「金鉱よりもスコップ」という投資格言

森本 紀行

金鉱を掘り当てれば、儲かる。巨額な利益であろう。しかし、金鉱を掘り当てるには、それなりの投資が必要である。しかも、投資が成果を生むかどうか、つまり、本当に金鉱を掘り当てられるかどうかについては、極めて大きな不確実性が伴う。大きな不確実性と、大きな期待収益、ハイリスク、ハイリターンというのは、こういうことをいうのだ。


最近は、西部劇というのも流行らない。カリフォルニアのゴールドラッシュに押し寄せた一攫千金を狙う人々の群れ、あれが西部劇の重要な背景であったわけだが。その一攫千金を狙う人々の群れのうち、本当に金を掘り当てて儲けたのは極々少数だったに違いない。

しかし、金を掘り当てた人も、掘り当て損なった人も、同じように採掘活動と生活を支える物資を必要としたはずだ。西部劇の舞台となった町並みには、そのような物資を供給する店舗が並んでいる。必ず酒場があるのは、娯楽の少ない荒野での生活の必要に基づくのだろう。

さて、当時のカリフォルニアには、金鉱を掘る商売と、金鉱を掘る人に物資を供給する商売との、二種類の性格の異なる商売があったと思われる。大事なのは、後のほうだ。採掘活動が行われる限り、鉱業という地域産業が成立し、そこには、地域経済が栄えるのだ。

金鉱を掘るためのスコップを供給する商売は、金鉱を掘ることよりも有利だ。スコップは壊れるので、掘り続ける限り、スコップに対する需要は安定するからである。スコップの製造と販売にかかわる商売は、金鉱を掘り当てるという究極の不確実性を制御する一方で、金鉱を掘ることから生まれる収益には巧妙に参画しているのである。

「金鉱よりもスコップ」というのは、投資の格言の代表例で、特に、株式投資の一つの古典的考え方である成長株投資の本質をいうのである。

本質的な技術革新は、常に新しい産業を生み、その産業は極めて大きな成長の可能性をもつ。そのような成長の可能性を持つ企業群へ投資するのが、成長株運用である。

成長といえば、コンピュータ技術の革新に始まる情報革命などが代表的なものだ。しかし、情報産業という巨大な鉱脈にも、金鉱とスコップのような連鎖の関係は必ずある。中核を形成する基礎技術の革新と、そこから二次的・三次的に派生する付随的需要との関係である。半導体の革新がコンピュータの革新を招き、それがソフトウェアの全面的更新へつながるというように。

この場合でも、中核となる基礎技術の開発は、恐らくは巨額な投資と長期の時間が必要なもので、大きな不確実性を伴う。しかし、二次・三次技術は種類が多いので、そこでの投資は、基礎技術のリスクを回避しつつ広範なリスク分散を可能にするものと思われる。成長株投資でも、中核技術を支える巨大な少数企業へ投資するのではなく、二次・三次技術に係わる多くの企業群から銘柄を選択するほうが、リスクと収益の関係が良くなるということだ。