「国のために戦い、倒れた方々」を私営施設に祭る事が適切であろうか?

2013年10月22日 13:11

安倍首相は常日頃から「国のために戦い、倒れた方々に手を合わせて尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りする気持ちは今も同じだ。リーダーとしてそういう気持ちを表すのは当然のことだ」と語っているが、私もこの言葉に異議はない。

しかし、国の為に倒れた方々の追悼施設が「靖国」と言う単なる私営の宗教施設だとしたら、英霊に対する国家の欠礼ではないか? と言う疑問は絶えない。


現に、世界の主要国の戦没者追悼施設は全て国営で、宗教色は持たない(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tuitou/dai7/7siryou1.pdf)。

戦没者追悼施設の宗教色排除は、国民の殆どがカトリック教徒のイタリアやポーランドでも例外ではない。

各国が戦没者追悼施設から宗教色を排除する理由は、少数派の国民でも多数派の国民と並んで、国の為に命を捧げた方々へ祈りを捧げられる為の国家の最低の配慮だと考えているからだ。

日本でも靖国を国家管理に戻そうとする「国家護持運動」の動きはあった。

この「運動」は憲法との関係で靖国神社の非宗教化が必要になり頓挫したが、その経過で非宗教化に寛容であった日本遺族会会長とそれに反対する大東塾との会談中に、激昂した大東塾員が暴力行為を起こし、この会談を斡旋した公安調査庁長官に義理立てした大東塾頭が手の指を一本切って差し出すなど、反社会団体と警察、靖国が渾然一体となっている事実が白昼に晒されると言うお粗末振りであった。

また、戦時中に前線で戦った兵士たちが「靖国で会おう」と約束して死んでいった事が「靖国」を正当化する理由の一つにされているが、今となっては「死人に口なし」で、この約束の有無は否定も肯定も出来ない。

しかし、多くの生き残り特攻隊の人々の証言では、出陣前の殆どの若者が口にしたのは両親や家族、恋人への思いであり、むしろ「靖国で会う運命は避けたかった」と言うのが真実に近かったように思える。

国のために命を捧げた多くの軍人の残された家族には、敬虔なクリスチャンや仏教徒も居られたに違いない。その点からも,戦場に散った兵士を本人の承諾も無しに特定の宗教施設に祭る事は英霊に対する侮辱でさえある。

しかし、世界で靖国が問題になっているのは宗教問題でも、第二次大戦の戦死者の慰霊方式でもなく、戦争当時の指導者の結果責任の取り方でありる。

国民が参加して決められた物であれば、戦没者の慰霊先が神社であろうが仏閣であろうが他国が口を挟む筋合いに無く、A級戦犯の合祀も国民の意思が最終であるべきだ。

国民にとって問題なのは、この重大決定が国家の関与も無く、近代国家に欠く事の出来ない透明性を無視した「宮司」の一存で決まる暗黒制度にある。

このように、靖国が外交問題として大きな話題を呼んでいる今日、東京で開催された日米集団安全保障を巡っての2プラス2協議に参加するために来日中であったケリー米国務長官とヘーゲル米国防長官が、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ献花した事が大きな話題を呼んだ。

この事について、安倍首相が今年訪米した際にアーリントン国立墓地をA級戦犯が合祀されている靖国神社になぞらえた事に対して、米国が牽制するものだ等等の政治的観測も多く報道されたが、私は日経記事に出た

千鳥ケ淵墓苑は米国でいえば、アーリントン国立墓地に相当するもので、日本の首相や防衛相が訪米した際にもアーリントン墓地を訪問する。ケリー、ヘーゲル両氏の献花には日米関係の重視と戦争で亡くなった方々への尊敬の念が込められている。靖国は宗教法人の神社であり、神道の神社である。お墓ではない。千鳥ヶ淵墓苑はアーリントン墓地と同じくお墓だ。アーリントン的なところだ。アーリントンと千鳥ヶ淵墓苑は似ている。

と言うジェラルド・カーチスコロンビア大学教授のコメントが一番妥当のように思えた。

アーリントンが話題になったついでに申し上げると、靖国が旧幕府軍や奥羽越列藩同盟軍の戦死者、西南戦争の西郷隆盛ら薩摩軍を対象外としているのに対し、アーリントンは南北戦争の南軍の司令官であったロバート・リー将軍をはじめ南軍の将兵も敵味方の区別なく埋葬の対象としている事だ。

更に、世界の戦没者追悼施設は共通して外国人を対象者から外しているが、靖国は日本人でも対象から外され場合がある一方、中国人や韓国人は場合によりその対象に入れると言う珍しい存在だと言う事も知って置くべきであろう。

アーリントンの埋葬対象者の決定は、世界各国の戦没者追悼施設同様に、宗教や人種、生誕地の差別なく法律に基ついた透明な手続きで行なわれている。

東京裁判が勝者に依る敗者の一方的な裁きであったことは否定の余地はないが、日本国民が大戦中の指導者の結果責任を追及せずに、加害者である指導者と被害者の英霊を合祀して良いとも思わない。

高市自民党政調会長の「当時、資源封鎖され、まったく抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか?」と言う真珠湾攻撃肯定論や東京裁判無効論に同意したとしても、指導者の結果責任を問わない限り片手落ちの議論である事は変らない。

そして何より、この戦争の最大の被害者が日本国民であった事を忘れるべきではなく、純然たる日本国民の立場から結果責任を明らかにすることが、無念の思いで戦地に散った英霊に対する義務でもある。

戦犯合祀の是非に対する中国や韓国の抗議に対する回答は、日本国民の戦時指導者への結果責任の追求にあり、謝罪にあるのではない。

更に、高市氏は「日本の国策に殉じて尊い命を捧げた方を、どのように慰霊するかは日本国内の問題だ」と言うのはその通りだが、所謂A級戦犯は国策に殉じた訳ではなく、誤った国策を作り多くの日本人を犠牲にした責任者だと言う事を忘れては困る。

今更「靖国が外交問題になる方がおかしい」と主張しても、外交問題になっている事は厳然たる事実であり、これを日本の国益に沿って解決するのが政治家の任務で、国論を割って人気取りをするのが政治家の仕事ではない。

靖国が世界の戦没者追悼施設とはかけ離れた特殊な政治的、宗教的な施設である以上、高市氏の主張が国際的に受け入れられる余地は小さい。

同じ敗戦国のドイツは勿論,半敗戦国のイタリアでも戦争の結果責任の追及は厳しく、高市氏の様な主張は極右の政治家に限られている。

その証拠に、ローマで10月11日に100歳で死去した元ナチス親衛隊将校のエーリヒ・プリーブケ受刑者は、祖国ドイツでも亡命先のアルジェンチンでも埋葬を拒否され、その遺体がイタリア国内の「秘密の場所」に葬られるほどである。

靖国問題は中韓との交渉で決まる可能性は低いが、日本国民が当時の指導者に第二次大戦の結果責任を求める事が、問題解決への第一歩であると思えてならない。

2013年10月22日
北村 隆司

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