、訴訟を棄却した際の韓国内の反響は「フランスが‘背信’『外奎章閣図書は国家財産』…返還訴訟を棄却」と言う社説が出た程度で、対日問題ではお決まりのヒステリックな反応は無かった。

大統領が退任すると決まった様に大型不祥事が表に出て検察沙汰になるお国柄だけに、国への信用を失った社会で広まリ安い「暴徒の正義」「力は正義」だと言う考えが広がり易く、韓国では「違法行為」「反社会的行動」でも大衆から支持されると「義賊」として褒め称える感情的な風土があるのであろう。

ここは「悪法も法なり」と言う権力側に都合の良い「法治国家」の日本とは真逆なのが笑えない。

この事件を必要以上に複雑にしている背景には、韓国特有の日本に対する「劣等感と優越感」「嫉妬と誇り」の入り混じった「対日特殊感情」がある。

その点を考えると、韓国メディアがこの事件の日本国内の反応について :
“日本では右翼を中心に今回の事件を「嫌韓世論」をあおる好材料として利用し「泥棒を英雄視する常識が通じない国」と韓国を誹謗し、仏像が盗まれたという事実のみを強調しているが、過去の先祖たちが略奪した可能性が高いという部分は、ほとんど報道されていない。”
と批判した事も理解出来る。

韓国人特有の事大主義思想の例として、同じ“文化財返還”でも、対フランスと対日では、その対応が大幅に異なった具体例を挙げてみたい。

1993年当時、韓国に高速列車TVGの売込みを図っていたフランスのミッテラン大統領が、フランス海軍極東艦隊が略奪した『外奎章閣』の返還を口約束し、その見返りに韓国がTVGを発注したがその後フランス政府は棚上げにしてしまった事件がある。

その後この問題は、李明博大統領とニコラ・サルコジ大統領の間で、5年毎に、『外奎章閣』をフランスから韓国へ「貸与」を更新し続けるという形で決着した。

この「へんてこ」な決着に対して、2011年4月の中央日報には、以下の様なイモーショナルな社説が載った。(下線は筆者)
「いざ戻ってくるとなると、うれしさよりも嘆息がもれる。 1866年の丙寅洋擾当時、フランス軍が略奪していってからなんと145年。 沈んでいく朝鮮、亡国の恥辱がしみ込んだ外奎章閣図書は、単なる文化財返還以上の意味を持つ。 弱肉強食の国際秩序の中で力が弱かった先祖が奪われた宝物が、韓国の飛行機に載せられて今日、故郷に帰ってくるのだ。 大韓民国がこれほど大きくなったことで、交渉に17年がかかったとはいえ、私たちの懐に戻ってくることになったのではないか。 国力がないために受ける屈辱、二度と繰り返されてはならない。 -中略― 
返還方式は非常に残念だが、フランスという交渉相手があるだけに、それも現実的な折衝だったと私たちは評価する。-中略- 
文化財はいかなる経緯であれ、一度奪われればきちんとした形で返してもらうのはこのように難しい。-中略― 
外奎章閣図書返還交渉過程でフランス国立図書館の司書が集団で反発し、国内世論の憤怒を買ったが、逆に考えればその司書の愛国心と‘文化財欲’こそが、私たちが学ぶべき点ではないだろうか。」

それに対し、「朝鮮王朝儀軌」など古文書が日本から韓国側に引き渡された時は、日本側が「引き渡し」としているのに対し、韓国側は「取り戻した」と認識し、古文書が到着したターミナルには、韓国政府は朝鮮王朝時代の衣装を身につけた国防省の儀(ぎ)仗隊を動員して盛大なセレモニーを開き「帰還」を祝った。

フランスに対しては際立ってへりくり、日本に対しては居丈高になる社説が韓国の特殊事情を物語り、可愛いらしい。

米国に移民した韓国系の人々の成功振りや韓国の急速な発展でも判る通り、勤勉で優れた頭脳を持つ国民でありながら、未だに自らの過ちを認める自信や真の意味の自尊心に欠け、普遍的な問題でも相手により言い分も態度も変える事は不幸な事である。

その韓国でも9日の朝鮮日報は「自称『愛国者』、対馬仏像窃盗犯の正体」と言う記事で、70歳台の兄弟を含む窃盗団は、愛国者には程遠い、前科を全て合わせると56犯に達する常習窃盗犯だったと冷静に報じ、「犯人愛国者論」に水を浴びせる格好になったことは喜ばしい。

文化財泥棒の「義賊論」は別として、「泥棒博物館」と揶揄される位収奪品の多い大英博物館やルーブル美術館などの例でも判る通り、国家による他国の文化財の違法な略奪・盗掘や相手の弱みにつけこんで貴重な文化財うを買い叩いた歴史的な例は枚挙に暇が無い。

これ等の所蔵品の中には、国外への持ち出しが到底許可されないほど貴重なものも多いが、エジプトやギリシャなどの原産国側が返還を求めている場合も多く、エジプトは、2010年までに5000件の文化財返還に成功していると言う。

幸いな事に宗主国を持たずに済んだ日本では、文化財を他国に収奪された経験は少ない為か、日本人の文化財の取得経過に対する関心は薄すぎ、その点は韓国に学ぶべき事も多い。

日本の国宝級の美術品を海外に流出させたとして岡倉天心やフェノロサを非難する人も少なくないが、かといって、ボストン美術館所蔵の国宝級日本美術を日本人が盗み出したら、日本では韓国の様に「盗人愛国者論」が起こる可能性は考えられない。

今回の「文化財窃盗事件」の韓国の反応は、本貫に代表される韓国人の地縁、血縁意識や日本人に対する特殊感情の強さを再認識させるとともに、国の文化財のあり方をを教えて呉れた事件であった。
日韓関係は「一衣帯水一」の一言では収まらない、近くて遠い関係が、正常化するのは一体いつの事であろうか?

2013年4月11日
北村 隆司