「真のグローバル化」とは何か ~ 価値観の違いやリスクを考える --- 佐藤 正幸

アゴラ

あなたがある会社の社員だとしよう。

この会社では全ての総合職に英語研修が義務付けられていて、イギリスに研修のため派遣される。あなたは研修生としてイギリスへの派遣が決まった。当然、空港までのコストは会社が持ってくれる。会社の規定集には「最寄りのターミナル駅まではタクシーの使用を許可する」と書いてある。

ただあなたは都心からは離れた首都圏に住んでおり、最寄りのターミナル駅と言えば新宿駅になる。しかし、あなたの家から新宿駅までは1万円以上はかかる。ただ、研修期間は2ヶ月程度なので荷物もそれなりに量がある。

ここで質問だ。この状況下であなたはどういう対応するだろうか。


この質問は日本人にするのか、外国人にするのかで大きく答えが異なってくる。日本人で多いのが荷物は重いが我慢して新宿まで行くべきだという意見だ。

一方で外国人に多いのが、会社の指定した研修で曖昧な記載しかないのなら、新宿までタクシーで行ってしまえばいいという意見だ(そもそも事前に人事に確認してみてはというご意見もあろうが、この社内規定が世界ではどう捉えられるを考えるのが拙稿の主題であるのでこの点は見逃していただきたい)。

育った環境が異なればその数だけ答えがあるだろう。そもそも「ターミナル駅」とは何を指すのか。

この会社は荷物を運ぶ手間を考慮してタクシー利用を認めているのだと考えれば、空港まで一本の特急に乗ることで空港へ荷物を運ぶ負荷を極力減らすことがタクシー利用の目的と考えられる。つまり、こう考えた場合、新宿駅までタクシーを使用することが目的に照らし合わせれば当然ということになる。この言葉は非常に曖昧で、目的によって解釈は如何様にもできるだろう。

この話は筆者が民間企業に勤めていて経験した実際あった話だ(この民間企業は世界を舞台にビジネスをしている会社であり世間的にはグローバル企業と認識されている)。

こうした解釈如何でいかようにも取れる文言を会社の内規としてグローバル企業と認識されている会社ですら使用している。これはグローバルとはかけ離れた意識としか言いようがない。

この企業で筆者はマーケティング担当者として英文契約書のやり取りを海外の顧客と行っていたが、契約書の世界ではありえない話だ。文言は自分たちに降りかかるリスクが最大限低減できるよう気を使い、何度でもやり取りを行う。曖昧な言い方はせず、はっきりと明確にリスクにならない文言で、が基本だ。助動詞や動詞の細かい使い方にも気を配るのが通例だ。これは海外では性善説は通用せず、隙あらばこの隙がとんでもないリスクにつながるということを前提としている。

こういう前提がある国際社会において少なくとも日本でグローバル企業と認められている会社ですらリスクの塊のような文言を使っている。これはグローバル化とはなんなのか、という問いかけともいえる。

多くの日本人は海外で事業を行っている会社や人をもってグローバルを論じ、グローバル企業だとかグローバルビジネスパーソンだと考えているように感じる。グローバルというのは「海外で」何かをやっているからグローバルということではないだろう。

グローバル化を語るのなら、まず自分とは異なる価値観が存在すると認識をするところから始めるべきだろう。価値観次第で曖昧なコト・モノはリスクになりかねない。様々な価値観を想定してアクティビティーを行わなければならない。この会社は現在も絶好調で業績を伸ばしているが、この認識を改めない限りグローバル企業として海外勢と御してゆくのは難しいと思う。少なくともいずれかのタイミングで行き詰まるだろう。

誤ったグローバル意識を捨て、多様な価値観を受け入れる努力をすること。その中で様々なリスクは様々な価値観に依拠しているという認識をマネジメントが持つこと。様々な価値観うんぬんはこれまでも語られてきたが、いまだに実現できている企業は少ないのではないだろうか。価値観とリスク。この二つのポイントからグローバル化を語る必要がある。

「グローバル」企業から真のグローバル企業へ。アベノミクスで飛躍すると意気込む前にグローバル化を再定義することから始めてはいかがだろうか。

佐藤 正幸
World Review通信アフリカ情報局 局長
アフリカ料理研究家、元内閣府大臣政務官秘書、衆議院議員秘書