起業物語:拳骨に耐えた「クロネコヤマト」と夢を果たした「FEDEX」

北村 隆司

複合一貫輸送(輸送物品を組み替えることなく、鉄道車両、トラック、船舶、航空機などの異なった輸送機関を複数組み合わせて運ぶ輸送形態)が登場してから半世紀。輸送の形態変化と情報化のスピードは想像を超える物がある。

世界の複合一貫輸送革命の立役者は、何と言っても日本の「クロネコヤマト」と米国の「FEDEX」、特にこの両社を率いた小倉昌男とフレデリック・スミスと言う二人の傑出した起業家である。


奇しくも、その小倉昌男氏が父親に代って「大和運輸」の社長に就任した年とスミス氏がFEDEXを創立した年は同年の1971年で、経営難からの脱却を目指し「宅急便」の名称で民間初の個人向け小口貨物配送サービスを始めた小倉氏やオーバーナイトデリバリー(翌朝配達)の実現を目指したスミス氏の実業人生の出発が、複合一貫輸送の黎明期と重なった事も感慨深い。

小倉氏の経営の足跡は、NHKの「プロジェクトX~挑戦者たち」や日経の「私の履歴書」に詳しいが、文字通り「宅配便」の規制緩和を巡って旧運輸省や旧郵政省の官僚の理不尽な要求との闘いの連続であった。

当時の日本の弱いもの苛めの風潮は民間にも及び、創業以来の取引先であった三越の無理な要求に抵抗し、業者である大和運輸が大手客先の三越に取引停止を通告すると言う前代未聞の行動に出たのも小倉氏で、この騒動は両社のシンボルマークを揶揄して「ネコがライオンにかみついた」と話題となった位である。

この様に、小倉氏は経営エネルギーの多くの部分を「強者からの圧力」との格闘に費やしながら :

お客様との約束は必ず守ります。
お客様には明るく元気に挨拶します。
お客様の荷物は基本ルールを守り責任をもってお届けします。
お客様に信頼される情報入力を実行します。
思いやりのある運転を実行します。

と言う同社の顧客に対する「誓いの言葉」を、従業員に徹底させる事にも大きな勢力を費やした。

この小倉氏と従業員の獅子奮迅の努力のお陰で、当時は中小規模に過ぎなかった「大和運輸」が、現在では売り上げ1兆2000億、従業員13万人超、日本の業界第2位の「ヤマト運輸」に衣替えすると予想した人は皆無に近かったのではなかろうか?

既得権を優先して複合一貫輸送の実現を妨害をする官僚と闘った日本企業は、「ヤマト運輸」に限った事ではなかった。

1958年から大手船会社を中心に企画された貨物専門航空会社は1978年になってやっと日本貨物航空株式会社として設立されたが、旧運輸省や当時国際定期路線を独占していた日本航空に執拗に妨害され、永年に亘り事業免許が取得できなかった。

同社は1983年になって、やっと定期航空運送事業免許を取得したものの、日本通運は免許取得上の問題を指摘され経営参加から離脱を余儀なくされ、日本の複合一貫輸送の実現はならなかった。

それでいながら、日本の監督機構は現在でも旧態依然とした「反複合一貫輸送」組織を維持し、道路局、鉄道局、自動車局、航空局、海事局、港湾局 など縦割り型のままである。

日本人の多くは「各国の飛行場に多数のFEDEX , UPS, DHLなどの飛行機が駐機しているのに、日通の飛行機もヤマネコヤマトの飛行機も見当たらない事」を不思議と思わない。

これは、輸送機関毎に分けた縦型行政の人為的分類にならされた日本人の「ゆで蛙」現象で、このままでは、規制環境を其のまま受け入れる様な若者が溢れるのでは? と日本の将来が心配だ。

一方、スミス氏は何を原動力として起業を進めて来たのだろうか?

少年時代から飛行機好きでアマチュアパイロットでもあった彼は、エール大学の経済学のクラスで「アメリカの国土のほぼ全域でオーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にしたハブシステムの原案」をレポートとして提出して、落第点に近い評価を受けたと言う。

彼は後年、教授の評価が低かったのは「実現可能な案だからに違いない」と言い、このレポートはフェデックスの本社に飾られている。

彼の実業人生は、1970年に小さな飛行機整備会社を買った事に始まるが、定期便が少ない為に飛行機部品の納期が遅れ勝ちで、その間、高価な航空機を遊ばせる事が悩みの種であった。

そんな或る日、夜空を見ながら「夜の空は空いている」ことに気が就き、自から飛行機を所有すれば学生時代の夢であるオーバーナイトデリバリー(翌朝配達)は充分可能だと確信し、1971年に当時の価値で27億円(現在価値にして550億円)を調達してFederal Expressを創業する事になる。

スミス氏の夢は、年間売り上げ4兆2000円、従業員数28万人、所有航空機数623機(全日空や日航の倍以上)の世界最大の民間航空会社として結実したが、2012年度の年間航空貨物取扱量では、FEDEXの専用空港とも言えるメンフィス国際空港は、香港国際空港の406万2261トンに次いで世界第2位の401万6126トンを扱い、10位の成田国際空港の200万6173トンを遙かに引き離しているのも凄い。

更に驚くべきは、FEDEXは情報化時代の特典をフルに活用して「製造プロセス」の一部としてメーカーに入り込み、グローバル企業の各国工場からの部品をハブに集めて、組み立てスケジュールに従い世界に散らばる工場に納入する処まで進化している。

この「創造力」は、日本の官僚には監督どころか理解も出来ない領域であろう。

この様に比較すると、世界の複合一貫輸送をリードする「FEDEX」と日本の街中を駆け抜ける「クロネコヤマト」では比較にならない様に聞こえるが、時代に先駆けて顧客のニーズを先取りした点では「クロネコヤマト」も「FEDEX」も立派なパイオニアーである事には変りない。

肌理(きめ)の細かい日本独特のサービスは欧米よりアジアに向いている事は確かだろうが、NYなど米国の大都市でも有機食品の普及や消費者の新鮮志向もあり「宅配」は急速に伸びている。

日本人の肌理の細かさは良しとしても「長さ、幅及び厚さがそれぞれ40cm、30cm及び3cm以下であり、重量が250g以下の信書を日本全国に3日以内に配達する事業」等と法律で規定するに至っては、日本の官僚の法律策定能力の低さと過剰管理を象徴する現象で、小倉氏が経営エネルギーの大半を国の規制との闘いに向けたご苦労を考えると今でも腹が立つ。

それに比べ、スミス氏が自分の夢の実現に向けてひた走れた米国の起業環境は余りにも違い過ぎる。

2013年9月28日
北村 隆司