特定秘密保護法反対運動で残念だった日本の知性

大西 宏

またマスコミ報道、とくにテレビ報道のいい加減さにうんざりさせられた特定秘密保護法騒動でしたが、それよりも残念だったのが、日本の文化人や学者の人たちも、ずいぶんぶっ飛んだ拡大解釈を行い、肝心の議論の中心軸がぼやけてしまったことだと感じています。
ふーん、まじめに思想信条の自由、表現の自由が損なわれる、そう思っているのかと観察していたのですが、それはいいとしても、そこに感じたのは、自分たちの意にあわなければ、ナチス呼ばわりまでした反橋下キャンペーンに加担した人たちと同じ発想でした。


今回の焦点のひとつは変化したアジア情勢にどう対処する道を日本が選ぶのか、またテロリズムの脅威が増してきたなかで日本はどうそれに対処するのか、とくにオリンピック開催が決まったことでその現実味が増したはずです。

まずアジアの変化ですが、日本が平和ななかで経済成長を遂げることができた時代、そのしばらく後も、アジアで日本は圧倒的な存在感を持っていました。中国も韓国も日本の経済の傘のなかにはいっていた時代で、軍事力でも、当時は自衛隊はアジア屈指の軍事力を持っていて、さらに米国の核の傘で守られるという構図でした。

しかしそんな時代は終わったのです。2010年に中国はGDPで日本を抜き、経済に脆弱性を持っているとはいえ、今なお高い経済成長を遂げており、中国はあと10年もすれば米国をも追い抜き、世界最大の経済大国になる可能性もなきにしもあらずです。当然、日本の存在感が薄れます。東アジアでは中国が圧倒的な経済と軍事力を持つ日が刻々と近づいてきています。

それはそれで現実としてとらえればいいのですが、問題は中国はアメリカに変わってアジアの警察になりたいと思っており、現実にそういった強圧的な外交を展開しはじめてきていることです。

韓国は、貿易依存度が高く、しかも貿易相手国としては輸入、輸出とも中国がトップ、しかも中国の軍事力の台頭の脅威を和らげたいために、朴槿恵政権は、対中国よりの外交を行い、そのために脱日本を印象づけるために反日キャンペーンを展開してきました。

さて、日本は、どのポジションをとりどんな道を選ぶのでしょう。選択を問われているのです。それは、中国の台頭に対する拮抗力を維持し、大きな変化を避けようとするのか、いや国際関係にパワーゲームに持ち込もうとしている中国とより親密な関係を築き、中国を傘とした東アジア圏の新しい秩序づくりをはかるのかです。

もし前者なら、自ずと米国や他の先進国との同盟関係を強化するという選択になり、そのためには同盟国との情報ネットワークを強化する方向になります。そうでなければ、韓国と同様に中国よりの外交に切り替えるか、成り行きに任せるかです。

それは国民が選択する問題ですが、すくなくとも違う道を選ぼうとした鳩山政権は、マスコミも総出で叩き、さらに民主党内部での意見の違いもあって、自己破綻し、葬りさられたのが現実です。鳩山政権が崩壊した時点で、すでに国民は結果として米国との緊密な関係の道を選んでしまったのではないでしょうか。そして野田内閣は中国との関係に決定的なダメージを与えてしまったのです。

米国や他の先進国との同盟関係を強化するということなら、情報のセキュリティで信頼されていない日本は、特定秘密保護法で情報のセキュリティの強化が求められるのも当然、またそうしようとすることは必然的な流れだったのではないでしょうか。

しかし、政権が秘密を強化することは、情報公開によって、国民の知る権利をどう担保するのか、というか政権や行政を監視したり、後に時の政権がどうだったのかを評価する機会を失いかねません。だから、どう運用するのかが重要になってきます。

残念だったのは、日本の文化人や学者の人たちが、論理的に反対するのではなく、第二次大戦に導いた軍国主義と重ね、漠然とした不安で反対を表明してしまったことでした。
時代は大きく変わっています。経済も国境を超え、相互に関連し合うグローバル化が進み、また情報化が圧倒的に進展した時代と軍国主義時代を重ねることは、論理というよりも、情緒でしかないのではないかと感じるのです。

反「特定秘密保護法」キャンペーンで、ずいぶんマスコミでも、反対するだけでテロなのかという誤解を流布したようですが、調べてみればそうではありません。その点は池田信夫さんが強調されていましたが、この法案が検察や警察の現状を鑑みて、どちらかというと反対の立場をとっておられる郷原弁護士も、法案そのものにその懸念はなく、誤解が生じるのなら、問題にされている「又は」を「、」に変えるだけでいいと指摘されています。

この点に関しては、法案における「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」という定義が、「強要」、「殺傷」、「破壊」を同列に並べているように読めることも問題とされている(「与える目的で」と「人を殺傷」の間に読点「、」が入っていれば、このような誤解を受けることはなかったと思われ、細かい点ではあるが法案の文言上の欠陥と言えよう)。

特定秘密保護法案に関して問題なのは、法案の中身自体というより、むしろ、現行の刑事司法の運用の下で、このような法律が成立し、誤った方向に濫用された場合に、司法の力でそれを抑制することが期待できないということである。

特定秘密保護法 刑事司法は濫用を抑制する機能を果たせるのか | 郷原信郎 :

この法案が提出されたことで議論が深まれば、国家の安全のために秘密を保持することと、国民主権国家として、情報公開をどう担保し、権力を監視する機能を同時に強化するかを両立させる絶好の機会がでてきていると感じます。その知恵を生み出せるのかどうかです。

しかし反対した人たちの多くは、オールオアナッシングに持ち込む運動をやってしまったのです。そのために焦点がぼけてしまいました。民主党の海江田さんにいたっては、もともと民主党が準備していた法案だったにもかかわらす、反対の声が高まってくると「天下の悪法」だと絶叫したのは、ポピュリズム以外のなにものでもありません。

国民が真剣に考え、それが政治に反映するためには、なにが課題かが正しく示されなければ考えようも、選択しようもありません。反対を叫んだ文化人や学者の人たちは、結果としてそれにノイズをつくることになり、本来国民が直面している、また解決しなければならない本来の課題から、国民を遠ざけてしまったのではないでしょうか。それが残念でなりません。

それはそうとして、みんなの党から江田さんが抜けたことは、ひさびさの明るい話題でした。細野さんももう民主党から離脱するタイミングではないでしょうか。