ブラック企業こそフリーライダーである

石田 雅彦

200703_逆光の群像足元

生物はときとして「利他的行動」をとることがあります。たとえば、粘菌やイースト菌などの酵母でさえ涙ぐましい互助の精神で助け合ったり、このサルモネラ菌の一種のネズミチフス菌のように仲間の菌のために「さぁ自分を食べてくれ」と、捕食者に身を投げ出したり自殺(アポトーシス)したりするわけです。


細菌だけじゃない。こうした助け合う行動は、鳥類やほ乳類でもあるし、もちろん我々人間の社会にも現れます。利他的な行動では、一方は利益を得るけど一方は何らかの見返りを期待して犠牲になったりする。その利益も、すぐにやり取りできるわかりやすいものばかりじゃなく、子どもが育った後とか集団の目的を達した後とか、効果が出てくるまでに時間差があります。時間差があっても忘れない「恩義」のようなものが、細菌にもあるんですね。

利他的な行動では利益も得ますが、その代わりリスクやコストもかかります。だから、利他的な行動をする集団には、常に裏切り者、怠け者、だまし屋がいてコストを回避しようとする。そうした、まさに利己的な連中は利他的な行動のコストを支払わず、集団の利他的な関係にフリーライダー、つまり「タダ乗り」しようとするわけです。

集団のほうも「タダ乗り」連中に対して自衛策をとります。たとえば、吸血コウモリの場合、こうしたコストの負担をせずに協力しない個体は、次第に血を分け合ってもらえなくなり村八分にされてしまう、という「しっぺ返し」にあったりする。

同種同士の生物に限らず、異種の生物でも助け合いの行動があります。いわゆる「共生」というやつですが「ソウジウオ」というベラの一種の魚は、大きな魚の体についた寄生虫を食べます。

このソウジウオにも、仲間に寄生虫の掃除をさせておき、自分はソウジというコストを払わず、ソウジの依頼主である大魚のウロコや粘膜を食べてばかりいるズルい「タダ乗り魚」がいます。つまり、本当はウロコや粘膜のほうが美味しくて食べたいんだが、正直者のソウジウオの場合、我慢してか渋々かどうか不明ながら大きな魚の寄生虫を食べてやっている。実は寄生虫なんか美味しくないんでしょう。

大きな魚のほうとしては、寄生虫を取ってもらうためにソウジウオを捕食せず「共生」の関係を築いている。だから、こうしたズルい「タダ乗り魚」に対しては怒って追いかけ回し、近づけなくします。この処罰が「タダ乗り魚」のコストとなるわけで、スイスの研究者らによれば、ソウジを依頼する側の大魚は、ズルい「タダ乗り魚」を避け、正直者のソウジウオのほうに積極的に身をまかせたりするそうです。

また、ズルい「タダ乗り魚」を正当に処罰する依頼主の大きな魚に対し、正直者のソウジウオたちのほうもいつになくマメマメしくお世話します。つまり、ソウジウオもソウジの対象魚の「処罰行動」をジッと観察している。ここでも「共生」の関係が築かれ、コストを払わない「タダ乗り」を排除しています。

さらに、この英国の研究者らの実験によると、本来ならソウジされる大きな魚と「タダ乗り魚」と無関係であるはずの正直者のソウジウオが「タダ乗り魚」を罰するような行動を取ることがあるそうです。これは「第三者の罰」呼ばれていて、罰を与える行動が何の利益ももたらさない場合でも、他者からズルをして利益を得た非協力者に対して積極的にコストをかける、ということを意味します。

ソウジの依頼主が怒るのはわかりますが、この魚は直接、利害とは関係のない立場にいます。それでもズルい魚を叱りつける。実験をした英国の研究者らによると、こうした行動にはかなり高度な社会的な意味があるようです。

今の日本ではいわゆる「ブラック企業」が問題になっています。彼らの経営戦術は、雇用の確保や賃金の保証といったコストを払わず、低賃金や長時間労働を商品価格へ転嫁させ、競合との競争力や店舗展開の原資、株主への高配当といった利益を得ようとする行動、といえるでしょう。逆に社員・従業員についていえば、日本の企業社会に根付いてきた「終身雇用」や「年功昇給」という利益を得られず、コストのみ支払わされているわけです。つまり、ブラック企業は従来のコストを払わない「タダ乗り」企業ということになります。

大魚とソウジウオの関係で言えば、ブラック企業はウロコや粘膜ばかり食べて「共生」関係を壊す「タダ乗り魚」です。ソウジウオの世界なら、こうしたフリーライダーには何らかの「処罰行動」がなされますが、今のところブラック企業は「世界中で同一低賃金を目指す」などと発言し、恬として恥じていません。

資本主義下における企業というのは、営利を第一に追求する一種のマシンです。放っておけば野放図に営利第一主義の行動を始めてしまう。勧善懲悪というのはドラマの中だけの話のようで、まんまとただ乗りするズルい連中というのはなかなかいなくなりません。「本当は美味しいウロコや粘膜」というわけで、隙あらばどこも「ブラック企業」めいた経営戦術をしたがっているんでしょう。粘菌にも仲間の利他的な恩義に知らん顔をし、利益だけを享受するズル賢いヤツらがいます。この米国の研究者らの観察によると、彼らは悪者同士では協力し、正直者をごまかしながら増えていく。

こうした行動を規制するために、様々な法律や商習慣、道徳・倫理などがあります。大魚とソウジウオの関係で言えば、これもまた「第三者の罰」。また「ブラック企業」に対しては、依頼主である社員・従業員や社会からの罰と同時に、ズルい「タダ乗り」を許せば依頼主の不利益になり、ひいては自分たちのコストにも跳ね返ってくる、という「正直企業」からの罰も必要になります。今の企業社会や財界から、こんな声はほとんど聞こえてきません。おそらく連中は「共生」なんかしたくないんでしょう。