「STAP」違うで「捨て論文」やがな --- 山城 良雄

2014年04月18日 16:13

久しぶりやのう。

まだ生きていたのか? って……。やかましいわい。とりあえず、ワシも再稼働することにした。一般投稿の場合、ペンネームはあかんらしい。で、これからは山城良雄でいかしてもらう。

さて復帰最初のネタはSTAPや。この事件、マスコミはノーベル賞級の学者さんなんぞにコメントを求めているが、あまり適切とは言えん。カンニングの技法について優等生に聞いてもしかたないし、日本人メジャーリーガーが野球賭博問題に詳しいとも思えん。ややこしい話は、ややこしい奴に聞くに限る。というわけで緊急再稼働や。


事件の発端になったネイチャーの論文。ワシは典型的な「捨て論文」やと思う。ご存じでっか?「捨て論文」という言葉を。「よく知ってます」という人には、ぜひ言いたい「あんたウソツキや!!」。なにしろ、今、ワシが作った言葉やからな。

造語した以上、定義をしておこう。「捨て論文」とは、「初めから掲載されることを想定せずに、専門誌に投稿された論文」ということにしておく。さらに細目として、目的別に3タイプに分ける「記念受験型」「ツバつけ型」「アリバイ型」や。

まず、「記念受験型」。つまらない研究成果やけど、とりあえず身の丈にあった学会誌に出す前に、一流専門雑誌に投稿して没にしてもらっておく。後で、「イヤ、あの研究はネーチャーに出そうとしたんですけど、当時の学会は因習的でして」などとやる算段や。、一流雑誌が狙われる。どうせ落ちるなら東大というわけや。一応、後から論文自体は出版されるから、ひととおり格好はつく。

実は、ワシ自身も巻き込まれた経験がある。花も恥じらう大学院生時代、近隣の工業大学の教授と共同研究をすることになった。当時、ワシは特殊な電気炉の操作を修行中で、練習材料にある種の無機結晶を合成するという仕事をして、一応の成果を出した。ちなみに、その結晶は、今でも、おそらく全人類でワシしか持っていない。

別に作成が難しいわけでもない、あんな物、教えれば猿でも……とは言わんが小学生でも作れる。ではなんで、ワシ以外に作ろうとしないかというと、何の役にも立たたんからや。「理論上できそうなことを、やってみました」というだけの話や。

さて、実験データとサンプルの結晶を提出して数日後、くだんの教授がネーチャーに投稿したと聞いてワシは絶句した「あれを出したんですかぁ~」。当時は、ネーチャーと姉ちゃんは高嶺の花と思っておった。出すだけ無駄というより、あまりにも恐れ多い所行やった。そやから投稿したと聞いた時、足が震えた。

幸か不幸か、その論文はネーチャーからは相手にされず、日本語版が教授の大学の紀要に収まった。まあ、妥当な線やろ。おかげでワシも、「昔はネーチャーあたりに投稿したもんや」てなことを言おうと思ったら言える。研究業績を大きく見せる手口があるという、この世界のえげつなさを、厚顔の美少年が知ったという話や。

ところで、今にして思うと恐ろしいことに、ワシの結晶合成が、捏造だった可能性を、30年間誰も調べてないということに気がついた。まあ、仕方が無い話や。STAPのような大ネタはともかく、他人のやった実験の追試なんぞ、やりたい研究者はおらん。弟子の練習用にやらせてみるぐらいやろ。何しろタダでは実験できんのやから。

おまけに、「私には出来ませんでした」と声を上げて、他の研究者が成功したら、良くて無能学者として大恥、悪くすると、他人の研究にケチをつける「逆捏造」呼ばわりや。成功しても御苦労さんでしまいや。こんな割に合わん話はないで。

今回、「どんな研究成果も、他人が追試して成功するまでは仮説に過ぎない」というコメントをする評論家が何人かおったが、これは理想論かキレイゴトのたぐいやで。重要なテーマなら、時間的にも経費的にも追試の負担は大きいし、ワシの例のような小ネタ系は、そもそもやってみたいやつがおらん。そやから、追試なしで公認されている研究成果は山ほどあるはずや。結局、科学者性善説でしか実験科学は機能せんやろ。

