朝鮮海峡デカップリングが日韓関係改善のカギかも。

倉本 圭造

・普通のオッサンオバサンレベルの感情論から逃げない解決策を

最近、日韓関係を本質的に改善するには、現代人の薄皮一枚の意識を覆っている「意識の高い議論」だけじゃダメで、普通のオッサンオバサンの本能レベルに染み込んだ「東アジア人の歴史的本能」から考え直すべきじゃないか・・・というようなことを考えています。(この記事からもう4回めになってますが、この記事単体でも読めます)

で、そのためには「朝鮮海峡(対馬海峡)デカップリング」的なものが必要なんじゃないかと。

これは、沢山出てる嫌韓本ってのを一個ぐらいはちゃんと読んでみるべきじゃないか(それこそが異質との相互理解とかダイバシティってやつじゃないか)・・・と思って読んだ「誅韓論」って本を読んでいて思ったことなんですが。

まあね、人によると思いますけど8-9割受け入れられなくたっていいんですよ。1割ぐらい、「ああ、確かにそういう部分は日本人として腹立つよな」っていう部分が理解できれば、そういう点においてだけキッチリと韓国側に押し返させてもらえれば妥結点が見えてくるはずですからね。

で、実際経済レベルでは結構トンデモなことが堂々と書いてある本なんですが(日本の部品産業が対韓完全禁輸したらサムスンの工場が止まってサムスンの世界的売上を全部日本企業が取り戻せてウハウハ・・・とか)、ただ1つ”物凄く”なるほどと思ったのは、韓国に対する米軍の関与の減少によって東アジアのパワーバランスが変化したら、近いうちに何らかの形で朝鮮半島の一体化は実現するだろうという予測とか、

そうなった時にはむしろ「19世紀的状況」に戻した方が安定するんじゃないか・・・という話にはなんか盲点を突かれた

思いがしました。

「19世紀的状況」っていうのは要するに、

「中国と韓国」っていうのがどんどん結びついていくのをあえて止めず、日本はそれに深入りせずに比較的独立したポジションを維持する

・・・ってことですね。

その方向性には「東アジア人の本能レベルの安定感」が凄くあって、それに「対抗」して無理をすればするほどコジレる・・・んじゃないか

という指摘は”なるほど感”が凄いありました。


日本の知識人の習い性になっている「防波堤としての朝鮮半島説」は、言い出した時から過去の日本の失敗の根幹がそこにあって、その朝鮮を守るために満蒙が必要となり、中国が必要となり・・・とはてしなく止まらない過ちを生み出してしまう起点なってしまったんだと。むしろ「デカップリング」は朝鮮海峡(対馬海峡)でなされるべきなんだ・・・だそうです。

個人的には物凄く考えさせられる話だったので、ちょっとあなたもゼロベースで一度考えてみていただきたいんですよ。

・東アジア人の本能的に安定するラインでデカップリングしよう!

ここ以降は、最近文通してるデザイナーさんが好意で描いてくれたイラストと一緒に考えてみたいんですが(うまく表示されていない場合は私のブログで読んでください)。

なんか、歴史的経緯は似てるのに、台湾はかなり親日的なのに対して、韓国はなぜああいう感じなのか・・・っていうことに関して、色々と不思議な思いを持つ人も多いと思うんですよね。

で、それに対する1つの答として、日本における「江戸時代的感性」とか、朝鮮半島における「李氏朝鮮的感性」みたいな、降り積もった民族的傾向性同士がぶつかっちゃう部分があるんじゃないか・・・って思うんですよ。

そういう「現代風の薄皮一枚」の部分じゃない深いところで「ぶつかりあって」しまうから、「冷静にお互い歩み寄れば解決する問題」も、無限にヒートアップする部分があるんじゃないかと。

日本において近世において長く続いた江戸時代が、日本人の感性の深い部分に影響を与えている・・・って話はよく聞きますが、韓国の場合はそれが李氏朝鮮にあたる・・・んだと思うんですよ。

