機械に使われるな ~ バーチャルな世界(その1) --- 岡本 裕明

アゴラ

“We are the 99%”、「ウォール街を占拠せよ」は2011年にアメリカで始まり世界的に伝播した経済格差の問題でした。あるいは、パレートの法則に基づき、2割の人が8割の稼ぎをするといった表現はずいぶん昔から引き合いに出されたおなじみかの話かと思います。

では私が考える新たなる1%と99%の話とは何でしょうか?

99%の機械に使われる人間と1%の機械を使う人間という世界を想像しています。


私はこのブログを通じて再三訴えたのは、人間は機械に使われ、考えることをしなくなってきているということでした。もはやスマホ(あるいは携帯)がなければ一日も過ごせない人が多く、それがなければ自分の家や会社にすら電話できない人が主流を占め始めていませんか? スケジュールも分からず、IDや暗証番号も分からないというのは一昔前なら笑い話でしたが今や、何処にでもある話なのです。

いや、それだけではありません。ナビなしでは道が分からないというタクシー運転手も多いでしょう。いまやキーボードがないと漢字が書けない人は多いでしょう。私はたまに手書きでモノを書こうとすると字が下手なことに驚きを隠せません。簡単な掛け算や割り算を紙とペンで計算したのは何年前でしょうか? トイレに行って自動感知で勝手に流れる仕組みに慣れて海外で恥をかいたという話も聞いたことがあります。

私は文明の進化という言葉に隠された人間の退化を懸念しています。反論もあるでしょう。君は電気がつかないときのためにろうそくを用意しているのか、と。確かに私の家にはありませんが、欧米の人はいまだ、ろうそくを持っている人は多いと思います。文明に依存できなかったこともあるでしょう。

私のもう一つの懸念は仕事という概念が変わってきてしまうということです。人間は労働することにより、収入を得て生活を営むことが出来ました。ところが単純労働が機械に取って代わられることにより単純労働の機会は確実に減ってきます。

ラーメン屋に行けば食券を買うのが当たり前になりつつありますが、食券の機械は人間がお金をもらい、お釣りを渡すという作業を代わりにしてくれます。これはある意味、5人の従業員が必要だったのが4人で済むということにも繋がっていくのです。

コンビニの店員が発する言葉は「いらっしゃいませ」、「○○円です」、「ありがとうございました」の三言ぐらいでしょうか? その間、商品のバーコードを読み取り、データとして蓄積し、支払い金額を計算するのはPOSシステムであり、店員はまさに機械に使われている状態にあると言っても過言ではないでしょう。一方の客はその間、一言も発しないということがほとんどだと思います。それは客が話をする気にさせないマニュアル文化と機械化という理由もあるかもしれません。こんな当たり前の日常はよく考えてみればこの20年ぐらいの間の出来事でその間に生活と常識観そのものがすっかり変化してしまったのです。

私は機械に使われたくありません。だからこそ、機械とは仲良くしながらも一線は越えないようにしています。使い分けということでしょうか? 私は業務上、スプレッドシートを使っていることが多いのですが、他人が作った表計算の間違いを見つけることは珍しいことではありません。見つけ方のコツもあるのですが、それ以上に数字をぱっと見て、こんな数字は出てこないと直感で感じ、電卓を叩くとなるほど、フォーミュラエラーが出てくるという流れです。しかし、多くの人はコンピューターの計算に間違いはないと信じて疑わない人がほとんどだろうと思います。

時代の進化と共に我々の生活は我々が思考停止状態になりやすいということに注目すべきです。今回この問題をもう少し掘り下げてみたいと思い、「バーチャルな世界」と題したシリーズで第二弾、第三弾を数日間隔でアップしていきたいと思います。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年1月13日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。