採点競技にウェアラブルを --- 中村 伊知哉

アゴラ

竹内智香さんがスノボ・パラレル大回転で銀を獲得したのは朗報でした。

女子アルペン種目初のメダルです。男子を含めてもコルティナ・ダンペッツォの猪谷さん以来58年ぶりの快挙。さらに今回、採点競技以外でのメダルはこれだけです。


残り7個のメダルは、フィギュアスケート、スノボハーフパイプ、スキーフリースタイル、ジャンプ、ノルディック複合。今回ぼくはジャンプが採点競技になったと感じました。日の丸飛行隊の頃の記憶では、最長不倒距離=王者で、着地した時点でおおよそ順位がわかりましたが、近頃のは飛行距離にあまり差がみられず、飛型点が成績を左右します。

競技自体にも選手にも罪はありません。だけど、速さ、高さ、強さを競う純スポーツの中で、採点競技に傾倒するのはどうなんだろうと思うんです。

冬は採点競技が多いしね、という人もいます。数えてみました。採点種目(含むジャンプ)は全体の1/4です。そう多いというわけではない。日本は採点競技に注目してるからそう感じるだけなんじゃないですかね。

で、全98種目のうちスキーアルペン、クロスカントリー、スノボ回転、スピードスケート、ショートトラック、バイアスロン、ボブスレー、リュージュ、カーリング、アイスホッケーを数えたら74。採点競技以外に222個のメダルがあったのです。

222個のメダルのうち、1個取れた。よかったね。ということです。でも221個のメダルを逃したことを受け止めるべきなんじゃないでしょうか。

これも14年前、シドニー五輪の際、アスキーの連載に寄せた文章 “中村伊知哉@LANTIC“「オレの声が聞こえたか高橋」から、抜き出してみます。
 http://www.ichiya.org/jpn/ASCII24/23.PDF
———–
今回、シンクロや体操や柔道をめぐって、審査員の採点や審判の判断が物議をかもした。アメリカ人は一般に、体操のようなコンクール系が好きだが、私はどうも陸上や水泳のように客観判断できるものと違って、試合を見た後スグ結果がわからず採点を待つ種目には得心がいかない。エンタテイメントとしては楽しいが、競技性としては大食い選手権の方が上だと思う。

柔道も似た面がある。ミスジャッジが試合を左右するというのは、選手と観客以外の審判という他人に全ての競技結果を委ねてしまっている構造的な欠陥だ。誰か権威のある偉い人、しかも別に自分が選んだわけでもない人の裁断を待たねばならないなんて、非インターネット的ではないか。

これは絶対的な神を受け容れる欧米人にふさわしいシステムなのではないか。プロスポーツでも、いかなるミスジャッジにも彼らがしぶしぶながら従うのは、信心深いからではないか。審判に殴る蹴るの暴行を加えたりする日本のプロ野球は地上のものとは思えないな。

その点、大相撲の軍配差し違えは大変な制度だ。神事でありながら、行司の下した判断に土俵下から文句つけて、協議してくつがえしたりする。権威が分散していて、公正で、ネット的。高度な統治システムだと思いませんか。欧米には真似できまい。相撲を五輪正式競技にせよ!


相撲を正式競技にしろと言いたいんじゃないくて、採点システムどうにかしろよというのが趣旨ですが、

「モーグル上村愛子が4位でメダルならず 採点が明らかにおかしいと世界中から批難殺到」
 http://bit.ly/1d9ERLt

毎度毎度こんな記事が登場しますよね。だけどそもそも採点競技という時点で、批判しても無力感が漂うわけです。

葛西さんの銀は素晴らしい。でも距離は葛西さんのほうが飛んで1番なのに、最後、何かの判定、天の声をみんなで待って、結局よくわからないけど負け、って、競技としてどうよ。って思ってしまうのです。

近所の小学生がテレマークごっこをしていました。カッコばかり競ってないで、遠くへ飛ぶようにしようよ、子どもたち。と声をかけたい。壁に激突しても最長不倒距離飛んだ人が優勝、にしようよぼくたちは。でも恰好を競うのを優先して、誰か偉い人に評価してもらう世の中にしているのは、大人たちです。

飛型点重視は安全重視なんですよね。事故の事前回避。安全志向の日本人との親和性も高いのでありましょう。だとすれば、事故が起きるスキー回転や滑降にも、リュージュやボブスレーにも、「滑型点」を導入するのがいいのかな。

イヤです。

フィギュアスケートの専門家複数が「浅田真央が最終組であの演技をしていたらトップ得点が出た」と指摘していました。それは競技としてヘンすぎませんか?

要するにぼくは、採点競技は、名前もどう選ばれたかも知らないジャッジ=官僚に全て委ねられていて、選手も観客もその決定に従う、その構図がイヤなだけなのです。

もちろん採点は明確な基準に基づき客観的・科学的に行われます。芸術性のポイントが高いとされるフィギュアも、実は技術点の世界だとされます。
「キム・ヨナ八百長疑惑に荒川靜が反論!」
 http://www.cyzo.com/2014/02/post_16159.html

採点競技もこういう図解があるならどういうことかがわかります。であれば、これをリアルタイム+機械的に出し、演技終了時に結果が明確となるなら文句は減ります。
「Hanyu Falls Twice, but Still Wins Gold」
 http://nyti.ms/1h7Fc0w

ウェアラブルコンピュータを装着して、ポイントを自動判定するシステムを開発しましょう。身体データをリアルタイムに取得して、ポイント表示するのです。センサーだけで結構。シューズ、スキー板、スノボ板、ウェアの数カ所にセンサーと発信機能をつければ、回転、高さ、スピード、ブレぐらいは簡単に測れますよね。

それは採点に携わる専門家の職を奪うものです。ごめんなさい。

ITの利用は身体能力の向上にも認めたい。超高機能ゴーグルで距離と風向きを観測する。その指令に基いて弓を引っ張り矢を射れば、ぼくだってアーチェリー選手になれる気がします。

通常競技はあくまで純粋な肉体の能力を競うものに留めるとすれば、パラリンピックはどうでしょう。技術が身体を拡張して、健常者、いやオリンピック選手以上に活躍できる世界を示す。パラリンピックの趣旨にも合致するのではないでしょうか。

サイボーグ装置+ウェアラブル機器を装備して超人的なパワーとスピードを競うサイボーグ五輪を実現させたい。

KMD「サイボーグ五輪」デモ、今日と明日、日吉にて開催します。お越しください。
 http://bit.ly/1bR6wTd

長々と、宣伝でした。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年2月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。