対ロシアで日本は筋の通った外交を --- 後藤 身延

2014年09月08日 12:10

先日、といっても少し前のことになりますが、政府は旧西側先進国と協調する形で、ロシアへの更なる経済制裁を決定しました。これは、ウクライナにおける親ロシア勢力が民間機を撃墜したことに対するものです。

当初、ロシア政府はこの制裁に対して、旧西側諸国に同調したことを避難していましたが、日本のロシアへの制裁内容が限定的だったことで、その後の報復制裁から日本を除外しています。日露外交関係としては、日本がロシア側が求めていた「独自の立場」に配慮した限定的な経済制裁とそれに対するロシア側の反応ということで、一定の関係がなされているように思います。その後、現在に至るまで、いくつかの外交的な軋轢は抱えながらも秋の予定されているプーチン大統領の訪日は予定通りに実施されるとされています。


この一連の日本の外交政策をみると、日本の内向きな思考に基づいた対処療法的な外交政策ではないかと心配なります。日本政府としては、秋のプーチン大統領の訪日つまりはあ北方領土問題に向けて、関係を悪化させたくない意図とアジア情勢における同盟国アメリカへの考慮、義理とに挟まれた苦渋の政策決定ということなのかもしれませんが、本当にこの外交政策が妥当なものであったのかは、今一度考える必要があるように思います。

ではまず、現在のウクライナをめぐる問題の根源はどこにあるのでしょうか。ソ連崩壊後、旧ソビエト連邦の国や旧東側諸国は共産主義を捨てて連邦からの独立または民主化し、一部ではEU加盟やNATO加盟をなした国もあります。それらの動きに対して、ロシアは自国の経済的、国力の建て直しを優先し、周辺諸国への影響力を弱めていましたが、資源を中心とした経済的な建て直しを経て、再び影響力を強めてきた感じです。

ウクライナはオレンジ革命で民主化したものの、その後はEUよりの政権とロシアよりの政権が争う形でした。昨年、民主化を求めるデモからロシア寄りの政権を倒し、EU寄りで且つNATO加盟を目指す政権となりました。これに対して、ロシアとしてはこれ以上国境を接する周辺国のNATO加盟をさせたくないという地政学上の理由により、クリミアを事実上併合し、ウクライナ国内でも、ロシア系住民の多い東側に肩入れする政策をとりました。

近年、ロシアの動きは、ソ連崩壊後の地政学上のロシアにとってのリスクを如何に軽減するかというポイントで動いているようにみえます。そして、欧州諸国の動きは第2次大戦後の体制、東西均衡の状況から新たな形に変わりつつあるという感じです。旧西側諸国は、フランス、ドイツを中心にEUを軸とした連合に動き、その動きを横目でみる英国、大国との連携で自国を存在を確保する中小諸国、EUとは相容れない大国ロシアという構図です。

このようにみるなら、欧州諸国の情勢は、第1次大戦、第2次大戦を経てもなお、その構図はあまり変わらないように見えてきます。ウクライナの国内情勢が、実際どのようなものであったのか、デモで倒されたロシア寄りの政権が民主的という視点で観て何処まで圧政だったのかはわかりませんが、現状のウクライナの状況の根源には欧州の歴史的な勢力争いが見え隠れしていると思います。

近代、特に20世紀初頭に地政学の祖といえるハルフォード・マッキンダー卿がハートランド論を唱えて以降、この理論が欧州諸国の勢力争いの思考に現在もって強い影響を与え続けているように思います。端的に言えば、20世紀を経て、21世紀になった今も、基本的な概念に変化はなく、特に欧州の大国の志向、地政学上の論理、そして、その行動は先の二つの大戦を経てもなお、余り変わっていないのではないでしょうか。

少し前に開催されたG7では、日本が必死に北朝鮮問題、東アジア情勢を訴えても、欧米諸国はウクライナ情勢、ロシアへの対応に頭がいっぱいで、何とか共同声明に北朝鮮問題を盛り込めた感じです。このことは、欧米諸国の地政学上の課題、主眼が先の大戦前と変わらないことの現われと思います。

