エネルギー・原子力政策はなぜ混迷したのか?--菅元首相の発言から考える(下)

GEPR

石井孝明
経済・環境ジャーナリスト

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写真2 「霞が関政策総研チャンネル」

菅氏のゆがんだ事実認識

「原発は危険だ。だからゼロに」-菅元首相の発言から考える(上)」で示された菅氏の発言を、どのように解釈するべきであろうか。


そこからうかがうかぎり、菅氏はエネルギーについて、誤った、もしくは片寄った考えを数多く信じていた。もし首相として、それらに基づいて政策を決断していたのなら、おそろしいことだ。

例えば菅氏は原発のリスクを強調する。特に近藤俊介原子力委員会委員長のつくった「事故による5000万人避難の可能性」の文章の存在を各所で繰り返す。これは関係者の間では「福島第一原発事故の不測事態シナリオの素描」と呼ばれたものだ。しかし、これは別に公文書ではなく、個人の「覚え書き」の意味にしかすぎない。

以下は政府事故調査委員会最終報告書(本文)の286ページによる。政府の役人や専門家が、原発事故で誤った情報を提供したことを怒った菅氏が3月22日に、直接の担当ではない近藤氏に「事故の最悪の事態」の分析を依頼。しかし近藤氏は、原子力委員会の職分ではないことから、個人の資格で「素描」として提出した。

素描は4号炉の使用済核燃料プールが崩壊し、そこから放射性物質が流失した場合を想定した。しかし近藤氏は細野豪士首相補佐官(当時)を通じて25日に提出した時に、「素描が起こるとはほとんど考えられない」「4号炉の補強対策をすれば防げる」と説明した。菅氏はこの文章を政府見解のように繰り返し、多くの人に事故の恐怖を広げようとしている。これは問題のある行為だ。

また菅氏は、「ドイツはエネルギーを減らして経済成長した」と述べている。しかし、それは1990年前後、東西ドイツの統合直後の一時期でしかない。これはエネルギー効率の悪い東ドイツを統合し、設備を効率のよい西側製品に変えた時に生じたためだ。

「経済成長に伴って、産業、個人の電力使用量は必ず増加する」というのが、普遍的な現象だ。(図表参照)

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今回は割愛したが再生可能エネルギーについて、菅氏は楽観的な見解を繰り返し、欧州諸国を賛美した。エネルギー供給体制は、国情によって最適なものが違う。日本に参考になる面はあっても、他国の経験はそのまま当てはまらない。

さらに菅氏は原子力のコストは高い、事故対策費用の巨額さを考えるべきだと批判する。しかし事故対策費用は、避難基準、またどこまで放射性物質を規制するかでまったく異なる。民主党政権は、民意に迎合して、必要のない過剰な規制を取り入れることで、福島復興を遅らせ、コストを引き上げた。

菅氏は、核燃料サイクルの失敗、また放射性廃棄物問題の処理が未決定であることを指摘した。確かに問題であるが、だからといって原子力を止めるというのは暴論であろう。

エネルギーを知る人は、菅氏の一連の発言の誤りにすぐ気づくだろう。GEPR・アゴラでは、再生可能エネルギーの問題について、多角的に検証してきたので参照いただきたい。

菅氏はその主張で、解決までに時間軸が異なり、また解決順位の優先度の異なる問題を一度に取り上げ、「だから原発はダメだ」という議論をする。こうした論法は、問題を混乱させるだけだ。優先順位を考えなければならない。目先の重要な問題は原発の停止による日本の化石燃料の大量使用、そしてコスト増にある電力料金の値上げだ。それに取り組み、再稼動をしながら、原発の未来を考えるという合理的な態度がなぜできないのだろうか。

「原子力ムラの謀略」という誤った意識

さらに菅氏は、「原子力ムラの謀略がある」と繰り返した。そして「自分は攻撃された」と、被害者意識を述べた。首相となった人が「原子力ムラ」などと、概念のあやふやな敵を勝手につくり、あいまいな論拠で他者を攻撃する行動は問題だ。

原子力関係者は、出身者が少数の大学に限定され、「理系知識人エリート」が多く、自然に閉じたサークルを作る。確かに問題のある面はあったのかもしれない。しかし、その「原子力ムラ」が日本のエネルギー政策を壟断するという考えは、あまりにも稚拙だ。原子力ムラがそれほど強大なら、菅氏による政治の不当な干渉と原発の停止によって、東電以外の電力会社が合計で年1兆円規模の赤字を垂れ流すようなことにはならないだろう。

