死にゆく地上波テレビ番組 --- 多田 純也

2013年05月04日 06:00

「テレビ番組」がつまらない。

それも昨日今日に始まったことでは無い。ここ数年で、地上波のテレビ番組は確実に面白さをなくしたと言える。

粗製濫造される低レベルのバラエティ番組、ワイドショーと区別のつかないニュース番組、感動を与えず、安易な映画化やDVD化で収益を計るドラマ、嘗て娯楽の殿堂と呼ばれたテレビ番組は、間違いなくコンテンツとして死にゆく運命にある。


【学芸会以下のバラエティ番組】

お笑い芸人の低レベル化は深刻な状況にある。
「クラスに必ず居る面白いヤツ」程度の連中が、お笑い芸人を自称し、低俗で果てしなくつまらないバラエティ番組に出演し続けている。
そんな自称お笑い芸人が、ただ自分たちが馬鹿みたいに騒いでるだけの番組を、現在ではバラエティ番組と呼ぶらしいから、質の低下は深刻だ。

三流以下のお笑い芸人が、コンビニやファミレスの人気メニューを食べながら当てるだけ、自称インテリ芸人とやらが、円卓を囲んでクイズ全問正解して万歳三唱するだけ、学ラン姿で轟華グルメの値段を当てるだけ、そんな番組の何が面白いのか、私には理解出来ない。
しかも驚くべきことに、今一例として挙げた番組はどれもゴールデンタイムに垂れ流されてることだ。

酷い一例はまだまだある。

YouTubeなどの動画配信サイトにアップされた、面白動画を無断使用した挙げ句に、タダそれを羅列しただけの番組さえあるから事態は深刻と言わざるを得ない。「自分たちだけが楽しんでるだけの自称バラエティ番組」、そんなゴミ以下の番組がゴールデンタイムに流れてるだけでも時間の浪費だろう。

その典型的な番組が、先日放送された『欽ちゃんの仮装大賞』だ。出演者や参加者による自己満足の自慰行為と安っぽく押しつけられる感動が売りの、この番組が定期的に局の目玉番組として現在に至るまで続くことは、エンターテイメントに対する重大な侮辱とさえ言えるだろう。

更に言えば、チャリティとは無関係に「今年のマラソンランナー」だけが売りの、日テレ『24時間テレビ』やそれにムダに対抗意識を燃やし、芸のない自称お笑い芸人たちが時間を浪費するだけの、フジテレビ『26時間テレビ』も娯楽に対した万死に値する愚行だろう。

【ワイドショー化し続けるニュース番組】

毎日夕方に放送される各局のニュース番組に、どれも同じようにグルメコーナーと芸能コーナーが存在することに、私は大きな疑問を抱かずにはいられない。これではまるでワイドショーではないか。このワイドショーを夕方のニュース番組と詐称する先進国は、恐らく日本だけだろう。

中でも悪質な局の場合は、エンタメニュースと呼ばれる芸能コーナーで、自局の新ドラマの宣伝を真っ先に持ってくるのだから、呆れてモノが言えない。某巨大アイドル事務所の小便小僧とモデル上がりの女優気取りのタレントとの初共演ドラマや、自分をパリス・ヒルトンと勘違いしてる女優モドキのスキャンダルとやらが果たして報道番組に値するのか、誰かご存じならば教えて欲しい。

同様に行列の出来るグルメ特集などの類も、何故報道番組でやる必要性があるのかも、誰か私が納得の出来る説明をして欲しい。約二時間弱の有り余る放送時間で、時間を惜しんでまで伝えることが果たして沢尻エリカの離婚問題やビニール袋に詰め放題が出来るスーパーマーケットの特集なのか、それが報道番組にふさわしい”ニュース”なのか、誰でもいいからご存じならば教えてくれないだろうか。

【陳腐で思考停止な原作付ドラマ】

かつては絶対に見逃せないテレビドラマが、どの局にも二つや三つはあった。どの番組も時に泣き、笑い、ためになった。そのドラマを見ただけで将来は教師や刑事を目指したものだ。

だが、そんな話は文字通り過去の話で、今やそんなお茶の間を感動させるようなドラマは各局に一つでもあれば良い方だろう。今や「ドラマチックなドラマ」を作れるような脚本家は、ほぼ絶滅危惧種状態であり、ドラマ番組はスポンサーと芸能事務所の顔色をうかがいながら、思考停止状態で漫画や陳腐な三文小説(例:最後に主人公もしくはヒロインが死んじゃうような話。)を原作にすれば簡単に作れてしまうからだ。

それでも稀に楽しめる原作付ドラマもあったりするが、それこそそんな番組は稀な例であり、大抵はよせばいいのに原作の面白さを改悪してまで、スポンサーや芸能事務所だけが喜ぶ中身スッカラカンなドラマモドキが出来上がる。それだけでもテレビ界にとっては、十分に悲劇だが、困ったことにそんな陳腐なドラマが近年相次いで先を争うかのように、本放送終了後、次々と映画化される。しかもそうした「ついに映画化」されたドラマの大半が、映画料金1800円には到底見合わないような、まるでドラマの二時間スペシャルレベルなのが実に許し難い詐欺行為なのだ。

こうした粗製濫造ドラマは、初回放送終了直後(下手すりゃ翌週の夕方など。)に恥ずかしげもなく再放送や土曜の午後にこれまでの内容をまとめたスペシャル番組が組まれ、やる気のないテレビ局の制作費削減に大いに貢献してるようだが、それを見せられる視聴者としてはたまったものでは無い。

