慰安婦問題が盛り上がっている。というより混乱しておる。混乱に乗じて、かなり無茶な事を言うヤツが出てきた。ちょっと頭を冷やしたほうが、ええやろ。
まず、最大の論点、強制連行や詐欺の有無からや。確かなことは2つ。「自分は強制された」と言っている元慰安婦がいてる、ということと、強制を示す証拠はない、ということや。
そやから、特定の個人に強制連行の責任をとらせるのは無理な議論やし、逆に強制連行を理由に、特定の元慰安婦を他の慰安婦より優遇せよ、というのも、正しくはないと思う。そやけど、慰安婦の全てを「合法的なビジネス」と断じたり、言うにこと書いて「単なる人身売買」(すごい表現や)などと言うのも、同様に間違っておる。何せ、強制連行はあったかも知れへんし、無かったかも知れへんのやから。それ以上踏み込んだらあかん。
次に、個人やのうて、国の責任を考えれば場合も、強制性はあったと考える必要はないのかというと、そうは行かんと思う。状況証拠という点では、次の文書1点でさえ、十分に国の責任を示していると思えるからや。「軍慰安所従業婦等募集に関する件」というやつ。河野談話なんかの根拠にもなった有名な文書や。若干長いので、必要と思う部分だけ引用するから、詳細を読みたい人はリンク(Wikipediaですわ)をたどってくれ。
この文章、要するに「慰安婦の募集はちゃんとした者にやらせろ」という軍の命令や。ポイントは4つあると思う。
- 1938年の時点で「誘拐に類する」事実があり、軍は認識していた。
- こうした事を「軍の威信上」の問題や「社会問題」であると考えていたこと。
- 命令によって「募集に任ずる人物の選定を周到適切に」できると考えていたこと。
- 「誘拐に類する」事実を知りながら、慰安婦の現状調査をした形跡がないこと。
ここで言う「誘拐に類する」事実とは、長崎の女性を「カフェーで働くいい仕事」と騙して連れて行った話やが、軍自ら「誘拐に類する」と強制性を認めている。問題は、こうした事例が朝鮮でもあったかということやが、あったと考えるのが常識やろ。
まず、7年も前の長崎の事件にわざわざ言及しているのは、文章が書かれた時点でも、現役の大問題であったことを示している。そして、当時の慰安婦の大供給地は朝鮮や。しかも大量動員が求められれば、どうしても無理な募集が出てくる。また、本土と比べて警察力が弱かったこと(植民地とはそういうもの)、朝鮮女性が蔑視されていたことを考えたら、長崎であったことが朝鮮では全くなかったとは、とても思えへんやないか。
軍の関与と責任に関しては、2. 3. 4. の指摘で十分やろ。だいたい、業者が勝手にしたことなら、師団や方面軍どころか、陸軍省の複数の高官がこんな文章を出す必要は無い。無視するか、せいぜい、業者に警告して改善されないなら、追い返せばいいだけの話や。
業者がいなくなると将兵が性非行に走り、軍事的政治的に問題があるというなら、語るに落ちたということになる。必要性を認めているなら、モロに軍の関与やがな(これがあるから、米軍の司令官は兵士の買春の「必要性」を頑強に否定する)。
これまでの議論はあくまでワシの常識論や。違う立場の常識もあると思う。「強制性はなかった」「軍の関与はなかった」別にかまわへん。そやけど、他人が常識論で来ている時に、いきなり別の常識論をぶつけるのは、たいていの場合、対話不能を宣言することになり、相手と場合によってはエライことにりかねへん。
米軍相手に、事もあろうに沖縄に絡めて、これをやってしまったんが、先日の橋下市長や。アメリカはんかて、大人の事情ちゅうもんを理解してくれているから、日本国内限定の場面や中国・朝鮮相手の時には、黙っていてくれたものを、調子に乗って面と向
かって「常識の違い」をぶつけられたら、「異例の対応」をするしかなくなる。
大きな世論を代表しているはずの国会議員や自治体の主張が、この手のことをしでかすのは、国益をムチャクチャにしていることになると思うがのう。
ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト