日韓併合って何?

池田 信夫

松本さんの記事は、小学生にはわかりにくいと思うので、少し解説しましょう。日韓併合というのは、1910年に日本が韓国(当時は大韓帝国)と結んだ条約で、韓国を日本の領土にしたことをいいます。このときから1945年までの35年間、朝鮮半島は日本の支配下に置かれたのですが、韓国の人々は、これをなぜか「日帝36年」といって、いまだに根にもっています。

それは気持ちとしてはわかるのですが、少なくとも国際法上は、日韓併合条約は大日本帝国と大韓帝国の合意のもとに調印・批准された正式の外交文書です。この条約が日本の圧倒的な軍事的優位のもとに結ばれたことは事実ですが、当時の韓国では多くの餓死者が出て、100万人の韓国人が「日韓合邦」を求める請願書を出しました。


もちろん日本が善意で韓国を助けたのではありませんが、韓国から「搾取」したわけでもありません。韓国の教科書に「日本の朝鮮総督府は40%の土地を接収し、生産された米の半分を収奪した」などと書いてあるのは嘘で、総督府は朝鮮人の土地所有権を確認しただけで、国有地は全国の土地の3%程度でした。

1910年には1300万人だった朝鮮の人口は、占領末期の1942年には2550万人に倍増し、この間に工業生産は6倍以上になりました。植民地時代の朝鮮の資本蓄積の90%は日本の資本によるもので、この投資を回収する前に日本は戦争に負けたので、日韓併合は結果的には大幅な赤字でした。これは満州も同じで、植民地支配は割に合わなかったのです。

しかしソウルの南にある「独立記念館」では、上の写真のような日帝の悪行が毒々しいろう人形で展示してあり、韓国の小学生は必ず遠足で行きます。実際に植民地時代を経験した韓国人は日本語もわかり、日本人に悪い感情はもっていないのですが、こうした反日教育を受けた戦後世代のほうが反日感情は強い。これは韓国の軍事政権が民衆の反発を反日感情でごまかそうとしたためで、台湾にはこういう反日感情はありません。

実はこのように植民地支配が赤字になったのは、日本だけではありません。最近の「数量経済史」とよばれる、数字で歴史を実証する研究によれば、19世紀後半からイギリスが植民地から得た利益はGDP(国内総生産)のたかだか数%で、20世紀になってからは赤字だったと推定されています。第2次大戦後、イギリスの植民地のほとんどは独立しましたが、これによってイギリスの財政は助かったのです。

それでもイギリスは16世紀以降の長期でみると大幅にもうけた国で、産業革命といわれる資本蓄積の大部分は、新大陸(アメリカ)などから巻き上げた富によるものでした。500年前から通算すると、オランダは黒字でしたが、スペインはプラスマイナスゼロぐらいで、フランスとドイツは赤字だったと推定されています。植民地でもうける以上に、軍事費の負担や戦争の被害が大きかったからです。

しかし、こうした国々が近代化を進める上で、植民地を奪い合う帝国主義の戦争が大きな推進力になったことは間違いありません。20世紀初めには、世界の陸地の実に84%がヨーロッパの国の領土になりました。そのわずかな例外が、日本と中国でした。日韓併合しなければ、朝鮮はソ連の植民地になったでしょう。日本人にとってはそのほうがよかったのですが、韓国人にとってはどうでしょうか。