ロックミュージシャンを音大が生めるかみたいないつものアレ --- 中村 伊知哉

アゴラ

崇敬する世界的アーティストK氏が大学教授に転じました。アーティストとして食えず若くして学に職を求めるのは負け組ですが、アーティストとして実績を残し、後進の教育に当たるのは勝ち組です。めでたいことです。

K氏はデジタル・メディアアートの映像・音楽制作が専門で、チョ~先進的な生産・表現活動を続けてきました。でも、体系的な教育を受けたことがないと言い、「その私が人を教えるのは、どうにも迷う。」とのたまう。独学・独創で来たからK氏の今があり、だからこその躊躇です。


変化し進化する先進分野と、できあがった伝統分野とでは体系に強弱があります。いや、体系がないのを前者とするということかもしれません。

メディア芸術にしろ総合政策にしろ、前者に属する分野の学部名は長くなりがちで、後者のように、法、文、工、理、医と一文字で表せる格は得ていません。体系的に教えること、学ぶことにも違いがあります。
 
だからどうだというのだ。

世界的なロックミュージシャンがコンセルヴァトアールやバークレーを出たなんて話は聞いたことがないし(だから「ピアノの森」は痛快だ)、世界的なマンガ家がロンドン芸大や東京芸大を修めたという例も寡聞です(手塚治虫が医学博士号を修めたという例はある)。

こういう分野では、「育てる」という行為が成り立つのか。「学ぶ」という努力が成り立つのか。いや、何度もすみません、まだわかんなくて。

90年代初め、日本にコンテンツ政策を立ち上げるに当たり、マンガ・アニメなどのポップカルチャーを育成する高等教育機関が最大の問題とされ、その増強が政策課題とされました。ぼくもその政策に携わりました。

以後、さまざまな努力が続けられ、そうした機関は増えてきました。京都精華大学のように、マンガの大学院も持ち、世界的な女性マンガ家が学長に就く事例もみられるようになりました。ぼくも今その手の新設大学院に身を置いています。文科省のマンガ・アニメ人材育成事業にも参加しています。

いずれはロックもマンガも音大や芸大で基礎の修練を積んだ人たちだけがプロとして生きられる世界になるのかもしれません。

いや、いつまでもロックもマンガもパンクな様式破壊を繰り返し、体系ができあがらないのかもしれません。今はまだ、体系を作る努力と、体系を崩す挑戦とがせめぎあう段階なのでしょう。

だからどうだというのだ。おまえ自身は。おまえも教員だろう。

そうなのです。ぼくは教員であると同時に、政策屋・プロジェクト屋ですが、どこかの教育機関に体系的に学んだことはありません。

政策の企画立案は霞ヶ関の秘伝です。今でこそ官僚が大学に転身し、政策を論じていますが、ぼくらの時代にはOJTしかありませんでした。マンガと同じです。

ぼくも実体験を通じた独自のメソッドを学生に伝えることになります。それが正当かどうか、自信がありません。そう、K氏と同じなのです。

そんなことに迷っていてはいけない。体系なんぞお構いなしに、自分のコピーを大量生産すべく、自分のメソッドを押しつけるのが健康の秘訣だ。K氏にはそうアドバイスしましょう。K氏は世界に名を馳せた力量と実績があり、人格としても教員向きだから。

でもぼくは、自分のコピーを生むことは世間に申し訳ないし、まして人格は言わずもがなですんで、お構いなしにパンクなプロジェクトに没頭するのでありました。

いつも同じで、すみません。

※投稿後、ドリームシアターのメンバーはバークリー出身とジュリアード卒、という指摘をいただきました。そうか。例はあるんだ。恐縮です。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2014年11月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。