国際公共経済学会、トリのセッションは、これから30年後の情報社会を展望しようというものでした。KMDの同僚、稲見昌彦さん、水口哲也さん、チームラボ猪子寿之さん、情報セキュリティ大学院大学林紘一郎さん、経済産業省境真良さん、国立情報学研究所生貝直人さんという面々。ぼくが司会です。バックグラウンドは技術、デザイン、ビジネス、法学、経済学、政策とバラバラ。いちばん若い生貝さんとシニアの林さんは年齢差40歳。
30年後を設定したのは、30年前が大事だと思ったから。当時のメディアは電話とテレビでした。100年整備してきた電話ネットワークの積滞解消とダイヤル化が完成し、テレビはアナログ全国網が整備されて全国での民放4ch化が目標になったばかり。次に進むということで、84-85年には通信は電電民営化・通信自由化、放送は衛星放送がスタートして多チャンネル化へ。
当時の政策アジェンダは4つです。安い、速い、キレイ、もうかる。長距離と国際の電話料金が安くなるか。1200bpsが基本だった通信が速くなるか。ハイビジョンで放送の画像がキレイになるか。NTTや第二電電がもうかるか。このアジェンダ、今はもうどれも重要性を失っているのでは。
同じころ、82年にCDが生産されデジタルコンテンツの幕が開き、83年に誕生したファミコンは映像で遊ぶことを可能にして、TCP/IPを採用したARPANETがインターネットに進化し、84年に誕生したマッキントッシュがコンテンツ制作のダウンサイジングを可能にしました。
30年たちました。
アナログは失せ、PC・モバイルと、インターネットと、コンテンツは世界的に定着しました。
その次のステージ、マルチスクリーンと、クラウドと、ソーシャルメディアも普及しています。
改めて、混沌。そこでの政策アジェンダもさまがわりしています。もはや安い速いもうかる、ではありません。とても多様化しています。
さて、では、これから30年後を展望するとどうか。経済社会はどう変化するか。日本はどうなるか。その中で、ITはどういう役割を果たすのか。その位置づけは、重要になるのか、低下するのか。それがぼくからの問いかけでした。
具体的な問いは3点。
1) 技術
伝送、電波、コンピュータ、ディスプレイ、クラウド、AI、AR、印刷、ナノ、バッテリー・・
これからのキーテクノロジーは何でしょう。
2) 利用
ウェアラブル、M2M、エンタメ、教育、医療、電子商取引、リテラシー、格差、セキュリティ・・・
技術、商品、サービスがいかに利用され、普及していくでしょうか。ユーザーたる産業界、社会への影響、変容が重要です。何が重要ジャンルで、何が期待できるでしょうか。何が重要課題になるでしょうか。
3) 政策
インフラ、コンテンツ、プラットフォーム、ソーシャル、デバイス、ビッグデータ、セキュリティ、プライバシー・・・
30年後に向け、われわれは何をすべきでしょうか。
結論から言います。案の定、議論は全くとりとめもなく終わりました。司会の腕のなさを弁解はしません。でも、それ以上に、みんなの意見を聞いていて、やはりメディアが混沌としている、その状況を確認したんです。
子どもだったころ、テレビ電話やエコカーが誕生するニコニコ明るい未来像を共有していました。30年前の高度情報社会論の頃も、いつでもどこでも誰とでもという「こんな感じ」を共有しようとしていました。
でも今は、ユーザのウォンツも社会の要請も多様で、サイバー攻撃やら炎上やらの問題も先に立ち、技術が進むことによって機械が人に置き換わることの現実味も浮き彫りになっています。未来の「こんな感じ」が白でも黒でもなく、灰色でもなく、まだら模様。
それを共有することがこのセッションの目的ですので、まぁいいのですが、そうした議論の再出発をアカデミズム=学会が投げかけたとして、そのプラットフォームを担っていくのはなかなかに荷が重い。後は誰かやってくれまいか。そこの若いの。
個別のコメントでグサグサと刺さるものはありました。少々紹介しますと、
稲見昌彦さんはITが物流となる可能性に言及。ぼくもこれは重要な変化をもたらすと考えます。3Dプリンタが大衆化しているように、インタフェースやアウトプットがAudio Videoじゃなくてモノになる。ITはモノを送受信する手段になるのです。
稲見さんは主観や身体を共有できるようになる可能性にも言及。メディアを通じて共有される「情報」の概念が拡張するのか、あるいは「データ」が感情やアトムの全領域を覆い、処理されるとみるのがいいのか、深い洞察を要します。
これに関し、水口哲也さんが身体の拡張を指摘したのに対し、猪子寿之さんは脳の拡張を指摘したのが面白かった。どちらかというと逆のことを言うイメージだったのですが。でも、その区分が無意味になることを、あるいはメディアを通じて両者の融合が重要になることを、示唆しています。
他方、境真良さんが国の役割が強化されるだろうと言ったのが刺激的でした。前のパネルで、DeNA南場さんが国とグローバル企業との対立に言及したのですが、だからこそ国家となるか、そうならないか。政策屋を刺激します。
林紘一郎さん「ムーアの法則のおかげでICTは予測可能性が高かった」という指摘にハッとしました。だが、技術より利用が主導する段階に入り、予測可能性は低下してはいまいか。だから未来論が難しくなっているのかもしれません。
ところで稲見さんが提案した「サイボーグ五輪2020」。面白い! 障害のある人も普通の人も技術でパワーアップして、ロボットスーツで参加してもらい、強く、速く、高く、最高を競う。ノールール何でもアリで創造性を競いたい。
無性に想像をかき立てられるアイディアなので、改めて考えてみます。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年3月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。