さて、2番目の、ツバつけ型。最先端の研究や、特許なんぞが絡む場合にはよくある。とにかく、実験して何か見つけたら速攻で投稿してしまう。スピード勝負。褒められた話やないが、イントロや引用文献、画像なんかがエエ加減(たとえばコピペ)になることもよくある。没にされてから、細部を作り直して再投稿する。要はズボラや。

疑惑の発覚当初、たいていの研究者はこういうシナリオを想定したと思う。

「若いんだから、細かいミスもありますよ」というわけや。藤沢センセの解釈も、一番、善良なケースなら、この線やということやな。実はワシも同じ考えやった。「最先端の競争は厳しいんやから、しゃあないわ」とな。ところが……。

捨て論文には、もう一つの、かなり悪質なタイプがある。「アリバイ型」や。給料にしろ研究費にしろ、金をもらって研究している場合、何年間も成果ゼロというわけにはいかん。フェルマーの大定理を追いかけて一生を棒に振った数学者が何人もいたが、こういうことが出来るのは、紙と鉛筆で勝負の分野だけ。それも最近は結構難しくなっている。

そのため、多くの研究者は自分が本当にやりたい仕事と、とりあえず成果の上がりそうな仕事の2本建てで動くのが普通や。ワシの結晶合成のような小ネタをたくさんストックしておいて、弟子にやらせて、小出しに発表するのが一番安全かつ効率的や。

それでも、ある程度は、本来自分のやりたい仕事の時間やら費用やらを、犠牲にして手がけることになる。そこで出てくるのがアリバイ型捨て論文や。頭から尻尾まで、全く内容のない論文を投稿しておいて、「今年はがんばりました。あと少しでネーチャーに掲載されるとことだったんですが」とやるわけや。

毎年これだけだとさすがにヤバイが、査読に時間のかかる分野なら、結構な時間稼ぎにはなる。オプションの裏技で、投稿中の捨て論文を仲間の研究者に引用させておくという手もある(引用回数が稼げる)。もちろん、自分の小ネタ論文に引用しておていもええ。

まあ、掲載されん限り、どんな無茶苦茶な論文でも実害はない、と言いたいのやろけど、査読者(一流誌では同分野の大御所)は、たまったもんやない。「また、あいつか」と言って、ろくに読みもせずに没にすれば良さそうなもんやが、「ツバつけ型」が何回か来たあと、本物の大発見が来たりすると、それはそれで具合が悪い。で、結局、熟読するハメになる。えらい手間や。

今回、ネイチャーにあれが掲載された理由。もしかしたら、査読者がキれたのが原因ではないかと思う。「わかった。それだけ言うのなら載せる。その代わり、後始末はしっかりしてもらうよ」という訳やな。

慌てたのは理研やろ。ゴールネットを揺らすスローイン、高めのストライクゾーンにはいった敬遠球、とか言っているうちは良いが、メディアが騒ぎ出したから、こらどエライこっちゃで。

最初の記者会見当時の映像が再放映されてるのを見るが、オボちゃん本人以外は、あまり嬉しそうには見えない(今だからそう言えるのかも知れんが)。オボちゃんの態度にしてもちょっと引っかかる点がある。ワイドショーのコメンテーターなんかは、「栄光の会見と疑惑会見で表情が全然違う」てなことを言っておるが、ワシにはそうは見えん。

普通、若手が大発見をしたときは、「私が指導しました」とドヤ顔のセンセたちが、ワラワラ出てくるもんやけど、皆、妙におとなしかった、ワシは最初、「さすが理研。弟子の業績をすなおに認めている」と見ていたが、実は、数ヶ月後におこる惨劇におびえていただけと違うかな。ひそかに逃げる支度をしながら。

捨て論文、失敗したら捨て学者。

これが理研流のとった危機管理かいな。あの子やったら、メディアに潰されても仕方が無いとでも言うつもりなんやろか。さて、オボちゃん、どうしたらええのかな。この話は、次回ということにしよう。

今日はこれぐらいにしといたるわ(by 池乃めだか)。

帰ってきたサイエンティスト
山城 良雄

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