地政学としての考え方、現在のウクライナがどのような背景、勢力に支持されて事実上の内戦状況になっているかをここで論じることはしませんが、大国の理論で犠牲になる国や人々がいることは忘れてはなりません。

このような情勢で、日本の外交姿勢はこれでよいのでしょうか。国益という言葉の中で、いい意味では柔軟な対応、悪い意味では対処療法的な対応にみえます。ロシアも米国も日本の対応に一定の理解若しくは容認できる範囲と認識しているような反応ですが、本当に良かったのかどうか疑問を感じます。外交は、その国の経済、思考、歴史的な背景やその時の環境、情勢によって判断されるもので、一概に何が正しい判断による外交なのかは非常に難しいと思います。

しかし、歴史を振り返ると日本の外交判断は、その時点での欧米諸国の方向性や戦略に翻弄されて、結果的に誤った判断をしているケースがあるように思います。第2次大戦時、対ソ連の方向性は非常にちぐはぐなものでした。当初、防共協定(対ソ連、共産主義拡大阻止のための同盟を目指した協定案)を模索したものの、独ソ不可侵条約でヒットラーがソ連のスターリンと手を結ぶと、ドイツと歩調を合わせる形で、日ソ中立条約を結びます。ところが、その後、ドイツがソ連に侵攻することになり、日本はドイツと三国同盟で同盟を結ぶ中で、ソ連とは中立条約を結んだままという状況におかれてしまいました。

この一連の日本の外交姿勢を結果論から一方的に批判するものではありません。また、多くの歴史学者が云うように歴史にIFを問うて考えることはナンセンスであり、そのような視点で論じるつもりもありません。歴史は必然の連続であり、日本の外交判断によって大きな流れが変わったと考えるより、その判断がどのような背景でどのようなプロセスを経たなされたかを検証して、歴史の教訓とすべきではないかと思います。

少し余談になりますが、米国の元国防長官であるロバート・マクナマラン氏は、ベトナム戦争を検証し、その著作「果てしなき論争」で歴史から教訓を得ようと、ベトナム政府当局者との会合を中心に事象を細かく検証しています。結論としてベトナム戦争の悲劇を再び起こさないようにどうすべきかという画一的な方策は見出されなかったとは思いますが、米国のその後の軍事行動には、ベトナムの教訓が活かされたもの、またはベトナム戦争の反省が咀嚼されたように見えます。

さて、話を戻して、日本は十分に歴史を振り返り、今に活かせているのでしょうか。第2次大戦前の外交の歴史からの反省すべき点は、局所の判断を問うのではなく、日本の当時の政府の政策判断までのプロセス、国策の決定過程にあったではないでしょうか。ドイツのソ連に対する180度の変更に対する対応を問うのではなく、その状況や背景を十分に理解し、その可能性を認識していなかったことやその情報を政府内で十分に共有できなかったこと、更にはその対応を国として統一できない政府の体制にあったと思います。

G7における各国の反応は、欧州からみれば、経済大国の日本であっても、極東の一国にすぎないことを物語っています。逆に日本からみれば、欧州諸国の勢力争いは、容易に理解したつもりで対応すべきではないように思います。今の日本の外交政策が歴史の教訓を得てなされているかどうか。私にはよく見えないように思えます。

では、どうすべきなのか。ここで、カナダの外交政策をすこし取り上げます。イラク戦争当時、日本では大きく取り上げられることはなく、私も「カナダはなぜイラク戦争に参戦しなかったのか」(吉田健正著)を読んで改めて認識したのですが、カナダはイラク戦争に参戦していません。その理由は歴史的な背景、国としての思考、国民性など様々な要因があるようです。

ですから、日本が同様な米国追従ではない独自の判断をすべきであるという安易な方向性を唱えるものではありません。しかし、カナダのその判断、国としての方向性を議論し導くプロセスは日本も見習うべきではないかと思います。そして、日本だからこそできると国際社会から評価されるような、筋の通った外交政策を見出してもいい時期ではないでしょうか。

後藤 身延
会社員

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