で、李氏朝鮮っていうのは、中国本国以上に儒教的価値観でキッチリまとまった国で、中国人から「東方礼儀の国」と呼ばれたことを誇りに思っていたりする・・・という話で。

ここで言う「礼儀」っていうのは、日本人だってマナーにはうるさいぞ!と思う人もいるかもしれませんが、そういう意味の日本人が考える意味での「礼儀」じゃないんですよね。

明治維新の時に明治新政府が朝鮮に送った使者が激怒されて突き返された・・・っていう話があるんですが、それは何が彼らの気に触ったかというと、「日本が天皇の”皇”っていう字を使った」ことが許せなかったらしいんですよ。

いまでも韓国では天皇のことを「日王」って言うらしいですけど、「皇」っていう字は唯一中華皇帝だけが使うことを許された字で、それを「日王」にすぎない存在が使うのは「僭称」にあたる・・・から許せない・・・っていうわけですね。

今でも韓国人社会では(あるいは在日コリアン社会でも)結婚式とかの催し物の「席順」に物凄いこだわる人たちがいる・・・と聞きますが、そういうのが「彼らの考える礼儀」なんですよね。

で、日本は歴史的に儒教をただの「書物」としてしか取り入れてないですから、言ってみれば「三国志おもしれー!」「史記ってほんとワクワクするなー!」とか言うレベルの「儒教」なんですが、直接地続きになっていていつ侵略されるかわからない朝鮮半島の人にとっては「儒教」はまさに「席順」とかそういうレベルの「逃れられない秩序感」なんだと思うんですよ。

司馬遼太郎の韓国旅行記に、中国王朝に日本と朝鮮の使者が並んで謁見している絵の日本人が裸で描かれていて、実際に裸だったということはないだろうが、しかし彼らにとってはそれぐらいに「日本人ってのは遠いからといってキチンとした秩序を守らない呑気な奴ら」だと思われてたんだろう・・・と思って爆笑した・・・って話が載ってるんですけど。

これは要するに例えると、東京生まれ東京育ちの女の子が、シキタリのうるさい京都の老舗旅館かなんかに嫁いだ時に、

女将 「あんたはんは、東京生まれやさかい、きれぇーな標準語が話せてようおすなぁ・・」
女の子「そうですかねえ?えへへ、ありがとうございます!(なんかよくわかんないけど褒められちゃった!(ゝω・)vキャピ)」
女将「(この子・・・今のが皮肉やったってわかってぇへんのちがうやろか・・・イライラ)」

みたいなスレ違いが、常に常にあるんだろう・・・ってことなんですよね。

だから、彼らにとっては「当然の秩序感の上下」にすぎないものが、日本人からすると「果てしなくどこまでもマウンティングしてこられて、果てしなく謝罪と賠償を求められてる気持ちになっちゃう」スレ違いがあるのかなと。おまえらには「ほどほど」ってもんがないのかよ!って思ってしまう。

で、こういう彼らの秩序感覚を「華夷秩序」っていいますけど、こういうのは中国人10数億人と、朝鮮半島の人たちの本能レベルで猛烈に渦巻いてるわけですよね。

だからこそ、「日本」が「朝鮮半島」にあまりに深く関わろうとしてしまうと、単に1つの小さな半島の問題じゃなくなって、この「秩序感覚全体」が崩壊の危機に瀕するんじゃないかと思うんですよ。

つまり、以下の図のように、「朝鮮海峡(対馬海峡)」に境界線があって日本がそこに関わっていかない状態になってると、

「東アジア人の本能」的が凄い安定するんだと思うんですよね。

朝鮮半島と中国が、これは日本の部活で先輩をタテようとかそういうレベルの「役割分担」の話なんで、属国とか言うほどのものじゃないと思うんですが、「彼らの考える華夷秩序」みたいなのを共有しているとそれなりに安定する。

