維新「分党」は日本の風土から当然の帰結 --- 岡本 裕明

2014年05月30日 10:42

日本維新の会が分党することになったニュースについて驚きと喜び、更には当然、必然、残念と様々な声が聞こえてきています。私はその中では「当然」という見方をしています。

石原慎太郎、橋下徹両者はカリスマ性をもった色濃い人物であります。また関西と関東を地盤としているところも相反しています。しかしそれ以上に私が当然と思っているのは「合併」はうまくいかないという日本の構造的問題であります。


企業合併の難しさを物語る代表例は日本の銀行であります。チカラ加減が違う合併の場合は強引にくっつけることができますが、対等合併や対等の認識を持ったたすき掛けは最悪の結果をもたらします。その顕著な例がみずほ銀行でしょう。旧興銀、勧銀、富士の合併はどの銀行も一歩も譲らないという強い自負を持っていました。結果としてたすきがけの上に責任感がない経営が続きます。システムトラブルとった問題が生じたのも内部のコミュニケーションと信頼関係が構築できていない理由であります。

経営陣は「たすき」や旧出身行にこだわらずに、ということを言っておりますが、この旧三社が抱えていた子会社は今でもその領域を脈々と守り続け、同業の子会社間の合併や経営効率の改善は出来ていません。つまり、興銀、勧銀、富士のブラッドは脈々と存在し続けているのです。「メルトポットの中でガラガラポン」は日本の文化ではあり得ないと断言してよいかと思います。

では日本人は何をそれほどこだわるのか、といえば家父長制度の名残は無視できないと思います。結果としてそこに存在するのはサル山の大将ともいえるのです。自分が育ててきた家族、部下、チームの意向や意志を最大限尊重するその意味は自分をサル山の頂上に支えてくれた支援者への義理人情である言ってもおかしくありません。

そのサル山は銀行の合併の時のように巨大な閉鎖的社会を作り上げる場合もあります。今、日本にあるのは無数の自己防衛機能が強い壁と壁のぶつかり合いということでしょうか? 私は23年も海外に出ていて最近、日本の社会に様々な形で関与していくようになり今まで気がつかなかったこの独特の社会にやや閉口しております。例えば岩盤規制などと称されるものや省庁の縦割り社会もこの括りに入るわけで別に政治や政府だけが悪いわけではなく、どこにでもそのような依怙地なツッパリは存在しているのであります。

そして外国企業が日本で大成しない理由はこの社会構造、日本の独特な文化に太刀打ちできないとも言えるのです。

維新の分党はその流れに沿った通りであり、何も驚くものではありません。分党して橋下氏側は結いの党やら民主党と手を組んで与党への対抗勢力を考えるということのようですが、政治の世界でこのような野党再編を繰り返しながら与党になった例はほとんどありません。

なぜなら、そこには主権者である国民の意思がどこかに飛んでき、政治家が政党のヤマを見ながら自分の将来の再選に繋がるもっとも確かな道を選んでいるという別の野望も見え隠れするからであります。野党議員であるからこそ、再選が最重要課題であることは日本の社会構造からすれば驚く事実ではありません。

今回の分党は日本が難しい国だ、と言われるゆえんの典型的事例ともいえるでしょう。

ではこれが治ることを期待できるか言えば残念ながら私は全くあり得ないだろうとコメントしておきます。

今日はこのぐらいにしておきましょう。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2014年5月30日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。

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