独裁者は弱者の味方として登場する

池田 信夫

Hitler: A Biography日本の現状は、1930年代のドイツと似ている。経済が疲弊する中で、無力な与党と分裂する野党が政争を繰り返し、何も決まらない現状に民衆がうんざりしている状況は、ヒトラーが登場する前のワイマール体制と似ている。

もちろん山本太郎の知能は、ヒトラーとは比較にならない。本書も指摘するように、ヒトラーは学歴はなかったが、その記憶力はすぐれ、政治情勢を把握する能力も高く、何より多くの聴衆を魅了するレトリックにかけては、当時の大政党の指導者をはるかに上回っていた。


しかし本書は、ヒトラーの本質は彼の個人的な資質にはないという。敗戦で巨額の賠償を課された上に、大恐慌で失業率が40%を超えたドイツでは「大胆な経済政策」を実行する強いリーダーが求められていた。ウェーバーもいうように、カリスマ的支配を生むのは指導者個人の才能ではなく、彼の置かれた状況なのだ。この意味で、長期停滞に人々がいらだつ日本は、カリスマの登場する条件をそなえている。

翁邦雄氏が丸谷才一の言葉を引用していうように「あらゆる運動において、より過激な論調を出したほうが強いんですね。左翼は小児病に対して弱いし、右翼は直接行動に対して弱い。そのときちょっと待ったと歯止めをかけるのはたいへんな勇気を要することなんですね」。その兆候は、「マネタリーベースを2年で2倍にしてインフレ2%」という勇ましいスローガンを掲げる黒田日銀総裁に見えている。

ヒトラーは現実に、公共事業で雇用を創出し、中小企業のモラトリアムを行ない、ユダヤ人(大資本)に増税して労働者には減税し、老人福祉を大幅に強化し、高等教育を無償化し、母子手当で少子化対策を行ない、大規模店舗の規制を行なった。この意味で彼は独裁者というより、20世紀の生んだ究極のポピュリストだったのだ。

そして人々を団結させるために不可欠なのは、わかりやすい共通の敵である。ドイツ人にとっては、それはドイツを武装解除して天文学的な賠償を求めるヴェルサイユ体制であり、それを破棄してドイツ人の名誉を回復することが国民の要求だった。山本太郎の場合には、共通の敵は原発である。それを廃絶することは多くの人々の直感に訴えるが、そのコストは考えない。

今の日本の置かれている状況は、30年代のドイツほど悲惨ではないので、山本をヒトラーにするエネルギーはない。しかし黒田総裁の異次元緩和が実行されれば、日銀は270兆円の資産を抱え、長期金利が3%ポイントぐらい上がっただけで債務超過になる。それを埋めるために国債を日銀に引き受けさせると、ハイパーインフレが起こり、銀行の破綻や年金の停止などの破局的な事態が起こる可能性もある。

そういうとき「救国のカリスマ」が出てくることは十分ありうる。さいわい原発デマを垂れ流す芸人の山本にそういう能力はないが、「200兆円の国債を発行して公共事業をやれ」というヒトラーと同じ政策を主張する京大教授が内閣官房参与になっているのだから、そういう連中が政権に入り込むリスクはある。

本書も指摘するように、ヒトラーの成功した最大の原因は、最初は「労働者党」という左翼政党の指導者として登場し、一貫して大衆の味方として大資本(その代表がユダヤ人)を攻撃したことである。このためヒトラーの支持率は1940年まで世界最高であり、人々は「総統」の命令なしに自発的にユダヤ人を虐殺したのだ。

だから「原子力村」を糾弾し、被災者の味方を自称する山本のレトリックは、ヒトラーと本質的に同じである。いつの時代にも、本当に危険な人物は独裁者の顔をして出てくるのではなく、弱者の味方として登場するのだ。