書評:池田信夫『「空気」の構造』(上)--日本人論の再構築 --- 中村 伊知哉

アゴラ

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「空気」の構造

「社員は優秀なのに経営者が無能!?日本の政治と企業の「失敗の本質」をさぐる。丸山眞男、山本七平の営為を踏まえ、「日本」を語るための新たな地平を模索する渾身の書き下ろし。」

本書の帯に、そうあります。営業用に編集者が書いたと思われます。本書には「!?」てなマークはつかないからです。それより、「いま日本の政治や経済の直面している混迷は、日銀がお金を配れば解決するような簡単なものではなく、もしかすると数百年に及ぶ歴史の中で形成されてきた日本人の伝統的な意思決定や行動様式に原因があるのではないか、というのが本書のテーマである。」という著者本人の素直な紹介のほうがストンと来ます。


「空気」。原始共同体、農村社会から武士道、帝国陸軍、日本的経営、そして原発事故に至るまで、日本のタコツボ型ボトムアップ構造が空気となってわれわれ自身を縛ります。現在のような変化の時代には具合がよくありません。丸山眞男と山本七平、そして梅棹忠夫、網野善彦、中根千枝ら多彩な言説を縦糸にしつつ、経済学、政治学、人類学、民俗学などを横糸に、日本論を再構築します。

でも、本書について、ぼくが深く論評を入れることはできません。扱われる時代も分野も広大で、縦糸も横糸も強いので、消化するのが大変すぎて。語調が軽やかなので、ふんふんと読み進めることができるのですが、それでもウッと立ち止まって考えさせられる点があり、そのいくつかのでっぱりについてコメントします。

なお、ぼくのプロジェクトに関与する学生たちには読んでおいてほしい。政策を作る際に必要な意志決定の要諦、そしてクールジャパンを考える上での日本論の系譜。ぼくがうまく説明できないことがここにありますから。

例えば、219ページからのわずか3枚で、天皇、内閣、元老、政党、戦後体制から現在に至る政治行政システムが濃密にまとまっています。政策屋としては、その構造と系譜は基礎の基礎。そこだけでも押さえておいてほしい。

本書は各章の合間に「日本人の肖像」として、7人を取り上げています。福澤諭吉、北一輝、南方熊楠、岸信介、石原完爾、中内功、昭和天皇。そのリストを眺めるだけで、本編を期待させるじゃないですか。

誤解を恐れずに言えば、北一輝ファンとしては「近代日本のもっとも重要な思想家の一人」として「福沢諭吉に匹敵する」と紹介する時点で、池田さんらしいなぁ、であります。政治家として岸信介を取り上げ、軍人として石原完爾を指名するのも池田さん的です。何より、経済人としての貴重な一枠に中内さんを抜擢するところなど、ニヤリとさせます。

本書は、日本人論の再構築です。

「日本人は、日本人論が好きである。・・アメリカ人がアメリカ政府を論じることは多いが、「アメリカ人論」というのは聞いたことがないし、そういう議論は成立しないだろう。」そして、さまざまな日本人論が紹介されます。

例えば、木村敏を引き合いに出し、「日本人の思考の基礎にあるのは個人主義ではなく、かといって集団の目的にメンバーが従属するという意味の集団主義でもない。人々の行動を制約するのは、それ自体は実体のない「あいだ」である」と整理されます。

「日本人の場合、そういう大きな社会を統括する国家の生まれるのが非常に遅かった(明治以降)ため、社会を抽象的な対象としてとらえる習慣がなく、目に見える人と人の関係の集合としか見ない」、とも。

ベネディクトが人間関係を基準とする「恥の文化」を日本人の特徴とし、中根千枝の「タテ社会」や丸山眞男の「タコツボ型」という共同体を日本的な社会構造とみるのも議論が連なります。

ぼくが興味をそそられたのは、国民性の起源を土地や気候に求めるバリエーションとして紹介される「水社会論」。日本の農村社会の水利秩序はボトムアップだというのです。

「皇帝を中心とする水利社会では上流が集中的に水利権をもっているのに対して、日本の水社会では下流の村が決定権をもち、それを調整する組合の合意が上流の組合の意思決定を決める。いわば枝が集まって幹をつくるようなボトムアップの構造になっているのだ。」

その構造が現代の官庁や企業にも受け継がれます。

「個々の現場がタコツボ化して、全体を統括する中枢機能が弱い。目的を設定して必要のない部分を切る全体戦略がないので、現場がいくらがんばっても収益が上がらない。意思決定が人間関係に依存しているため、指揮官は調整型になり、子飼いの部下ばかり集まる。「平時」に淡々と業務を運営するときは強いが、「有事」の危機管理に弱い。」

この部分はおおかたが同意するのではないでしょうか。

たくさんのタコツボ的なコミュニティーが連結していて、全体の指揮系統がハッキリしないというのは、ソーシャルメディア的ですね。バルス祭りで盛り上がる炎上大国ニッポンの社会構造は、ソーシャルメディアとの相性がよいということかもしれません。(つづく)


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年9月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。