菅政権を回顧した文章を見ると、多くの人が専門家の助言を適切に活用できず、混乱したと評価するものばかりだ。これはトップである菅氏が、人の意見を聞く姿勢に欠けていたことが一因なのかと推測できた。

菅氏が謀略の一例として出した「海水注入」の問題も、菅氏に責任の一端があるようだ。以下はジャーナリスト船橋洋一氏の著書、「カウントダウン メルトダウン」(文芸春秋)による。

3月12日に、福島第一原発の1号炉は建屋が水素爆発をした。菅氏は「水素爆発はない」と間違えた忠告をした原子力安全委員会の班目春樹委員長(当時)を激高して怒鳴りつけた。その後「海水注入を」と進言した班目氏に「もっと詰めろ」「影響は考えたのか」と、東電から人が参加した会議の席上で、激しい言葉で詰め寄った。

船橋氏は指摘していないが、この状況を見た東電側が「首相が海水注入を止めろと指示を出した」と理解した可能性があるようだ。危機におけるトップのパニックと、不必要な干渉によって混乱が生じたのだ。

政策をワンイシューで語る危うさ

国会議員・政治家は多くの場合には専門家ではない。しかし、そうした人が政策決定者になる危険を、民主主義国は内包している。菅氏は事実認識の段階で、多くの誤った認識を持ち、それに基づいて、エネルギーをめぐる重要な政策決定が行われていた。

私が菅氏の話を聞いて思ったのは、「実務からの遊離」だ。エネルギーは徹底的に現実に基づく問題だ。日本は無資源国だ。電気の場合は、民間企業によって資源が輸入され、発電に使われ、送配電が電力会社によって行われる、現実の過程を経て供給される。こうした人々の仕事を注目・尊重せず、関係者を「原子力ムラ」と切り捨てる。実情に即した、適切な政策が打てるわけがない。

「2030年までに原子力ゼロをめざす」。この民主党の目標を2012年の総選挙、13年の参議院議員選挙を見る限り、世論は拒絶したが、政策課題として掲げることはあり得るだろう。しかし政治においては目標と同時に、過程も大事だ。民主党政権からも、菅氏からも、その過程を適切に示したと感じることは少なかった。今回の放送でもそうだった。

もちろん、東日本大震災、原発事故に首相として遭遇した菅氏の重圧は相当なものであったろうし、彼なりに努力をしたことは敬意を払う。しかし彼が問題に適切に対応したかという点で、私は疑問だ。

最後に菅氏のエネルギー・原子力政策への考えの問題をまとめてみよう。

  1. 菅氏はエネルギーをめぐる、間違った、もしくは考えが片寄った、数多くの情報を現時点で信じ込んでいる。政策決定が誤った情報に基づいて行われた可能性がある。
  2. 決定は「リスクをゼロにするために原発をゼロにする」という、単一論点(ワンイシュー)のみを重視して行われた。その結果、起こる悪影響をほとんど配慮せず、現時点で反省もしていない。
  3. 菅氏は、経済社会における金銭コストの重要性を認識していない。原発の停止は日本経済に負担を与えている。その現実を「電力会社のみの問題」と切り捨てた。
  4. 菅氏は「法の支配」の意味を重く受け止めていない。首相が超法規的措置を連発したことの弊害を考えていない。

一連の発言を聞く限り、菅政権のエネルギー政策の失敗は、トップである菅氏の個性が大きく影響したようだ。菅氏は市民活動家出身だ。もちろんすべての活動家がそうではないが、その思考の癖として「悪い政府を攻撃する正しい自分」という態度で問題に向き合う事が多いのかもしれない。

しかし、これは菅氏だけの問題ではないだろう。菅氏の独走を日本の行政機関は止めることができなかった。専門家の多様な意見を幅広く聞かない問題は、原子力行政で以前から問題になっていた。ある政治家の誤った考えが、国を混乱させる。こうした問題は繰り返される可能性があるだろう。その危険を常に私たちは認識すべきだ。

そして菅政権から始まったエネルギー政策の混乱の是正は急務だ。現在の日本では、エネルギーをめぐり、さまざまな問題が浮上している。それを生んだ一因となった菅政権の「原発ゼロ」をめぐる政策の質がとても低く、トップである菅氏の発想に多くの問題があったことを、私たち国民が認識する必要がある。それが広がれば、「正常化」はよりスムーズに行えるだろう。