で、日本はそこから「ある程度遠い立場」から、

「日の出づるところの天子より、日の沈むところの天子に申し上げます。お元気ですか?」

的な態度でいればいい。

中華皇帝さんの方としても、「東アジア人の本能的境界線」の向こう側にいる日本がなんか言おうと、

「まあ、日本のクセに天子とか僭称しやがるのがムカつくっちゃムカつくが、まあ許したらぁ、どっかの東夷の蛮族の言うことやしな」

的に應用にしていられる。朝鮮半島の人も、まあ結託して似たような感覚を持ってくれたら安定する。

しかしそこで、以下の図のように、

日本が朝鮮半島に関わってしまうと、単なる朝鮮半島だけの問題じゃなくて、「中国文明的本能」を共有しているありとあらゆる十数億人の普通のオッサンオバサンレベルの本能において、「どっちが正統なる中華文明の中心の後継者なのか」みたいな争いを巻き起こすんじゃないかと思うんですよ。

で、中国人としても、「中華文明の境界線」を超えて「蛮族」が侵入してきた感じになって、

中国「どっちが正統な中華文明の中心か、ハッキリさせたらぁ!かかってこいやあ!」

って叫びたくなる・・・それに対して日本側もギョッとしてしまって、

日本「ええ?何この人?こわっ!いつ攻めてくるかわからんからもっと緩衝地帯が必要だ!満蒙は日本の生命線!攻撃される前に中国に攻めなきゃ!」

って叫んでて、間はバチバチバチ・・・・と火花散ってる的な感じになっちゃう。

過去の大戦の反省を深く深くやるとしたら、「そこ」がちゃんと切断されているべきだ・・・という一点こそが本当の「日本がするべき反省」じゃないか・・・と。

別に日本人にしたら「世界唯一の中華文明の中心」なんかになろうなんて思いつきもしない発想なんですけど、でも「彼らの領域」に入っていってしまうと、彼らの秩序感を尊重しない呑気さ自体が、一大「革命的不安定さ」を生み出してしまうんですよね。

ある中国人が書いたネット上の記事で、「中国人はいまだに日本人が本気で中国に攻めてくる可能性があると思っている人が結構いる」って書いててビックリしたことがあるんですが、それはこういう「本能」から生まれてるんじゃないかと思います。

だからこそ、「脱亜入欧」とか言うといかにも東アジア人蔑視の名誉白人・・・みたいな感じになっちゃうんですけど、ある程度「かなり成り立ちが違うんだ」ってことは前提にして距離を取りながら動いていった方が、「同じ東アジア人なんだからこう考えて当然だろ?」みたいなのを押し付け合うよりもよっぽど生産的になるんじゃないかと。

そういうところを日本の「保守」の人たちは結構敏感に感じ取っていて、「あるべきデカップリング」を模索中なのかなと思います。

で、台湾人がなんだかんだ結構親日的なのは、彼らは明らかにこの「境界線の東側」の位置で呑気に暮らしてきた人たちだから、大陸と関わるとなんか変な秩序感を押し付けられるんだよな・・・っていう苦手意識が共有されてるんじゃないかと。

別に経済レベルで勝手に交流が生まれるのとか、あとは隣国として普通なレベルの政治交流とかがあるのはいいと思うんですが、「同じ文化を共有している隣国なんだからこうなって当然」的なことをお互いが振り回し始めると要注意・・・ってことですね。

で、次は同じことを「韓国人の立場」で考えてみたいんですけどね。

最近、韓国がむしろ中国との関係を深めていっていることを、「自由主義陣営」の人たちはそれぞれの利害から懸念しているわけですけど、でもそうしたい「東アジア人の本能」があるのに、無理やり韓国を「日米側」に引き寄せようとすると、韓国は常に「反感持ってる相手と仲良いフリしなくちゃいけない」状態になるので、ある種の冷静さを欠くレベルまでヒートアップしがちになる部分があるのではないかと思うんですね。

韓国と日本が同じ側に入ってしまうと、別に日本の方が優秀だとか偉いとか言うわけでは全然ないんですが、人口・経済規模とか、地理的条件から、色んな細部でアメリカからの扱いに差が付いたりするわけですよね。いや、めっちゃ細かい差ですけど・・・核燃料の再処理が認められるかどうかとか・・・でも、韓国人側からするとそういうのがちょっとカチンと来ることが増えるんだと思うんですよ。

