書評:『メディアの発生』 --- 中村 伊知哉

アゴラ


メディアの発生─聖と俗をむすぶもの

加藤秀俊「メディアの発生」。

ヒトやモノ、事象を「むすぶ」のが「カミ」の役割。そしてカミとヒト、ヒトとヒトをむすぶ聖職者、遊女、旅人らを「メディア」として日本各地を探訪するフィールドワークの集大成です。「梁塵秘抄」「平家物語」「太平記」などの古典を題材にしつつ、それらがいかに土俗と結ばれ、現代の文化に連続しているかを説く。それを社会学や文化人類学というよりメディア論としてとらえる。素敵です。


冒頭、西洋に学んだ社会学の大家である加藤先生が、西洋の学者の本を難解・稚拙な日本語で注解する日本の社会学を「ぶざまで情けない」「幕末の蕃薯調所のような」「インチキ」とバッサリ斬っているのが痛快です。まず社会学からの反論を聞きたい。

にしても加藤さんのいたころの京大人文研といえば、今西錦司、桑原武夫、梅棹忠夫、上山春平、米山俊直ら錚々たるコミュニティ。ぼく教養で米山先生の単位をもらったんですが(授業は出てない)、当時助教授だったよな。ぼく自身、こうした集大成を鏡に、自分の得てきた知見を問う時期なのでしょう。本書をテキストに、自分のコメントを加えていきたいと思います。

踊り念仏は200人もの素っ裸の集団が一遍上人のオシッコを浴びたり飲んだりしながらのトランス状態だった。– カルトは昔も今も大差ないのかもしれません。

旅館でも料亭でも全て接客は女性であり、女将を頂点とする女性組織が握る。サロンの場を仕切るホステス=遊女は、遊芸と洗練された会話の持ち主で、ヒトをむすぶメディア。—日本は女性のメディア機能が高いんですね。

「巫女」はカミ・ホトケに奉仕し、神意をヒトに伝達するメディア。聖職者たる巫女がヒトの俗世間とかかわる距離が近いと「遊女」と呼ばれた。— 聖と俗が融合するところにメディアがあるのですね。

「稀代のプレイ・ガール和泉式部」が芸能集団の守護神となり祀られるのが新京極の真ん中にある誓願寺で、そこがセンターとなって巫女や商人たちが全国に情報を伝播していった。– 何百回も通ってながらお参りしたことがおません。参ります。

語り物である「平家物語」が大ヒットとなり、これを演奏する琵琶法師たちがギルド「當道座」を結成して、著作権・演奏権などの知財権を独占した。JASRACの祖型。– いえ、芸団協もレコ協もその他もろもろ合わせたようなもので。

琵琶法師に検校という三位の中将と同格の官職が与えられ、平家語りの盲僧が宮廷音楽士になった。鍼灸などの医療、金融業も手がけた。73の階層を設け、検校に出世するには江戸時代で700両を要した。—異界の強力な権力機構です。

検校には天皇・皇室、武家は厚い庇護を施し、補助金も与えた。その勧進興行には多くの観客が集まった。—貴族・武家文化と庶民文化が一体だったことがわかります。これはポップカルチャー形成の重要ポイント。

ギルド「當道座」の祖神、人康親王は京都・山科の四宮に祀られている。—へえっ、山科が盲人の総本山とは知らなんだ。(今のぼくの実家がありまして。)

(ところで笑福亭鶴瓶師匠に慶應で留学生相手に日本語で落語を打ってもらう、というムチャな授業を企画したことがありました。やってもらったんですがね。そのときの演目が「錦木検校」。大名の跡取りが友人の盲人を最高位に出世させる人情話です。言葉がわかるはずがない留学生が泣き笑いしているのに驚きましたが、それよりも、このネタは、日本人学生に教養として聞かせなければと思いました。)

琵琶法師、踊り念仏衆、巫女や瞽女。カミ・ホトケとヒトをむすび、ヒトとヒトをむすぶメディアはみな住所不定の非定住者。動き続けることがカミ・ホトケに近づく方法。— ノマドのヒトがビットであり、メディアとなる。

文字をつづるのは高度な識字層の特権で、紙・筆などハードウェア量も限られていたので、文字文芸は京都に限定されていたが、旅人による音声の文芸は各地で共有・伝搬された。— 原始、ソーシャルメディアは文字ではなくオーラルだったわけです。

著作権もなく、脚色、改ざん、なんでも自由自在だった。— 千年前に著作権法があったら、貴族文化は発展したとしても、ポップカルチャーは発展しなかったでしょうねえ・・

ゼロの焦点、寅さん、水戸黄門。いずれも「諸国漫遊の漂泊性」が身上であり、演歌も旅愁に支えられている。越境する生命力。— ぼくも今年はあちこち越境する所存です。

メディア史上、文字の出現はごく新しいことであり、人類はついこのあいだまで文字以前の世界で生活していた。– コンテンツの発生は音楽、絵画、文字の順。近代メディアはその逆、印刷機、写真、レコード、の順なんですよね。

ノンフィクション文学「太平記」の執筆者、恵鎮の本拠、平安神宮そばの岡崎法勝寺かいわいを復元する運動があったが立ち消えになった。— 1000年前の羅生門を復元する提案もあります。京都復元プロジェクト、参加したいです。

岡崎法勝寺にあった九重の塔は80m、義満が建てた相国寺の七重の塔は109m。現存する東寺五重塔は55m。南北朝~室町の京都は高層都市だった。– 今は低層都市をウリにしてますけどね。550年前、先の戦争(応仁の乱)で焼けたのを逆手に取るしたたかな京都です。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年6月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。