ウクライナ問題から眺める世界地図 --- 岡本 裕明

アゴラ

報道によると4月6日、ウクライナの東部、ドネツク州で親ロ派が州の建物などを占拠、「ドネツク人民共和国」の創設を目指し、5月に住民投票を行う動きになっているようです。ドネツクはウクライナの最大の工業都市でロシアとの貿易の関係も深い人口400万超の地域となっています。日本の新聞では小さな扱いですがこちらの報道では国際版のトップ記事となっています。

以前から懸念されていたクリミアを含む東部ウクライナの分離、離脱のリスクがいよいよ顕在化してきたということでしょうか。こういった分離独立が次々と起きる可能性について今日は考えてみたいと思います。


まず、この旧ソ連の地域のついたり離れたりする動きを世界レベルと捉えるか、旧ソ連の仲間内の問題と捉えるかいう点が一つのポイントとなるでしょう。我々は報道を通じてウクライナという国がある日突然、騒動に巻き込まれ、ロシアと欧米の代理闘争のごとく認識されています。

私はそもそものアプローチが違うような気がしています。

もともとはウクライナ単独の問題であったのではないかと考えています。ウクライナの歴史は非常に複雑で紆余曲折しているのですが、大きくは1919年のソ連(赤軍)、ロシア(白軍)、ウクライナゲリラ(緑軍)、欧州がバックの無政府派(黒軍)の戦いにおいて赤軍が勝利し、1922年にソビエト連邦に編入されたことが歴史の中では大きいと思います。ソビエト連邦はその名の通り、連邦制を取っていますが、中央集権の仕組みを取っており、ソ連時代には組成する共和国からは当然ながらそれなりの不満がついて回っていました。

ところが1991年、ソ連が崩壊し、ウクライナは独立したのですが、同国の産業は限定され、ロシアとの長年のビジネス関係もあり、ロシア系が多くロシア語も通じるため、独立後もロシアとの一定の関係は維持されていたのでした。

今回の問題の端的なポイントはヤヌコーヴィッチ元大統領が欧米寄りからロシア寄りにその方針を一気に変えたことにあります。このあたりでウクライナ西部と東部で軋轢が生じ、クリミアではプーチンに助けを求め、クリミア半島奪取のチャンスが転がり込んできたプーチンにとっては思わぬお年玉だったということではないでしょうか?

となれば、こんな複雑な過去を抱えるエリアにアメリカがとやかく口を出すタイミングは難しかったということではないでしょうか? もともと「世界の警官」はもうやってられないと宣言しているのに何かあると覗き込み、口出しをするというのは一歩間違えば「おばさん根性丸出し」ということになってしまいます。つまり、アメリカ外交は実に中途半端であったと言えるのです。

ウクライナという独立国家が国家の内部統制の問題として起きた問題である以上、第三国は必要以上に手出しをしない方がよかったのではないでしょうか? 仮に最終的に東部ウクライナがロシア側につくなり、独立するなりの結果を生むとすれば正しい手段かどうかの法的疑義はありますが、独立国家ウクライナの中央政府が国民を統率できなかったということに尽きるのです。但し、いわゆる民族闘争は過去の戦争の歴史の原点であることから第三国は戦争のリスクなどが発生した場合にはレフェリーとしてその仲裁を行うというのが本来のあるべきスタイルとなるのでしょう。

世界のパワーバランスという点においては資本主義と社会主義という傘がなくなってしまい、資本主義のアメリカもその傘が小さくなった今、世界はバラバラに動く可能性を秘めているとも言えます。そのリスクはウクライナに限らず、世界中どこにでも存在しており、いわゆる大国はこれをどう抑えるか、その新たなる役目を取ることが要求されます。しかし、ほとんどの問題を抱える国家が民族問題と経済問題に於いてベクトルが必ずしも一致しない不安定な状態にありそうです。時のカリスマ国家元首(今回の場合、プーチン大統領)が世界の傘となれるかという不安感も当然伴うということでしょう。

国連はワークせず、アメリカも警官をセミリタイアしています。ロシアはプーチンの毒気をもって先が読みづらく、中国は習近平の独り舞台が着実に作り上げられています。共同体としての欧州は利害関係が一致せず、表面的なつながりにとどまっているように見えます。こんな世界地図を見て世界は軋むかもしれない、というのが最近私が気にするところであります。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年4月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。