以下の絵のように、

なんか正妻との立場の違いを事あるごとに感じちゃう愛人の悲哀みたいなことが多分たくさんあるんだろうと思います。(こういうのって、逆の立場だと全然わからないような細かい違いが気になってきたりしますしね)

結果として「日本との差別化に苦しむアイデンティティ・クライシス」的なものを感じて、批判がエスカレートする部分があるのではないかと。

そうじゃなくてむしろ、「19世紀的状況」に戻した方が安定するんじゃないか・・・つまり、韓国が中国寄りになっていきたいなら思うさまそうさせて、中国にもある種の「朝貢を受ける天子の国としての鷹揚さ」を見せてもらうようにすることである意味「一体化」して貰った方が、北朝鮮との国境がどんな形で収束するにしろその混乱を収集しやすいし、東アジア人の「19世紀的本能」と合致して、後は「日出ずるところの天子が日沈むところの天子にお便りします、お元気ですか?」的な「漢民族との大人の関係」を日本は結べばいい・・という「三国鼎立」論(詳細はここでは書けませんが中韓と日本と”極東ロシア”の三国)は結構なるほどと思ったんですよね。

漢民族は朝鮮など中国の一部だと思っているフシがあり、韓国は本能的にかなり中国との関係を重視する精神があって(さらに言えば宗主国をタテつつ吸収はされないという高度テクニックのプロフェッショナルとも言えるでしょうし)、にも関わらず日本と「なんとなく隣にいる」レベルを超えて「仲良いフリ」をしなくちゃいけなくなると、彼らの本能的な「華夷秩序」的な感性と、日本側の「聖徳太子風の対等意識」がぶつかっちゃうことになる。だから、彼らからすると自分たちが信じている秩序感と合致しない憎い奴・・・ってことになってしまうし、日本からするとなんか常にマウンティングしかかってこられているような気分を受けてしまう。

要するに「キッチリした中華的華夷秩序」を内面化して生きてると、それに従わない(本人は従ってるつもりでも本式の人たちから比べると呑気すぎる)島国ニッポンの奴らはなんか嫌だよね・・・っていう風に根本的にぶつかってる部分があるんじゃないかと。

だからむしろ中韓が一体化していくのを認めた上である種の「デカップリング」に向かった方が安定するんじゃないか、過去の東アジアが平和だったのは基本的にそういう時期だ・・・・というのはなんか非常に納得してしまった。

さっきの「京都の女将と東京育ちの女の子」の例だって、京都の大学に進学して4年間過ごす・・とかね、バイトとか従業員のレベルで「へー、京都って凄いですね!」的に関わるんだったら、別にお互い喧嘩にならないどころか気持ちよくお互いを尊重できるはずですよね。

しかしそれが「嫁ぐ」とかいうレベルであまりに近づきすぎると、「ありとあらゆるお互いの本能」が憎らしくなってしまうメカニズムがあるんだろうと思います。

アメリカはアメリカの立場から、無理やり今のところは日韓に仲良くしてもらわないとこまる・・・って言い続けるでしょうけど、「無理やり」それをやってもやっぱり本能的反発が増えますからね。こういう「東アジア人の心の機微」は彼らには全然わからないことですから。

そういうところまで含んだ冷静な解決が、今求められてるんだと思います。「そこに歴史的にある本能」を否定して「無理やりな欧米的理想像を押し付ける」んじゃない、「生きている生身のオッサンオバサンの感情を圧殺しないあたらしいリベラル」のあり方がね。

要するに「適切な距離感が大事だよね」っていうような、そういう世間的知恵のレベル・・・でね。

なかなか進みませんが、次回はついに「朝日新聞的なもの」が次に建てるべき「あたらしいリベラル」の旗印とは何なのか・・・についての記事に行けそうです。最近は私も忙しくなってしまって、そうしょっちゅうはアップできないので、更新情報は、ツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

「あたらしいリベラル」についてのまとまった記述は晶文社刊の『日本がアメリカに勝つ方法』をお読みください。思想・政治・外交レベルと経済・経営レベルを連動させつつ日本が「あたらしい文明」を提示することで世界の分断を解決するビジョンについて書かれています。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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