自らを報道機関だと偽装しつづける朝日新聞と、国民のメディア・リテラシー

大石 哲之

朝日新聞の最大の罪は、誤報や虚報ではなく、みずからを報道機関だと偽装しているところにある。

彼らがやっていることは、「報道」ではなく、イデオロギーにもとづく「活動」だ。

しかし、国民の多くが、朝日新聞を報道機関だと勘違いしてしまっている。

同様に、報道ステーションは、夜にやっているワイドショーにすぎないのに、報道と名前をつけており、多くの国民がニュース番組だと勘違いを起こす。

つまり、本質的に、オピニオンメディアや、ワイドショーであるのにもかかわらず、「報道」というラベルをつけて、あたかも事実や中立的な報道をしているものと、国民を欺いた。

つまり、朝日新聞の最大の罪は、この報道機関だと名乗る「偽装」にある。

世の中にはとんでもない意見を発信する電波メディアはたくさんある。東スポだってそうだし、チャネル桜だって、宗教系のアレだってそうだ。

しかし、それらは、自社のことと報道機関だとは思っていないし、称してもいないだろう。

朝日新聞は、あしたから、自社がオピニオンメディアであるということを認め、紙面は自社のオピニオンだと明確に脚注をつけるべきだ。

「記事は公正な取材や事実にもとづくものではなく、当社が考える正義を主張するものであります」

と全てのページの下にかいておけば、これは免責事項になろう。そうしたら、いまの朝日新聞のままでいい。さらに堂々と、慰安婦について主張されればいい。

記者は、いますぐ名刺の「記者」の部分を塗りつぶして、「コラムニスト」や「ライター」に書き換えてほしい。その名刺で活動する分には、わたしも文句は言わない。

報道ステーションは、夜のワイドステーションと名前をかえて、

「本番組はニュースを題材にしたバラエティ番組です」とテロップをつけることだ。

そして、我々は反省しなくてはいけない。戦後ずっと、朝日新聞がおかしいことに気づいていながら、ずっと報道機関としてあつかってしまっていたことに。

なぜ早くから、東スポと同じカテゴリに放り込んでおけなかったのか。

なぜ、朝日新聞を真面目にとりあってしまったのか。

国民のメディア・リテラシーの欠如がこの事態を生んだことを真摯に反省せねばならないだろう。