挙げ句の果てには放映権料が安いからなのか、それともネットでの風説のようにテレビ局が韓国マンセーしてるからなのか、局によっては異常なくらいに韓国ドラマが平日の午後から垂れ流されている。10年、いやせめて5年くらい前なら、どの局も過去の名作ドラマを午後に再放送していたが、そうした名作ドラマを流すよりも”韓流”ドラマとやらを流した方が、安上がりで視聴率も稼げるのだとしたら、今のドラマ制作者には過去の作品に対するプライドすら捨ててしまったのだろう。そんな誇りの欠片もないようなテレビ屋が作るドラマが面白くないのは、当然の成り行きだろう。

【お茶の間に見捨てられる地上波テレビ】

既に以前にも書いたが、今や私はごく一部の番組以外はブログのネタ探し以外の目的では殆ど地上波のテレビ番組を見ていない。

くだらない地上波のテレビ番組を見るくらいなら、CSで過去のドラマやアニメの再放送や、骨太の海外ドラマやドキュメンタリー専門チャンネルを見てた方が、遙かに時間の有効活用であり、何よりもためになるからだ。ドキュメンタリー専門チャンネルと言えば、代表的なのはディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルやナショナルジオグラフィックチャンネルが挙げられるが、いずれのチャンネルの番組一つ見るだけでも地上波のゴミ以下の番組など足下にも及ばないくらいに面白い。

面白いのはドキュメンタリー専門チャンネルだけではない。国内外のドラマや少ない制作費の中でも趣向を凝らしたバラエティ番組や余計な演出やゲスト解説者とやらが登場しないスポーツ専門チャンネルや、過去現在の名作を放送するアニメや時代劇や映画専門チャンネル等々、CS番組は過去の地上波がそうであったように、現在の娯楽の殿堂にふさわしい存在だ。

こと映画に関して言えば、現在の地上波は惨憺たるもので、各局の目玉番組の一つだった映画番組も近作の「地上波初放送」だけが売りならまだしも、局のしがらみだけで放送される自前のドラマの映画版を恥ずかしげもなく流す始末で、益々縮小傾向にある。挙げ句の果てには現在では一部の局で過去の映画番組の時間が、局の都合で安上がりな2時間ドラマや三流お笑い芸人のダベリで時間が浪費されてる有様だ。CSの各専門チャンネルに太刀打ち出来ず、視聴者がCSに流れるのも当然と言える。

これは何も私に限った話では無い。

最近のお年寄りなどは、積極的にCATVなどでCSの時代劇専門チャンネルや映画専門チャンネルを取り入れてるそうだ。娯楽というコンテンツは金を払って観る時代なのは、何も私のような世代だけではないという事なのだろう。情報力と行動力のある視聴者は、とっくの昔に地上波放送など見限ってる。今年は地上波のアナログ放送が終了し、デジタル放送に完全移行するが、それ以前に確実に向こう五年以内に、地上波のテレビ番組は視聴者に見捨てられるだろう。「えぇ~、まだ地上波なんか観てるのぉ~? マジウケル~w」なんて時代が確実にやってくる。

【届かなかった横澤彪氏の警鐘】

かつて『オレたちひょうきん族』や『笑ってる場合ですよ』など、数々の傑作バラエティ番組を製作し、今年惜しまれて他界した元テレビプロデューサーの横澤彪氏は、テレビ業界から離れ、吉本興業役員時代から、夕刊紙で連載を持ち、現在のテレビ界や芸能界に警鐘を鳴らし続けた。横澤氏が鳴らし続けた警鐘は、言うまでも無く現在のテレビ界を憂いてのことだろう。

だが、結果的にその警鐘がむなしく鳴り響いただけで、テレビ業界に届かなかったのは、ここまでの私の駄文を見るまでもない。
横澤氏が一線を退いてからも、テレビ界に警鐘を鳴らし続けたのは、彼が誰よりも娯楽としてのテレビ界を心から愛していたからに他ならない。

しかし「制作費が足りない」「スポンサーの顔色を伺わないといけない」といった言い訳を繰り返すだけのサラリーマンと化した現在のテレビマン共の耳に横澤氏の警鐘が届かなかったのは、不幸なことだが当然の結果なのだろう。

【あとがき~とっくに死んでる地上波テレビ番組へ~】

この文章のタイトルに「死にゆく地上波テレビ番組」と記したが、実はもうとっくの昔に地上波テレビ番組などは死んでしまっている。
例えるならば腐敗が進み、自らが死人だということに気づかずに共食いをしているゾンビのようなモノだ。これから1年、ないしは2年以内に地上波のテレビ番組は確実に目に見えて衰退し続けるだろう。

「テレビの娯楽はタダで手に入る時代」はとっくに終わりを告げているのに、それに気づかない地上波テレビ番組とテレビ局は、遠からずその役割を終えて形骸化の道をたどるだろう。「楽しくなければテレビじゃない」とは民放某局の過去のキャッチコピーだが、今となってはそれを胸を張って言える地上波テレビ番組など数えるほどだろう。

時代は明らかに転換期を迎えてる。私が言えることは、娯楽が多角化と多様化の一方を続ける現在では、それは決して不幸なことでは無く、むしろ新しい時代を歓迎するべきなのかも知れない。変わりゆく時代の中で、私たちは増え続ける選択肢を有意義に選べば良いのだろうと私は思い続ける。むしろ「今頃そんな事に気づいてるの?」と一笑に付された方が、娯楽の神様にとって幸福なのかも知れない。

多田 純也
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