有名人に「私物化」される知事の椅子

アゴラ編集部

いよいよ風雲急を告げてきた、という感のあるのが「東京都知事選挙」です。ネット上では選挙でどんだけ税金が投入されるのか、試算する気の早い人まで現れています。猪瀬直樹都知事、辞職して「出直し」の「ミソギ」選挙でもやるんでしょうか。最近の挙動不審ぶりを眺めると、ちょっと選挙戦を戦う精神力は残っていないんじゃないかと思います。


せっかく石原慎太郎前東京都知事から権力を「禅譲」されたにもかかわらず、自分で借りたカネだ、と小学生でも書かないような借用書を振りかざす大チョンボを演じた猪瀬都知事なんだが、維新の会を抜けて国会議員も辞めた東国原英夫(そのまんま東)氏が、どうやら後ガマを狙っているようです。さらに石原前東京都知事は猪瀬氏にサジを投げ、今度は息子のうちの誰かを都知事の椅子へ座らせようと画策しているらしい。

東京都に限らず、有権者は皆さん「有名人好き」なので、再び同じような人物を選良にしちゃうんじゃないでしょうか。テレビに出て顔が売れてりゃ、誰でも当選します。きっと「天才映画監督」の松本人志氏が大阪弁で立候補しても都知事になれますね。まさに『有名人が「私物化」する知事の椅子』というわけです。

五十嵐仁の転成仁語
みんなの党の「エダ分かれ」をどう見るか


ピンク・レディー、モンスター凋落の真相が今明らかに!?
戦後史の激動
昭和歌謡の系譜はいろいろ複雑に絡み合っています。そんな中、1970年代後半のアイドル、といえば誰しもピンク・レディーの名前を挙げるでしょう。静岡からは「富士山が嫉妬する」ので美人が出ない、と言われています。彼女たち二人も静岡出身です。そして静岡と言えばヤマハで、二人もヤマハ音楽スクールで出会ったらしい。業界には「山口百恵は俺が育てた」という人間が100人はいる、と揶揄されていたりするんだが、ピンク・レディーについてはビクター音産の飯田久彦が発掘し、売り出したのは明白です。飯田は1962年に『ルイジアナ・ママ』を大ヒットさせたタレント。その後、レコード会社のプロデューサーとして彼女たちを見出した、というわけです。もちろん、ほとんどの楽曲を作詞家の阿久悠と作曲家の都倉俊一の「鬼才コンビ」が提供したことも大きかった。さらに、ミーとケイの二人は、音楽スクールから自分たちでセルフプロデュースをしてきたようです。タレント発掘番組である『スター誕生!』に挑戦したときに「田舎から出てきた素朴な女の子」というイメージ「戦略」を自ら考えたことは有名。この、業界関係者に「作られた」アイドルではなかった、というのも重要でしょう。表題ブログでは、急激に彼女たちの人気が下降した理由、について考えている。しょせん浮き草稼業。なぜ大衆はこれほど飽きっぽいんでしょうか。

男と女が楽しく会話するコツがもの凄く納得できると話題
男子ハック
女性の「話法」には、男性にはなかなか理解しにくいものがあります。この記事では「愚痴」と「悩み」の違いを解説。なるほど。女性の側も最初から「これは愚痴」とか「これは悩み」とか宣言して聞いて欲しい。男性の場合、愚痴のほうが圧倒的でしょう。悩みを吐露するのは沽券に関わる、と考える人が多いからでしょうか。だいたい悩みを人に相談して解決することなどほとんどない。悩みを相談した時点で、その人の中ですでに解決法などは出てます。このへん、女性の側もよく知っておいてほしいものです。ただ、男性の愚痴にしても、酒の席限定、ということが多いようです。

メディアの正しい課金の仕方
新聞紙学的
ネット上のメディアでカネを徴収するシステムは、これまでいろいろと考え出されてきました。代表的なものは、読みたいコンテンツをすべて有料にする「ペイウォール(paywall)制」、冒頭部分だけ無料で読めて、続きを読みたいならカネを払え、というタイプ、さらに有料メンバー制などがあります。このブログでは、こうしたネット課金について考えている。背景にあるのは、ジョン・ペイトンという人がCEOを勤める米国の「デジタル・ファースト・メディア社」が課金に踏み切った、ということらしい。ペイトン氏は、スコットランド生まれのカナダ育ち、新聞記者から新聞社の経営再建に手腕を発揮して注目を集めた人物です。彼は「まずネットで、次に紙だ」という主張の持ち主。けっして紙媒体を全否定しているワケじゃありません。で、このブログでは、ネット課金はフリーミアムの一種である一部無料のペイウォール制が主流になっていくんじゃないか、と書いています。

テレビゲームはいらない!?子どもたちが本当にクリスマスに求めているものとは
小野ほりでいのシンプルなブログ
クリスマスプレゼント、というのは子どもにとって記憶に残るものになります。オトナになっても「あの年のプレゼント」というのは、たまに思い出したりします。ゲーム好きな子どもばかりじゃないと思いたいんだが、コレってオトナにとっても無難なんでしょう。どちらも面倒なので「ゲームにしとこう」という部分がないわけじゃない。しかし、ここで考え出されているゲームの数々。子どもらが、よだれをタレ流して喜んだらめっけもんです。


アゴラ編集部:石田 雅彦